第七話:アリス、雪を見る
「わっ!」
とアリスは跳ね起きた。間一髪、夢のなかでカスタードケーキの砲撃をまぬかれたのだった。でも夢なんだから、もし当たちゃったって、クリームまみれになるのは夢の自分。そのことに気づいて、アリスったら大笑い。
「わーははは!」
とっても大きな声だったから、アリスがその下で一夜を過ごしたキノコは、もう秋が来たのかと思って、思いっきりかさを広げたんだ。ちょうど、雨にうたれるかさを広げるのと同じようなもんだったけど、大きさがダンちがい!
ばさっばさっばさっばさっばさっ!
まるで千羽のコウモリが住む洞穴に、スポットライトを差し込んだみたいだった。あわててコウモリが飛び出して、空は真っ暗になったんだね。でも、いまは朝。ほら、フクロウも目を覚ました。
「ホーホ、おはよう」
このホーホってのは、「朝に目が覚めてから三秒後にするあいさつ」って決まってたのさ。だけれども、そのあとに「おはよう」なんて付けたんじゃ、せっかく覚えた意味がない。
けれどもフクロウがそうしたのは、きっと自分のホーホいうあいさつじゃ、アリスには伝わらないだろう、って考えたためなんだ。だからアリスもちゃんと、
「おはよう!」
っていえたんだね。あー、よかった。
アリスはフクロウにお礼をいって、ついでにキノコにもお礼をいったよ。眠らせてくれてありがとう、ってね。そうしてから、またなにかおもしろいものを探しに、森のなかへと進んでいった。
しばらく進んでくうち、
「ハックション!」
おや、アリスはかぜをひいたのかな? 森に入ってから、もう三千回もくしゃみをしていた。それだけくしゃみをするとお腹が減るから、アリスはあたりを見まわし、自分の小さな口にも入る、小さな食べものでもないかと探した。
すぐ、鈴なりになっている、きれいな水色の木の実を見つけたよ。「やったー!」喜んで、アリスはすぐそれを口に入れようとした。
だけどちょっと、なにかひっかかった。どこかでだれかが、こういう場合のために、なにかをいっていたような気がしたんだ。「なんだったかしら?」アリスはうんうんうなって思い出そうとした。
人の頭は車のエンジンみたいなものだし、エンジンはよくうなっているから、アリスもうなってみれば、頭がよく働いて、よい考えを生むかもしれない、って考えたんだね。
そのかいあって、まもなくアリスは思い出した。
「あーっ!」
と、大声を出して、
「なんかの習いごとの先生がいってたんだわ! こういうときは……」
と、アリスは水色の実を一口かじって、すぐペッ! と吐き出した。アリスが思い出したのは、つまりこんなふうなやり方だった。まず一口かじってみて、すぐ吐き出す。そのあとなんともなかったら、ひとまずはだいじょうぶ。
ただ、このやり方が本当に正しいのかどうか、アリスにはわからなかった。それでも、ぐうぐう鳴るお腹にはかえられない。お腹にあるトランペットの奏者は、とっても欲張りで、すぐ食べものをよこせといばるんだから!
アリスは、この小さな実が自分になにか悪さをしないか、したらすぐそれがわかるように、しばらくじっと動かず、ただ待っていた。これは、彼女にとって、すごく大変なことだった。
アリスは、一秒とだってじっとしていられないし、一秒とだってじっとしていたくないタイプの女の子だった。あんまりそわそわするもんで、よく先生にも注意されるほどだった。
どうすれば注意されずにすむだろう、とアリスは考えた。まさか、自分がじっとしていればいいなんて、アリスは考えもしなかった!
学校の授業で、自由に動きまわれるのはただひとつ、体育の時間だった。だからアリスは、教室の壁に画鋲で留められた時間割の、各コマの上から、ぺたりと、「体育」のシールを貼っつけた。
おかげで、次の日からアリスはゆかいでたまらなかった! だって毎時間毎時間、一時間目からずうっと体育が続くんだもの! ホームルームが終われば体育、休み時間が終われば体育、給食が終われば体育、午後からも体育……
それはそれは楽しかったけれど、けっきょく、最後まで楽しいままで終わるっていうわけにはいかなかった。アリスのクラスの通知表を見た先生が、とってもびっくりしたんだ。
だって、ほとんど体育の授業しかなくて、他の授業は少しずつしかやっていなかったから!
その授業を取り返すために、アリスは春休みのあいだも、学校に通わなくてはならなくなった。これはひどかった。アリスはもう二度と、時間割に「体育」のシールを貼るのはやめようと誓ったよ。
そんくらいじっとしちゃいられないアリスだけれど、いまはなぜか、ちゃんと待っていることができた。ま、それだけ青い実を食べるのが楽しみだった、ってことかもしれないけれど……
「……うん、なんともないわ!」
アリスはよろこんだ。舌はちっともピリピリしないし、お腹もぜんぜん平気だった。
はしゃぎながら木の実を集め、木漏れ日が照らす草地にぺたりと座りこみ、つぎつぎにほおばった。その実はどれも、いままでアリスが飲み食いしたことのある、ありとあらゆる青いものの味がした。
ソーダ、アイス、ブルーハワイ、ブルーベリー、ネモフィラ、ラムネ、サイダー、スモモ、ブドウ、天然素材絵具#0000ff……
しばらくして手元を見てみると、「わっ!」とアリスはびっくり。それというのも、アリスの手が、青いクレヨンで落書きしたみたいに真っ青になっていたからさ。
「こんなに青い実をたべちゃったからだ!」
と、アリスは青くなって(じつのところ、アリスは顔まで真っ青だったのさ)、
「あーあ。また元通りになる方法を探さなくちゃあ」
アリスの心もブルーになったのは、いうまでもなかった。
けれども、しばらく歩いていると、真っ白な水をたたえた池があった。ここに飛び込めば、もしかしたらこの青色が落ちるかもしれない! そう考えて、アリスはザップーン! と池のなか!
「そろそろいーかな?」
と、アリスは池からあがって、自分の手を見、またびっくりしたのさ。
「わっ。真っ白!」
今度はアリス、全身にチョークをまぶしたみたく、真っ白になってたんだね。これだけ白かったら、すぐ汚れが目立って、アリスのママはカンカンだろう。
「こまるわ、こんなに白いんじゃ」
そういうわけで、なにかまた、いい方法がないかとアリスはきょろきょろした。困ってもめげたりなんかしないところが、彼女のいいところさ。もちろん、すぐアリスは見つけたよ……まっかっかな池を!
「ようし、今度はこれっ!」
またアリスは飛び込んだ。アリスは真っ赤になった。
そうして気づいたのは、まわりにはたくさん、それはそれはたくさん、数え切れないほどたくさんの色の池があることだった。
「もーっ!」
アリスはやけになって、手当り次第、まわりの池に飛び込みまくった。そのたびにザップーンという、シャチが海面で跳ねたような音があたりに響いた。
だれかが寝ていたら、きっとびっくりして起きただろうけれど、だれもいなかった。
何十もの池に飛び込み、あがったあとはすぐ違う池に飛び込んだもんだから、あたりの草地は、まるでアリスの何か月も洗っていないパレットみたいに、ぐちゃぐちゃとした色合いになった。
こういう料理がレストランで出されたら、だれもがたぶん、二度とそこにはいかないだろうってくらいの。
しかしそうした苦労がみのり、アリスはなんとか、満足のいく色合いに戻ることができた。前よりちょっと明るすぎる気がするし、こんなに白くなかった気もするけれど、まあ、アリスはぜんぜん気にしなかった。
「お腹が空いてたんですもの」
と、また機嫌を直したアリスはるんるんと歩きながら思った。
「ちょぴっと青ざめるくらい、なんともないよ!」
そうしてしばらく歩くと、アリスは先ほど、あんなにたくさんくしゃみをしたわけがようやくわかった。
森を抜けるとそこには、一面、真っ白な世界が広がっていた。それはちょっと前にアリスが飛び込んだあの池の色よりも、ずっとずっと真っ白なように思われた。
「雪!」
アリスは大はしゃぎさ。雪がきらいな子ども、それもアリスくらいの子どもなんて、そうそういない。アリスが住んでいるところにはめったに雪が降らないし、降ったとしてもすぐ溶かされてしまうから、なおさらだった。
あちらこちらに、雪でできた象が立っていた。それはどれもがいまにも動き出しそうで、アリスはじっさい、そのなかの一頭が鼻息で粉雪を飛ばしているのを見た気がした。
アリスはきのう、マンションを出るとき、しっかりと靴を履いていたことを得意に思っていたけれど、それは考え直さなきゃ、と思うのだった。
「長ぐつを履いてくるんだった!」
いまの靴は、この真っ白な世界を歩くにしちゃ、ちょっとばかし底がうすすぎたんだよね。もう少しずつ、厚かましい雪が入り込んでいる。
「でもさ、仕方ないじゃない?」
アリスはぶつくさいっている。
「長ぐつは棚のなかにしまってあったんですもの。もしそれをガサゴソ取り出そうとしていたら、すぐママにつかまってしまったわ!」