2:奇妙な因縁
間に合った!
深夜だというのに、 上糸家前はパトカーと野次馬の集団が大勢いた。 野次馬達は皆、 勝手な憶測を話し合いながら、 好奇心を押さえきれないように事件現場となった玄関を眺めている。 立ち入り禁止となった上糸家では鑑識が玄関内を所狭しと動き回っている。 遺体はすでに運び込まれているが、 時折流れてくる悪臭に鑑識だけではなく、 野次馬も顔をしかめた。
時刻は午前三時。 起きるには早すぎて、 眠るには遅すぎる時間帯だ。
「……うん、 分かったよ。 じゃあ、 今日はもう遅いし、 ここまでにしよう」
そう言って若い刑事は手帳を閉じる。 清山県警の機動捜査隊に所属しているという彼は死体を見るなり、 真っ青になって吐いていた。
まあ、 彼だけではなく、 110番通報を受けてやってきた警官達も吐いていたので彼一人が悪いというわけではないのだが、 上糸玄関に漂う悪臭は半分ぐらいが誰かの吐瀉物が原因なのは間違いないだろう。
ここは上糸家の居間。 腐敗した訪問者がやってくるまで、 女二人が盛大に飲み明かしていた場所である。 今も空になった酒瓶が転がっており、 最初やってきた刑事は顔をしかめていたのを円は見ていた。
「また明日聞くことになるけど大丈夫か?」
「ええ、 はい」
若い刑事の相方だという壮年の刑事の聞かれて、 代表して答える円。
何故、 この家とは関係が薄い彼女が中心になって答えているかというと、 穂村の祖母は完全に動揺しており、 穂村はそんな祖母につきっきりになっているためだ。
円自身が知っていることは全て話したが、 彼女自身も動揺していたので、 どこまで正確な事を覚えていたかは分からない。 おそらく、 大した情報にはならないのだろう。 壮年の刑事はどこかつまらなさそうな表情をしていた。
二人の刑事と鑑識の集団が上糸家を後にすると、 家の前で群がっていた野次馬も一人二人と自身の寝床へと帰っていき、 再び片田舎の夜に相応しい静寂があたりを包む。
ふと一息つけば急に眠気が襲ってくる。 散々清酒を飲んだ後に、 奇妙な事件が発生し、 そのまま今の時間まで警察から事情聴取を受けていたのだ。 気を抜けば、 大きな欠伸がなんのためらいもなく口から出てくる。
そのまま寝ようと、 用意された客間へとフラフラと歩く。 客間の扉を開けようとしたところで、 後輩である穂村が声をかけてくる。 先程まで大分ショックを受けていたのだが回復してきたらしい。
「あ、 先輩。 明日……っていうよりはもう今日なんですけど、 日が昇ったら三人で神社に行きませんか?」
「お寺?」
「ええ、 聖鸞神社っていう近所にあるお寺なんですけど」
そのまま、 穂村が言うことには祖母が時折、 墓参りに行くついでに訪れている神社で、 その際に神主とよく茶飲み話をしているそうだ。 今晩の事件で急に不安になった祖母が、 厄除けをその神主に頼みたいそうだ。
「その際に一緒に厄除けをしてもらったらどうかと……」
「分かったよ。 何時になるの? できれば遅い方がいいんだけども」
厄除けは厄年にしてもらうものではないのかという突っ込みは置いておく。 完全に腐敗したモノが家までやってくるなんて“厄”以外の何物でもない。 気休めでもいいから何か安心感を得たいであろう穂村の祖母の事を考えると、 無理に訂正する必要はないだろう。
「じゃあ、 十一時ぐらいでいいですかね? そのままお昼ご飯に行く感じで」
「それでいいよ……ふぁ」
簡単に話をまとめたところで再び欠伸が、 もうほとんど頭も回っていない。
そんな先輩に気を使ったのだろう、 「ではまた」と言いながら穂村は自室とは違う方向、 祖母の寝室に向かっていく。 どうやら今日は祖母と一緒に寝るらしい。 祖母の方から離れないでほしいと頼まれたのだろうか。
そんな後輩を寝ぼけ眼で見つめながら、 円も自分に用意された客間に入る。 そのまま、 布団にもぐるとあっという間に眠りに落ちていった。
†
翌朝、 というよりももはや昼に近い時間帯。 円は穂村の祖母が運転する軽トラックの荷台に乗っていた。 聖鸞神社は車で十分ほどの距離にあり、 流れていく景色を楽しんでいたらすぐに聖鸞神社に到着した。
聖鸞神社は山の上にあるというわけでもなく、 町から少し離れた場所にポツンと建っていた。 建物の規模としてはそれほど大きいわけでもなく、 円が知る限り一般的な神社という印象を受けた。 寂れている様子もなく、 日ごろから人が訪れていることが感じられた。
「分かりました、 それでは三人ともこちらへ」
初老の神主は事情を聴くと、 すぐに厄除けを引き受けてくれた。 奥に進み、 そのまま三人そろって厄除けを受ける。 急な訪問にもきっちりと対応してくれた神主は社務所にある客間まで三人を案内すると、 昼食がまだだという三人の為に、 いくつかの菓子とお茶を持ってきてくれた。
「深夜の事件については聞いていますよ。 大変だったでしょう」
「えぇ、 まあ……」
神主が励ますように話しかけると、 事件の事を再び思い出したのか、 顔を蒼くする祖母。 それでも、 神主と他愛ないことを話しているうちに少しずつ元気を取り戻したのだろう。 二時間も経つ頃には、 出されたお菓子を食べ、 お茶を飲みながら笑顔で喋っていた。
同じ様にお菓子を食べながら話を聞いていた若者二人だったが、 円はふと思い出したように、 「夢の事を相談してみたらどうか」と穂村に問いかけた。
神主と祖母の二人が「夢?」と言いたげな視線を穂村に向けると、 困ったような表情をしながら、 穂村は以前、 円に話したことをそのまま二人に話した。 自分が森の中をさまよっている夢を、 その顔が父のものになっているという夢を。
夢の内容を聞いて、 祖母は強いショックを受けたようで、 再び顔を蒼くしていた。 が、 顔を蒼くしていたのは祖母だけではなく、 神主もだった。 なにか思い当る節があるらしい。 五分ほど悩んだ様子を見せると、 意を決したように真剣な表情をして、 真っすぐに穂村を見据えた。
「実は、 同じ様な相談を受けたことがあります。 七年ほど前……あなたの御父上から」
「……え?」
七年ほど前、 穂村が中学生になる前に行方不明になったという穂村の父。 彼も同じようなことで悩んでいたという事実に、 動揺する穂村。 穂村の祖母と円も驚愕に目を開いて、 神主の顔を見る。 そこからは嘘や冗談を言っている雰囲気は全くなく、 相談を受けたことが真実であると感じられた。
「七年ほど前……確かあれは今と同じぐらいの時期で、 日も暮れてきた時間でした」
神主はお茶を一口飲むと、 話を続けた。
「その時の彼は酷くやつれていて、 非常に動揺しておりました。 ……いえ、 あれは動揺というよりも錯乱と言った方が近いですね。 ともかく、 錯乱していた彼を何とか落ち着かせて、 話を聞くと、 近頃奇妙な夢を見るというのです……自分の養父、 上糸 振夢と精神が入れ替わるような夢だそうです」
その言葉を聞いて更に顔を蒼くする。 穂村の祖母。 上糸家に起きた悲劇についてよく知らない円と、 そもそも祖父の事をよく知らないという穂村の様子を見て、 「コホン」と一息つくと、 神主は穂村の祖父、 上糸 振夢について話す。
「実は、 上糸さんの夫である上糸 振夢はちょっとしたオカルト研究者だったんです。 そういった雑誌にも何度か寄稿していらしたようでして……暁大君が生まれる三年ほど前、 謎の奇病にかかってしまったんです」
「背骨がひどく捻じ曲がるという病気で……大きい病院で診てもらったんだけど何も分からなくて……あの人は『儀式に失敗したんだ』とうわごとのように呟いていたの……」
神主の言葉に続くように穂村の祖母が話す。 その目には涙が浮かんでおり、 ハンカチで目元を拭っていた。 祖母の悲痛な様子を見て、 何も言わずにいる穂村はやがて、 決意したように神主に話の先を促す。
「その後、 しばらくして、 振夢さんは行方不明になったといいます。 その後、 一切の音沙汰もなく、 死亡認定されました」
三つあった位牌のうちの一つがそれだったということか。 部外者である円は冷静にそう分析した。
「話を戻します。 彼が見た夢というのは、 暁大君が見たのと同じような物でした。 森の中をさまよう自分ではない存在になる夢―――彼の場合は養父である上糸 振夢であったわけです。
その時はただの夢だと考えてしまい、 一度精神科医などに相談してみてはいかがと言ったのですが……」
今思えばもっと真剣に対応してあげればよかったのかもしれません。
そう締めくくった神主に何も言葉も出ない三人。 そんな三人を見て、 神主は「あぁ、 そういえば」と言葉を続ける。
「確かもう一度来られたことがあります。 その時はさらにひどくやつれていたようでしたが、 『養父がとんでもないことをしようとしている。 息子のためにも止めるしかない』とおっしゃっていました」
「お父さん……」
そう呟いた穂村の目はどこか寂しげだった。
†
その後、 聖鸞神社から出た三人は再び、 穂村の祖母が運転する軽トラックに乗った。 その際も移動中も何の会話もなかった。
今この場にいない穂村の父について想いを巡らせている穂村と祖母。 荷台に乗りながら、 穂村の父が残した言葉について考える円。
二十一年ほど前に行方不明になった穂村の祖父、 上糸 振夢。 そして、 七年前に今の穂村のと同じような夢を見たという穂村の父。 そんな父が残した振夢の陰謀。
一度、 上糸家で彼の事を調べた方がいいのかもしれない。 そう考えていた時、 急に軽トラックが止まった。 何事かと前方を見てみれば、 そこには古びた車と二人の男性。 その二人は深夜に話をした若手と壮年の刑事だった。
「すいません、 急にお止めしてしまいまして。 こちらに伺っていると聞いたものですから」
そう言いながら深夜にも見た警察手帳を再び提示する若手の刑事。 荷台を降りて、 円が対応する。 運転席と助手席に座っている二人はそのままでいるように伝える。
「何の用ですか」
二人を庇うように立つ円に舌打ちを隠そうともしない壮年刑事。 そんな先輩をなだめながら若手刑事は続ける。
「先程、 玄関に遺棄された遺体の身元が分かりました」
「はぁ、 なぜこちらに?」
「そちらと関係がある身元だからです」
そう言われて、 思わず後輩の顔を見る。 思い浮かぶのは彼の父親の事だ。 軽トラックに乗っている二人もそう考えたのだろう。 息をのむような表情を浮かべている。
しかし、 その予想は裏切られる。 若手刑事はこちらが落ち着いたのを見計らって遺体の身元を告げる。
「あの遺体は歯の治療痕から“上糸 振夢”さんだと判明しました」
もしかしたら訂正あるかもです。