第三幕 呼ばれた意味とその裏側
ロズワグン姫が何故に軟禁されているのか、凡そ分った。
そんな状態で、何故、異界より何かを呼ぼうとしたのか?
征四郎がそう問いかけると、渋みの強い野草の煎じ茶を飲みながらロズは更に話を続けた。
五人の屈強な賊と一人の使用人を結果的に殺したロズは、家族とも引き離されて人目に付きにくい山中の古城へと軟禁された。
これが武芸に寄る物ならば、何とでも言い繕う事は出来たが、タブー視される死霊術を使っての事だったのが問題とされた。
王家の外聞を気にした王により行われたこの処置が、結果的に彼女を死霊術にのめり込ませた。
家族の同居は許されず、使用人は徐々に減っていく状況。
残った使用人も最低限の世話をするだけで、ロズを恐れて進んで近づこうとはしなかった。
そんな状況でありながら、死霊術に関する書物だけは滞りなく手に入るのである。
一体、どんな作為が働いているのかと、十三歳の時に出会った黒衣の巫女の姿を思い浮かべたと言うロズだったが、最早その作為など如何でも良くなっていたと息を吐き出す。
のめり込む物が其処にしかなかったからだ。
こんな状況で誰かが訪ねる事も無く、数年が過ぎれば、快活で聡明だったロズワグン・エカ・カムラは内向的で根暗なネクロマンサーへと変容していた。
例え忌み嫌われるネクロマンサーであろうとも、ロズは十六歳の娘である。
十三歳のあの日までは、家族と暮らしていたロズにとって、孤独とは辛い物だった。
だが、使用人は決して彼女と会話をしようとはしない。
ならば、死霊でも呼び出してみようかとロズが思うようになったのは無理もない。
生と死の概念のタガが外れかかっているロズは、安らぎを死者に求めようとした。
呼ぶのは知性ある死者が良い、そうでなくては意味が無い。
覚えたての高度な死霊術を行うべく、魔法円を描き、呪文を唱える。
新たな出会いへの期待から知性ある死者を呼び出そうとしたと告げるロズの、力なく垂れ下がった金色の柔らかな毛に覆われた狐耳が、彼女の心情をよく表している。
だが、ロズが最後の祈りの句を唱え終えても、その時は特に何も起こらなかった。
魔法円が光る事もなければ、死者が語りかけて来る事も無かった。
「失敗、か」
或いは死者ですら彼女と話したいと言う者はいなかったのかも知れないとロズは考えてしまう。
それほどまでに彼女は深く沈んでいたのだ。
それならそれで良い、そう自棄になりながら呟いて、ロズは魔法円を消して肩を落として部屋を出て行った。
ただ、その時より変化は訪れていた事を征四郎は知っていた。
老いた騎馬族の霊が密かにこの地に現れていた事を。
如何やら使用人達も知っていた様だが、彼らは決してロズに伝える事は無かった
王により、硬く禁じられていたからだ。
征四郎が密かに盗み聞きした内容によれば、王は使用人にロズとの接触を禁じていたようだ。
ロズを哀れに思い、声を掛けたり、接触を持とうとしたものは告げ口され、辞めさせられた。
今、残っている使用人達は完全に王の手先であり、ロズが孤独のまま精神がおかしくなろうが如何でも良いと考えている連中だ。
そんな連中に最低限の世話をさせ、まるで孤独に追い込み、暴走させようとでも言うかのような、カムラ王の態度は征四郎をイラつかせた。
ロズは再び続きを話し出す。
死者の呼び出しを試みたあの日から更に半年が過ぎた。
もうすぐ誰も祝う事が無い十七歳の誕生日が来る。
慣れたとはいえ、やはり寂しさを和らげる何かを求めていた彼女の元に、より高度な死霊術の本が届いた。
この本のやり方ならば、今度は成功するのではないかと考えた一人ぼっちのネクロマンサーは、懸命に本を読み進め、再び死者の召喚を行う事にした。
粉々に磨り潰した白い結晶石で以前より複雑化した魔法円を描く。
呪文を口にすると、魔法円が鳴動して地揺れが起きた。
ロズは口元に笑みを浮かべて成功を確信しながら、力を高めるために双眸を瞑った。
「そして、目を開けたら血まみれのカルサドレがおったのじゃ」
そう笑うロズの様子を征四郎は赤土色の双眸を細めてみていたが……不意に気付く。
ロズに呼ばれる直前に、自分が垣間見たアレは何だったのだろうか?
何やら悪意ある存在が彼女を乗っ取るとジュアヌスは言っていたが……。
その答えはその日の夜に知れた。
老いた騎馬族の霊ことラギュワン・ラギュが教えてくれたのだ。
あの召喚時の真実を。
ロズが双眸を閉じた瞬間に事は起きていたと言う。
周囲が闇に覆われた様に暗くなったのだと。
蝋燭は燭台に灯っているのに、部屋はみるみる暗くなり、空気が重くなった。
ロズも空気の変化には気付いていた様だが、儀式に集中していた所為か双眸は開けなかったとラギュワン・ラギュは言う。
そして、変化は当然それだけでは無かった。
魔法円が怪しく明滅を繰り返して、遂に人影を浮かび上がらせた。
それは、白い髪が艶やかな狐獣人の女。
纏う衣服は古い神職の物であり、口元には艶然と笑みを浮かべ、復活の時を待ち侘びる様に恍惚に真紅の双眸を細めた。
今にもロズを抱きしめて、取り込んでやろうとするように両腕を伸ばす古の巫女。
「我が使命は、その魔の手から姫を守り、お主を引き合わせる事だった」
師はそう語る。
ロズとの出会いに何の意味があるのかは分からないが、その白い巫女が垣間見た悪意の元凶であろう事は分かった。
白い古の巫女が恍惚とする中、城に潜伏していたラギュワン・ラギュの霊がふわりと現れて魔法円に干渉をした。
干渉の結果、白い結晶石で描かれていた紋様が変容して『忘』『死』『不』『倒』と文字めいた姿に変えたのだと。
その変化に驚愕し目を見開いたのは、魔法円の中の白い髪の女だ。
自身の姿が掻き消えていく様を認めると、白い柔毛に覆われた狐耳を立てて、美しい顔を歪ませ凄まじい形相で老いた騎馬族の霊を睨んだ。
老いた騎馬族は、自身の顔を隠す黒い布の向こうから、双眸を見開き赤土色の瞳で白い髪の女を睨み返した。
霊同士の対峙は一瞬の事。
すぐに白い髪の古き巫女は消え去り、代わりに現れたのは……黒い髪の男。
全身を血に塗れさえ、数多の傷を負った征四郎だったと言うのである。
瀕死の男を見つけたロズは驚きながらも傍に駆け寄った所まで確認して、老いた騎馬族の霊はすっと城の闇の中へと消えたのだと言う。
全てを聞き終えた征四郎は、暫し黙っていたが、確認するように師である亡霊に問い掛けた。
「ロズ……ワグン姫を狙う何者かがおり、王もそれに加担していると?」
「そろそろ使用人共から報告を受けた王が何か手を打つであろう、心するのだ、征四郎よ」
師の予言は程なくして当たる。
王が、姫の周りをうろつく不逞なアンデットを滅ぼせと兵を派遣したのだ。
その一団の長は、ロズの弟……。
これは、王の長子であった兄の子を亡き者にし、王権の固定化を狙った王の策略でもあった。