第五話:アリス、(不)正解する
アリス、ステーキハウスをでてびっくり。だってもう空が、まるでパンプキンパイみたいにオレンジ色! そういえばそうさ、もうずいぶん、朝からいろんなことをしたんだものね。太陽とさよならする時間になったっておかしくはない。
「夜になっちゃう!」
アリスはつぶやく。
「また真っ暗になってしまうわ」
アリスはまだ、マンホールに落ちたときのことを覚えていたんだね。たしかにあのときは、すごく暗かった。ちょっとばかり、彼女が心細く感じたのも、ぜんぜんふつうのことだった。
だから夜が来て、またあたりが真っ暗ななかを歩く自分を想像してみて、ぶるっ! とアリスは身を震わせた。まったく、それはぞっとしなかった。
どこか、夜のあいだに隠れていられて、朝が来るのを安心して待っていられるようなところ。そんなところを探そうと、アリスは急ぎ足で歩き出した。いまにも夜が来るんじゃないかって、不安だったからさ。
「やんなっちゃう!」
またアリスはつぶやいた。
「ここらへんにマンションはないのかしら?」
アリス、生まれたときから自分はマンションに住んでいたものだから、この世界でもマンションを探そうとしたんだね。
だけれども、ほら、アリスはあんな高いところから地面を見下ろしたのだし、また、お菓子の山頂からあたりを見まわしもした。
もしあんなに高いマンションが(マンションは高いからマンションさ)あったのなら、目のいいアリス、気づかないはずがあったろうか?
「ないわ!」
アリスがぶんぶん首を振るもんだから、首がぽろっと取れちゃわないか、そのとき空を飛んでいたフクロウは心配したよ。心配ついでに、この困ってるふうの女の子のもとへ飛んでって、話を聞いてやろうともした。
バサバサと大きな音がして、アリスはびくっとした。こういう音を前に聞いたのは、真夏の強い台風のときで、あのときは風がたくさんの傘を盗んで、世界中にばらまいたのだった。
そのなかにはアリスのお気に入りの傘もあったから、アリスはすっかり台風がきらいになってしまった。まっ、好きな人っていうのも、ちょっと思いつかないけどね。
そんないやな思い出のある音だから、アリスがびくっとなったのも、べつに弱虫だからだ、ってわけではぜんぜんなかった。
ただ、アリスはすぐに思い直した。「いまんとこ、この場所の風は強くないわ」と。「だからあんな音がしても、それは傘が盗まれる音じゃない」ってね!
ホーホーと、フクロウは声を出してアリスにあいさつした。フクロウのあいさつには九種類あって、この声は、「もうすぐで日が沈んで夜が来そうなとき」のためのあいさつだった。
フクロウは礼儀正しいトリだから、生まれてすぐ、このあいさつを覚えなくちゃならない。そうでないと、子どもどうしのあいだで開かれるお茶会にだって入れてもらえないんだ。
アリスはあんまり、そういう細かなあいさつにはむとんちゃくだった。「こんちは!」と「さよなら!」くらいのもんだった。だから、アリスがフクロウじゃなくて人間の女の子なのは、けっこうさいわいなことだった。
「なにをしておるのかね?」
と、フクロウはアリスに訊ねた。その声がまた、カメやウサギと同じく、いかにもなものだったから、アリスはひどく感心した。
「朝を待てるような場所を探しているのよ」
と、アリス。
「朝はお寝坊さんだから……」
「そうかね。お寝坊さんかね」
フクロウは面白そうにいった。胸の羽毛が、愉快げにさざめいた。
「それなら、いい場所を教えてあげよう」
「ほんと!?」
「ただ、ひとつ」
フクロウの目が、きらっと光った。アリスがもうちょっと家庭教師の先生の話を聞いていたなら、そんな光を、「いたずらっぽい」ものだとわかったかもしれない。
「わしの出すクイズに答えられたなら」
「クイズ? いいよ!」
アリスははしゃいだ。そういう楽しいことなら、彼女は大好きだったからさ。
「では、いいかな」
フクロウはせきばらいしてから、アリスがわかりやすいように、ゆっくりと、ていねいに、一語一語はっきりと質問した。
「出ていると思ったら出ていなくて、出ていないと思ったら出ているもの、それはなんだ?」
「えー……」
アリスは首をかしげ、考えこんだ。初めて聞いたクイズだった。そして、あんまり面白くないなと思った。というのも、じつのところ、アリスが好きなのは、クイズに答えることで、クイズに悩むことではなかったからだ。
いまでも小さいアリスが、もっともっと小さかったころ、家に一冊の本があった。「クイズ・なぞなぞ大全集」という本だった。アリスは、その本を一ページ目からではなく、千三〇〇ページからめくった。なぜなら、そのページからなぞなぞの答えが明かされるからさ。
アリスはそれを全部暗記してから、ママやパパ、おじいさんやおばあさん、同じ年ごろの女の子たちに、その本を手渡して、こういった。
「どれでもいいからいってみて。きっと答えてみせるわ!」
アリスの答えは百発百中だった。みんなはアリスにすごいとすごいといって、アリスは得意になって喜んだ。
その遊びをやめ、本も失くしてしまったのは、しばらく経つと、他の子どもたちもなぞなぞの答えを暗記してしまったからだった。
「うーん……」
アリスはまだ悩んでいた。だって、このフクロウの質問は、あの本には載っていないものだったんですもの。それでも朝を待つための場所を探すために、一生懸命がんばってこらえてなんとかかんとかどうにかして、答えをいわなければならなかった。
アリスは、ここしばらくのあいだ、こんなに頭をしぼったことはないんじゃないかってくらい、頭をしぼった。おかげで、ぽたぽた、あんなにかまどで汗を流したのに、またたれてきた。
と、ここで、アリスはひらめいた! その証拠に、頭の上には豆電球さ。そろそろあたりも暗いんで、その光のまぶしさに、思わずフクロウは目をぱちくり。
「わかった、汗だわ!」
アリスは叫んだ。揺るぎない確信をもって。
「バツ」
フクロウはそういった。
「えー! なんで?」
「正解は」
と、フクロウ。
「歯肉炎じゃ」
「はあ?」
「ほれ、歯ぐきから血が出てると思ったときには、たいてい出ていなくて、出ていないと思ったときには、もっぱら出ているんじゃろう?」
「そ、そんなの」
アリスはかんしゃくを起こした。
「知らないわよ!」
「なんじゃ、わしと違って歯があるのに」
フクロウは不服そうにいった。
「サービスじゃろう」
「わたしはまだ小さいのよ。シニクエンなんてヘンなのと、縁なんかないわ」
アリスはがっかりした。せっかく、朝を待てる場所を教えてもらえると思ったのに、知らない問題を出されて、それに正解できなかったからだ。
「……まあよい。わしのあとについてきなさい」
と、フクロウは翼を広げた。細い体がいきなり大きくなったように見えて、アリスは正月に食べたモチを思い出した。
「ええっ、でも、当たらなかったから……」
アリスは小さな声でいった。
「なんじゃ、わしの話を聞いていなかったのか?」
フクロウの目がまた光った。今度はアリス、べつに教わったわけじゃないけれど、それがなんだか「いたずらっぽい」感じがするなと思ったよ。
「『答えたら』と言ったんじゃ『正解したら』とは言ってないぞ」
アリスは、なんとこのフクロウはかしこくて、なんといじわるなんだろう! と思ったさ。
フクロウに頼まれて、アリスは手に持っていた豆電球を手渡した。それをフクロウは、あの細いけれど、嵐にしなる木の枝みたいにしっかりとした足でつかんで、パッと空へ飛び立った。
豆電球がぴかぴか光っていたから、アリスがいる地面からでも、空のどのあたりをフクロウが飛んでいるのかが、一目瞭然だった。
またアリスは、フクロウはなんてかしこいのだろう! と思うのだった。
フクロウの飛ぶスピードはゆっくりだったけれど、アリスにしてみれば、ぜんぜんゆっくりではなかった。空と地面との間にはだいぶ距離があって、空のフクロウはゆっくりしているつもりでも、地上のアリスは全力で走らなければならなかった。
空にいるフクロウを見つめ続けていると、アリスは気づいた。「あら?」
「あんまり、真っ暗じゃないのね!」とね。
そう、空にはとんでもない数の星が光っていた。その数がどれほど多いのか、それをうまくいいあらわすのはむずかしい。アリスはフクロウを追いかけながら、うまくこの数をなにかに例えられないかと考えていた。
「ええと、そうね」
アリスは自分が知っているなかで、一番数が多いものをあげてみた。
「朝の電車に乗っている人の数より多いわ!」
ただ、それじゃあんまり伝わらないな、と思った。
豆電球を持ったフクロウは、さながら、学芸会で天井に吊るす、ハリボテの月みたいだった。それでアリスは、またまたちっちゃいころのこと(今よりもね!)を思い出した。
なんという劇だったか、アリスには思い出せないけれど――だってそのころからだもの。すごく忙しい習いごとが始まったのは!――自分がやった役は覚えていて、それは天使だった。
アリスは天井から吊るされていて、そこは舞台のどこよりも高かったから、満場のお客さん――もちろん、出演者みんなのパパやママさ――の一番うしろまで見ることができた。
そのなかに、アリスのママとパパもいた。ふたりは、なんだかヘタクソなアリスのにがおえを描いたうちわと、ずいぶんと大げさな、まるでテレビを作る人が抱えてるみたいなカメラを持って、しきりに手を振っていた。
「すごく恥ずかしかったわ!」
と、アリスはつぶやいた。
「でもあのときは……」
とここで、アリスは思い出をたどるのをやめた。
フクロウが降りてきたからだ。