第六話:アリス、お邪魔する
フクロウが降りてきたのは、べつに飛ぶのに疲れたとか、天敵が(ちなみにこのフクロウの天敵は、他社製インクだった)あらわれたからだとか、そういうわけではなかった。
目的の場所にたどり着いたからだった。
アリスはその場所を見て、もう見張るまいと思っていたのに、また目を見張った。だいぶこのおかしな世界にも慣れたろうって思ってたのに、まだまだそんなもんじゃないよ! と、アリスに見せつけようとしているかのよう。
そこには無数の大きなキノコがあったのさ。全部が全部、キテレツな色。「うへえっ」と、アリスは思ったよ。あんまり彼女のシュミに合うようなもんじゃなかったからね。
アリスにはよくわからなかったけれど、こういう色がすきなひとは、たぶん、ふだんからこういう色のものを食べている人なんじゃないか、って思ったよ。こういう色の食べものがはたしてお店で売っているのか、それもやっぱりわからなかったけれどね。
「ここはな、キャンプ場なんじゃ」
と、フクロウ。
「キャンプ場?」
アリスはとってもヘンだと思ったよ。だって、彼女がキャンプと聞いて思い浮かべるのは、黄土色のテントとか、カットされていない野菜とか、ライターで火を付けるキャンプファイアとかだったからね。そのどれもが、この場所には見当たらなかった。
「そうじゃよ。ほら……」
と、フクロウはまた飛んでって、アリスのすぐ近くにある、アフリカのゾウくらいに大きなキノコのてっぺんに止まった。そうしてから「おいで」って、アリスを呼んだ。
アリスは、あんまり気が進まなかったようだよ。なにせ、そのキノコの色が、ぜんぜん彼女の好みではなかったんだもの。
アリスがきらいなものは、だいたい数百個くらいあった。というのは、アリスがきらいなものをまとめていうと「野菜」となって、それは世界に数百種類あるからさ。
で、そのなかでもとくにきらっていたのが「ナス」だったんだ。そういうわけで、このキノコの色がびっくりするくらいパープルだったもんで、アリスは近づくのをためらったんだね。
アリスがナスをきらっている理由は、自分でもよくわかっていなかった。それもそのはずで、原因をたどってみると、それはアリスが産まれた病院の、分娩室にたどり着くからだった。さすがのアリスも、そんなころのことは覚えていなかったんだね。
アリスの鼻がいいのは、いままでに見てきた通り。その鼻のよさは生まれつきで、どのくらい生まれつきかっていうと、そう、ママのお腹から出てすぐからずっとそうだったんだ。
行ってみたことがあるならわかるだろうけれど、病院ってのは、まあ、あんまりいい匂いのするところじゃない。少なくとも、400グラムのステーキとか、一袋のポテトチップスなんかよりは、食欲をそそられない匂い。
だからアリスが産まれた直後、まわりにいた人の耳をつんざくような声で泣いたのは、もちろん呼吸をするためではあったけれど、それ以上に、まわりの匂いが気に入らなかったからなんだよね。
で、アリスがナスをきらっているのは、どういうわけか、そのときに感じた匂いが、びっくりするほどナスとそっくりだからだったってわけさ!
だけどアリス、鼻をくんくんさせて、そのキノコ、色はナスにそっくりだったけれど、匂いはぜんぜん似ていないってことに気がついたよ。むしろ、それはアリスが大好きな、おばあさんの家の匂いにそっくりだった。
「なにをやっとるのじゃ」
アリスがぐずぐずしてるもんで、フクロウはあくびをした。このフクロウはフクロウのくせして、人間みたく、夜に眠って昼に飛ぶのだった。あともうちょっと月が動けば、たちまちにして眠ってしまっただろう。
「ええ」
アリスは懐かしい匂いにさそわれて、そのキノコに向かって進んだ。近くで見てみると、ますますそれの大きさがはっきりわかって、アリスはけおされるようだった。
もちろん、アリスが住んでいるマンションのほうがずっとずっと大きかったわけだけれど、あんまり大きすぎると、アリスくらい小さな女の子には、よくその大きさがわからなくなっちゃうんだね。
ちょうど、地面から見あげてみると、どんな星も月も太陽も、手でつまめそうだって勘違いしちゃうように!
でも、と、ここでアリス、やっと気づいた。「わたしが探しているのは」
「朝が来るのを待っていられる場所じゃなかったっけ?」ってね。
まわりにあるのはキノコばかりだし、目の前にあるのももちろんキノコ。アリスはもっと、マンションとまではいかなくとも、小屋とか、テントとか、そういうものを想像していた。
ここにはそんなもの、影も形もない。
それでもフクロウにいわれて、手でさわれるくらい、ナス色のキノコまで近づいてみた。
「はしを持ち上げてめくってごらん」
と、フクロウ。このキノコのかさは、地面にくっつくくらいたれさがっていて、まるで、アリスのママが作るのに失敗したときのギョーザみたいだったんだね。
アリスはいわれたとおり、ちょっぴりおっかなびっくりだったけれど、かさのはしを持ち上げて、ぺろりとめくり上げた。
「わ……」
アリス、思わずそんな声をもらしてしまうくらいだった。今日はずいぶんとたくさんいろいろなことがあったから、いいかげんに疲れて、いままでみたいな大声とはいかなかったけれど。
それでももしふだんどおりの元気があったのだったら、また大きくおどろきの声をあげていたろうね。
かさのなかは、まるでかまくらみたいに、ぽっかりと開いていた。そのあいたところの真ん中には、白くてりっぱな柱があった。たぶん、これがキノコのえだろうなって、アリスは思ったし、それは大正解だったさ。
ただ、アリスがおどろいたのはそれだけじゃない。そのわけはアリスの頭の上にあった。
きらきらと光り、舞い落ちる、あまたの雪のような粉が、とめどなくただよっていたんだ。ちょうど、あんまり風の強くない日に降った、初雪みたいにね。
その粉が、金色や、緑色、赤や青色に、でもまぶしくはなく光っていたから、かさのなかはちょうどいい暗さになっていた。ちょうどいいってのは、アリスが怖くならないくらい、また、眠るのにはじゃまにならないくらい、って感じの。
「どうかね。気に入ったかね?」
外からフクロウの声が聞こえた。もう、ずいぶんと眠そうだった。それはまったく同感だわと、アリスも思ったよ。もう今日はたくさん歩いて、くたくただったんだものね。
「ええ、とても……」
といいおわらないうちに、アリスは横たわった。草地はやわらかくて、アリスの部屋の羽毛布団より、ずっと心地が良かった。こんなに心地がいいのに、どうしてカメはウサギの毛をほしがったのだろう? と、アリスが考えるくらいにね。
キノコのてっぺんに止まっているフクロウの影が、かさごしにアリスに落ちた。どうやらフクロウも、そこで夜を過ごすみたいだった。そばにそういう存在があったことで、アリスは安心して眠れそうだと思ったし、その次の瞬間には、もうすっかり寝入っていた。
アリスは、ふしぎな夢を見た。
アリスは七色のドレスを身に着けていた。アリスは自分を見下ろして、こんなにきれいな糸、いったいどこの店に売っているんだろう? って思ったよ。
ママに教えてあげようかな……と思ったけど、首をふった。いや! 教えてあげないわ。……せめて、サンスクリット語のレッスンをやめさせてくれるまでは。
アリスはそんな美しい服を着て、すこぶる上機嫌だったから、ぶらぶらとあたりを歩くことにした。だけど今度は足元に気をつけて、口を開けたマンホールには食べられないぞ、って注意しながらね。
いま歩いている場所はなんだか、見たことがあるような気もするし、見たこともないような気もする、とにかくふしぎな場所だった。なにかの絵本か、映画で見たのか、それともわたしが、頭のなかで建てた街なのかな? ってアリスは思ったよ。
だけれども、しばらく行くうち、アリスは、ぜったいこんな街、見たことも聞いたこともない! って思うようになった。
なにせ、カラスがゴミ収集車を運転していて、魚が空を泳いでいて、人も犬もビルもみんな逆立ちで、レストランでは料理にお皿がのっていて、レシートでおにぎりを買って、コンビニはいつもやってなくて、飛行機が道路を走っていて、車のタイヤは屋根についていて、地下鉄が屋上を走っていて、リコーダーには鍵盤がついていて、ピアノは叩いて演奏して、昼に月がのぼっていて、夜になると太陽があいさつする……なにもかも反対だった!
「すっごくヘン!」
アリスはそういった。その足元を、とたとたとイルカが歩いていった。イルカはいまや地上を泳ぐのだった。鼻先にボールをうまく乗せ、ポンと投げるのを見て、アリスは思わず拍手した。けれど、イルカはふしぎそうな顔をして、
「あっちを見てよ」
と、整列して輪をくぐるダイバーたちを指さした。
やっぱりヘンだと思ったけれど、面白かったし、もうひとつ気づいたこともあって、アリスはすっかり楽しい気持ちだった。
気づいたことというのは、ほかでもない。
アリスがいまいる世界も、この夢と似たようなものだったってことさ!