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幻想怪異録(旧版)  作者: 聖なる写真
2.永遠の契約
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4:塵に還る


「―――それで、 これからどうするんだ? 」


 そう尋ねた間宮刑事の言葉に円も穂村も何も言えなかった。

 そもそも、 何の証拠もないのだ。 円が取り押さえている男―――穂村の父の肉体を持つ上糸 振夢には彼の義理の息子を殺したような証拠も、 これから自身の孫の精神を乗っ取ろうとする証拠もなかった。

 当の振夢本人は目論みがばれたショックからか、 ブツブツと非常に小さい声でわけのわからないことを呟いていた。


「……あー、 実は」


 円と穂村には案があった。 それは振夢の持っていた魔導書と彼が書き残した研究レポートに記載されていた魔術。 その名も“契約の破棄”

 効果は単純明快で、 振夢が契約したという『塵を踏み歩くもの』との契約を無効化するというものだった。 これを振夢に対して行使すれば、 振夢は永遠の命を得ることはなくなる。

 ただし、 それでは円達の目的である振夢の“精神交換”を止めることなどできない。 なので、 円としてはこの魔術を脅しにして、 穂村への精神交換を辞めさせたかった。 どこまで効果があるかは分からないのだが。

 とりあえず、 伝えるだけ伝えてみるかとちょうど小言を言い終えた振夢に話しかけようとした円だが、 振夢の表情を見て言い知れぬ恐怖を感じた。


 振夢は笑っていたのだ。 追い詰められているというこの状況で。


「―――っ先輩!」

「!」


 穂村の声に応えるように振り向いた円は、 軟体状の黒い影が自身に襲い掛かってくるのを目にした。 軟体ながら、 円の頭部を鋭く狙う一撃。 その一撃をとっさに仰け反ることで黒い影からの一撃を回避するが、 取り押さえていた振夢に隙をつかれて腕を振り払われてしまう。 再び押さえようとしたが、 黒い影が今度は円の胴に鋭い一撃を打ち込もうと襲い掛かって来たので、 今度は振夢の身体から離れるように飛び退く。


「……なんだあれは」


 呆然と呟く間宮の言葉と共に、 黒い影は振夢を守るようにその軟体の身体をくねらせる。 知性があるのか、 先端を後ろにいる円と正面にいる間宮達の交互に標的に定めるかのように揺れている。

 その光景を見ていた穂村は振夢の研究レポートに書かれていたことを思い出した。


 それは、 『塵を踏み歩くもの』とは異なる神の落とし子。

 それは、 いかなる武器の影響を受けない怪物。

 その名は―――


「『滑る影』」


 その声に反応したのか、 一般的な成人男性を超える大きさを持つ影は声の主である穂村の方に狙いを定める。

 しかし、 それを見た円が振夢に駆け出す。 術師である振夢の意識を刈ることで、 『滑る影』このコントロールを失わせるためだ。 怪物よりも人間の身体をしたものの方が相手しやすいというのもあった。 ようやく起き上がったばかりの振夢はギョッとしているがろくな防御を取ろうとしない。


 ―――手加減無用!


 勢いのままに放たれた右の拳は回避も防御もできなかった振夢の顔に突き刺さることはなかった。

 パチャンと粘性のある液体に、 『滑る影』に阻まれたのだ。

 そのまま、 円の右拳を自身の中に取り込むと、 彼女をおもちゃのように振り回す。


「う、 おおぉおおお!?」


 女性らしくない悲鳴を上げながら、 なすすべもなく回される円。 元々、 身長が高い彼女にとってこのような形で振り回されるのは予想外の事だった。 そもそも、 この現代社会、 このような形で振り回される経験などそうそうないだろうし、 それに対する対策などあるはずもなかった。

 そして振り回した勢いを活かしたまま、 『滑る影』は円を穂村と間宮がいる上糸家のベランダへと投げ飛ばす。

 ガシャン! と大きな音がして、 円はベランダのガラスを突き破りながら、 部屋の中へと叩きつけられる。 「いったぁ……」と小さな声を上げながら、 起き上がったその頭は自身の血で濡れていた。


「動くな!」


 刑事である間宮が拳銃を抜いて振夢に向けるが、 当の振夢は焦ったようには見えない。 それもそのはず、 『滑る影』が間宮と振夢の間を遮るように滑り込んだためだ。 『滑る影』の強さを知っている振夢からすれば、 間宮の拳銃など恐れるに足りないのだろう。 そもそも、 振夢は知らないが間宮自身拳銃の扱いはあまり得意ではない。


「くそっ!」


 制止の言葉を聞こうともしない振夢に煮えを切らせたのか、 見たこともない『滑る影』への恐怖からか、 間宮は拳銃―――M360J SAKURAと呼ばれるリボルバーから三発の拳銃を発射する。 しかし、 三発中『滑る影』に命中したのはたったの一発で、 その一発も『滑る影』を貫くことができずに、 運動エネルギーの尽きた弾丸がポトリと『滑る影』から零れ落ちた。


「ど、 どうしよう……」


 その光景を見ていた穂村は焦っていた。 振夢が残した研究資料には『滑る影』についても書かれていた。 物理的な攻撃は一切通用しないことが明記されており、 それは目の前の光景が証明してしまっている。

 一応、 火や化学薬品での攻撃ならば『滑る影』に損傷を与えることができるとも書かれていた。 しかし、 この田舎に化け物に影響を与えることができような化学薬品など存在していないし、 火は論外。 この住宅街で『滑る影』が火だるまにでもなろうものならば、 ここら一体が火事になりかねない。 当然ながらそのような惨事は避けなければならない。

 迷っている穂村が見えたのだろう、 振夢はニヤリと嗤うと一歩一歩とこちらへと近づいてくる。 隣に立っていた間宮が慌てたように拳銃に残っている弾丸を撃つが、 『滑る影』が全て受け止めてしまう。 当然『影』は傷一つついていない。

 恐怖と焦りで心が塗りつぶされそうになる中、 背後から声が聞こえた。


「“契約の破棄”を」


 声の主は円だ。 穂村の後ろから現れて、 そのまま脇を通り過ぎようとする。 頭から血を流しながらも目の光は失われていない。

 「でも」と呟く穂村の肩を軽くたたき、 「頼んだよ」と伝えると、 彼を守るように『滑る影』、 上糸 振夢と対峙する。


「―――はい!」


 力強く答え、 振夢が残したレポートに記されていた“契約の破棄”の呪文を唱え始める。 穂村の唱え始めた呪文から彼らの狙いが分かったのだろう。 慌てた様子で、 『滑る影』に攻撃を命じた。


「させるか!」


 『滑る影』の鞭のような一撃を、 手刀で打ち落とす。 打ち抜くような一閃を半歩下がることで回避すると同時に横から掌打を当てることで穂村に向かわないように攻撃をそらす。 捕らえるかのような触肢を捕まらないように動くことで回避する。 振夢や『滑る影』を攻撃するのではなく、 『滑る影』からの攻撃をしのぐことで穂村が呪文を唱える時間を稼ぐ。


「もういい! 飲み込め!」


 しびれを切らしたらしい振夢の叫びに応えるかのように『滑る影』はその不定形の身体を変化させる。 鞭や触肢のような攻撃から円と後ろにいる穂村を飲み込まんとする動きに。 一般的な成人男性よりも超える大きさを持つ『滑る影』が二人を飲み込まんとする動きは、 まるで小規模ながら黒い津波を思わせた。


「俺を忘れるな!」

「!? キサマァ……!」


 その動きを止めようと術者である振夢に突っ込んだのは拳銃を撃ち尽くした刑事、 間宮だった。 全力タックルに小柄な振夢の肉体はあっけなく吹き飛ぶ。 『滑る影』が主の異変に気付き、 それを救おうとしたとき、




 “契約の破棄”は唱えられた。






 †






 今の時間帯は夜だ。 そのはずだ。

 しかし、 穂村が“契約の破棄”を唱え終わったとき、 上糸家の庭は街灯でも月明かりでもない奇妙な灰色の光に包まれていた。 焦点は振夢に合わせられている。

 灰色の光の出所を求めてはるか上空を眺めれば、 そこにいたのは『神』だった。


「あ、 あぁ……」


 絶望か、 恐怖かいずれにしろ振夢は声を絞り出そうとしても言葉にならない声しか出せなかった。


 その身体は小さな子供くらいの大きさしかなかった。 しかし、 その肉体は千年、 いやそれ以上の年月を経たミイラのように干からびていて、 皺だらけだった。 毛が一本も生えていない頭にも、 骨と皮だけしかないような細い首の上についている目鼻立ちのない顔にも、 無数の網目状の筋が付いていた。

 先端に骨のような鉤爪の付いた管上の腕はまるで永遠の手探りをしている形で硬直しているかのように前に突き出されたままになっていた。


 記述にある通りのその姿を振夢は見た記憶がある。

 かつて、 この肉体になる前の、 上糸 振夢本人の肉体だったころ。

 永遠の命欲しさにこの神と契約したのだ。 永遠の命を与える、 または肉体を塵にしてしまう力を持つ彼の神と。

 『塵を踏み歩くもの』、 真の名は『クァチル・ウタウス』。


 今、 彼が召喚されたのは永遠の命を与えるためではない。 かつての契約者に罰を与えるためだ。 『破滅』という名の罰を。


「ヒッ、 ヒィイィィイ!」


 小柄な体躯とは思えない力で、 振夢は間宮を突き飛ばすと、 どこかへと逃げ出した。 そう、 “どこか”へだ。 目的地など振夢自身も分かっていない。 ただ、 かの神から少しでも遠くへと離れることを考えていた。

 ただ、 『神』がそのような行為を許すわけもなく、 クァチル・ウタウスは地面に降り立つと、 干からびたその足を曲げることなく、 滑るように振夢を追いかけていった。

 その途中で、 『滑る影』が主を守ろうとクァチル・ウタウスの前に立ちはだかるが、 クァチル・ウタウスが『滑る影』 に少し触れるだけで、 『滑る影』は塵になってしまった。 円達を苦しめた怪物でさえ『神』の前には無力だったのだ。

 振夢とクァチル・ウタウスがいなくなってからしばらくして、 振夢の悲鳴があたりにとどろいた。 かと思えば、 少し遠くで再び灰色の光の柱が天高く伸びていき、 クァチル・ウタウスと思しき影がその柱を伝って天に消えていった。 愚か者に罰を下した『神』は再び天へと帰っていったのだ。


「なにあれ」


 ボソリ、 と沈黙を裂くように円が呟いた。


「なにあれ、 訳が分からないんだけど。 なにあのミイラ。 なんで空から降って来たの? 本当に訳が分からないんだけど。 一体どうなってんの。 あの『滑る影』も一瞬で塵にするし、 米軍? 米軍の最新兵器なの? 神の杖なの? それとも最新型の細菌兵器なの? そんなわけないよね、 もうほんとうにわけがわからない……」

「先輩!?」


 一息で次々と言葉を綴る先輩の奇行に、 深夜だということも忘れて思わず大声を上げる穂村。 助けを求めようと刑事の方を振り向いてみれば、 刑事の方は泡を吹いて気絶していた。


「え、 えぇ〜……」

「ところでさ、 穂村君。 さっきのアイツの絶叫で近隣住人が気付いたと思うんだ。 ほら、 見てよ。 周りの明かりが次々点いてる。 いや、 違うかな。 多分ここで私達含め盛大に暴れた時の騒音で、 目を覚ましたのかな。 だとしたら大変だね。 あのわけわかんない存在見た人がいるかも。 というか、 もう通報されているかもしれないから今のうちに言い訳考えた方がいいんじゃないかな。 私としては、 強盗でごまかそうと思うんだ。 ところでなんで刑事は気絶してるの? 私が気付かないうちに頭でも打ってた? そしたら」

「先輩、 分かりましたから。 といか、 先輩もケガしてるんで少し休んでいてください。 お祖母ちゃんや周りへの説明は僕がしときますから」

「えっ、 あの、 この話はまだ終わってな」

「ハイハイ、 そうですね。 大変でしたね」


 まだ、 喋り足りなそうな円を強引に家の中に入れる穂村。 その後、 気絶している間宮を少々乱暴な形で起こすころ、 パトカーのサイレンの音がこの植酉町に響き渡る。

 どうやら、 円が言ったように誰かが通報したらしく、 家の周りではザワザワと近所の人たちが起きた気配がする。

 家の中では穂村の祖母が心配そうにこちらを眺めていた。 なので、 そう穂村が笑顔で答えた。


「大丈夫だよ、 全部終わったから」


 孫の奇妙な言葉に 「はあ」と、 どこか納得のいってないような声で答えた祖母だが、 ベランダの窓ガラスが割れていることに気付いて仰天した。


「どういうことなの!? わたしが寝ている間に何があったの!?」

「あ、 お婆さん。 強盗ですよ強盗。 私も頭をガツンとやられまして、 でもまあ、 穂村君と一緒に強盗を追い払ったのでもう大丈夫ですよ。 ええ」

「……あの娘、 あんなに喋るタイプだったか?」

「……僕の記憶ではあんなに喋るタイプじゃなかったと思います……」

「ところで、 俺は他の人になんて説明すればいいんだ……」

「先輩が言ってるみたいに強盗のせいにしましょう。 刑事さんはたまたま駆けつけてきたということで」


 詐欺師かペテン師のような口調で話す円。 それを眺めながら何処か疲れ切ったような口調で話し合う男二人。




 どこか閉まらない風景の中、 どこからかやって来た鴉が慌ただしそうに、 闇夜の中を飛んで行った。



次回、 エピローグ。

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