第二幕 姫の事情
ロズワグン・エカ・カムラ。
それが彼女の名前である。
カムラ王国の王族にして、ネクロマンサー。
王族などと言う立場の彼女が死霊術に手を染める様になったのには、以下の様な訳があった。
話は彼女が十三歳の頃に遡る。
姫と呼ばれる身分の彼女が死人を操る術を手にした切っ掛けには、カムラ王国に古くから伝わる因習が関係している。
女は要職に就けないと言う因習が。
「ロズは相変わらず強いな」
「盤上でいくら強くても仕方ないのじゃ」
幼い頃から姫は良く父親と盤上ゲームをしていた。
十三歳になろうかと言う頃合いには、父親を超える指し手になったが姫は何処か満たされることはなかった。
ただ、父に褒められると嬉しかったのだとは語り、笑った。
ロズワグン姫の父親は穏やかな人物であったが、寝台で人生の大半を過ごす程に病弱で、長男でありながら王権を手にする事は無かった。
それ故に、姫の家には王家に対して素朴な忠誠心を持つ様な者しか訪れる事は無く、姫が普通ならば諌められるような夢を持っていても誰も何も言わなかった
ロズワグン姫は、兵を指揮すると言う、奇特な望みを持っていたのだ。
何故かは分らないと姫は語る。
どうしてそれを欲するのか、何度考えても分らないが、魂の根底がそれを欲しているのだと語った瞬間に、征四郎は何とも言えない感覚を覚える。
魂の根底からの声は、征四郎を死から救う一手となったが、彼女にとってはどうなのかと不安にも思えた。
それはさて置き、ロズワグン姫……彼女の家族は愛情をこめてロズと呼ぶこの姫は、何故にか兵権を欲していたが、それは叶わない事だとも知っていた。
「性別で先を決められるのは嫌じゃったが、どうしようもなかったからな。……ああ、カルサドラ、余の事はロズと呼んで良いぞ」
会話の最中、突然そんなことを言われ征四郎は、僅かに慌てたが、姫の……ロズの顔に赤みが差していることに気付き、その勇気に答えるために頷いた。
話を戻すとロズには兵を指揮する才能が確かに有った。
彼女が得意とした盤上ゲームは、ただのゲームではなく、才能を測る側面があった。
ロズの父からして、そのゲームの強者であったので、彼女は兵権を有する要職に就けただろう能力の片鱗を十三歳の時点で示していたのだ。
だからこそ、当の本人は何故自分が兵権を持つ身分になれないのか、その理由は分っていても納得はできなかった。
ロズは考える、男だ、女だで才能に差が出る物なのか?
確かに剣を振うには力不足だが、兵を指揮するのには必要ない筈だ。
或いは、女だと兵士が従わないと言うのだろうか?
他国を見れば、男女に区別なく騎士が居り、場合によっては姫が剣を取り兵を指揮している国もあると言うのに?
いや、カムラ王国とて、随分昔には神託の巫女が統治をしていた時代だってあった筈……。
そう考えれば考える程に現状への不満が溜まったと、少し疲れた様な瞳でロズは語る。
最も、当時もそれを口に出すほど彼女は愚かでは無かったので、一人悶々と暮らしていた様だが、それ以外には不満はない暮らしだったと懐かしげな声には寂しさが紛れていた。
そんな姫に転機が訪れたのは旅の神職が彼女の家に逗留した時の事だ。
物腰柔らかな黒装束の巫女は、彼女に向かってそっと告げた。
「貴方様には、死霊を操る才がおありですね」
「余は兵士を指揮したいが、死霊を指揮したいとは思わん」
死霊術は一般的には忌むべき術、忌避感からそう答えた彼女に黒い巫女はそっと微笑み告げた。
「カムラ王国において貴方様が生者の軍団は指揮するのは難しいでしょうが、死者の軍団ならば指揮する事も叶いましょう」
その言葉に背筋を冷たくしたロズは返答せずにその場を離れたが、その言葉はしこりの様に胸中に残り続けた。
黒い巫女はそのあと数日逗留するも、その間は死霊術に対する興味など一切出さずに過ごしたロズであったが、巫女が去って一ヶ月、二ヶ月と過ぎていくといつの間にか死霊術に関する書物を読む様になっていた。
他人の死を愚弄してまで叶えるべき夢か、否か。
何故こうまで兵を指揮したいのか分からないままに、彼女は書を読み進め、知識を蓄えた。
何者に願えば死者が起き上がり、何を命じれば死霊が舞い踊るのかを知り得た彼女だったが、流石に実践まではしなかったのだと言う。
あの日が訪れるまでは。
そう語るロズの言葉には、苦々しさが込められていた。
その日は、朝から雪が降っていた。
その日は、父母は珍しく王城に呼ばれて出掛けていた。
そして、二つ下の弟は戦士団に混じり剣の稽古に出かけていた。
ロズの家には、僅かな使用人と彼女しか居なかった。
老いた夫婦と年若い娘、それにロズが家にいるばかりだった。
そこに、まるで計ったように賊が押し入ったのだ。
老いた夫婦は懸命に抗戦し、ロズを逃がそうとするが兇賊の刃に、一人、また一人と倒れて行く。
最早逃げきれぬと悟った彼女は、生き残った若い娘の使用人と共に簡易な罠を張り、時間稼ぎに出た。
時間を稼いで何をするのかは、言わずと知れていた。
身を隠しながらの死霊術の行使である。
設置した簡単な罠は一つ、一つと解除されて行く。
生き残った使用人の娘が、怯えの為に物音を立ててしまい、居場所もばれた。
もう時間も稼げない。
血に酔った凶賊達のせせら笑いが近づく。
生き残った娘は怯え震えていたが、ロズは覚悟を決め遂に一線を踏み越えた。
老夫婦が生きている間に決心できなかった自身を責めながら。
「冥府の神よ、余は乞い願う。ル・サバタン・フ・ブロー」
冥府の神への嘆願し、凶賊の命を捧げる制約を結ぶ。
貯えられた知識が、実践を経て力へと変わる。
扉を激し叩き壊そうとする物音に合わせる様に、ロズは謡い、唱える。
死霊に剣の舞いを踊る事を命じる歌を。
扉が今にも破壊されようとした瞬間、凶賊達はどれほど驚いただろうか?
そして、その後に生じた恐怖は?
ロズには、直後に聞こえた絶叫以外にそれを知る術はなかった。
束の間の騒乱はすぐに終わりを迎え、しばらく様子を見るが聞こえてくる物音はない。
扉の下から真っ赤な血がにじり寄ってくるのを見れば、ロズは一言呟く。
「……これで終いか」
小さく呟くロズを怯えたように見上げた使用人の娘。
その瞳に宿る怯えに隠れた憎悪を見て取り、ロズは気付いた。
「貴公の手引きか、残念だ。良く働いてくれていたのに」
いつの間にかナイフを手に取り、ロズに襲い掛かった使用人の娘は、すぐに胸元を苦しげに抑えて吐血した。
「賊であるならば……貴公も贄になる」
神に捧げたのは凶賊全ての命、その一味であるならば彼女もまた、死霊の餌食となる。
血だらけの老いた狐獣人が壁を透過して血に塗れた腕をナイフ振り上げた娘に突き立てる。
みるみる生気を失い、体を震わせながら命を奪われていく娘。
「皮肉よな」
己が手引きして殺させた老いた使用人に殺される娘を見つめながら、ロズは小さく呟いた。
一線を越えてしまったロズは、しかし、その事実から視線を逸らそうと外を見やる。
ぶ厚く濁ったガラスの向こう、真っ白な景色の中に黒い影を見た気がした。
きっと、笑っているであろう黒巫女の姿を。
「きっと、嵌められたのだろうな、余は」
そう征四郎に語るロズの眼差しは暗かった。