5:失態
「ふん……大したことのない組織にしてはなかなかやるじゃないか。 部下どもが無能なのを除けばな」
そう言うと、 上席調査官にして、 今回の翠月幇対策チームの実質的なリーダーである花園 一友は鼻息を鳴らしながら、 手に持っていた書類を机に投げるように置いた。 ほんの数頁しかないその報告書には翠月幇についての情報がわずかながらまとめられていた。
本来であれば、 公安調査庁、 今回の場合はその地方支分部局である公安調査事務局の情報収集能力は、 警察のものよりは高い。 一応、 頭に専門分野に限るという文言が付くが、 凶悪なテロ組織から国家を守る組織の名は伊達ではないのだ。
しかし、 その情報収集能力をもってしても、 翠月幇の動きはつかめなかった。 話にすら聞いたことのない極小組織なのだから色々と伝手が少ないのだろう。 そう考えた彼は、 一つ溜息をつくと、 新たな書類に手を伸ばした。
「あいつらの態度もよくはないし……協力してやっているんだぞこっちは……」
先程よりも枚数が多い報告書に目を通すが花園の機嫌はますます悪くなっていく。
さもありなん。 警察から身柄を預かった二人、 講 文龍と翠華 麗月が公調に非協力的なのだから。
ただし、 これは花園達、 公調側の話である。 彼ら協力者側からすれば話は別になる。
講からすれば、 自分の知っていることはすべて話したはずなのに、 いろいろと面倒くさい枷をつけられているうえ、 他に何か情報を持っていないか、 何度も詰問されるという、 警察とは真逆の対応に当然の反応を返しているだけである。
麗月の方はもっと単純だ。 彼女は翠月幇の雇った流?に誘拐された被害者である。 それなのに、 公調側の対応は犯罪者のそれに近い。 初めて行く外国という慣れない環境に置かれているのに、 そのような対応をされれば敵意を抱くのは当然といえる。
いずれは中央に返り咲くことを考えている花園だったが、 周りを見下すことをやめないその傲慢さを何とかしない限りは中央に戻れる可能性は限りなく低いだろう。 むしろ、 まだその若さでチームのリーダーまで出世できたことが奇跡といえるだろう。
「くそっ、 今回の件など早々に解決できなければ、 中央に戻ることなど夢のまた夢だというのに……」
どこまでも事の重大さを認識していない花園は苛立ちを隠そうともせずに持っていた報告書を叩きつける。
彼が中央に戻る、 戻れないという状況ではない事態に陥るまで残り数十分。
†
「それで、 あの娘と講さんの身柄を引き渡しちゃったと」
「しょうがないだろ……上からの指示なんだ捜査本部の方も解散しちゃったしなぁ」
円の責めるような視線から離れるように椅子を後ろに引きつつ、 間宮は警察内の動きを口にする。 守秘義務とかは大丈夫なのだろうか。
「捜査本部が解散って……色々と大丈夫なの?」
「被害者の身元が不明……って言うより不法入国者ばかりだったみたいで、 捜査員達の士気もあまり高くなくてな……。 犯人達の目的も大体予測できた以上、 捜査の目的もどっちかというと、 巻き込まれる人を出さないためっていう理由だったし、 そもそもそういった被害者が出てなかった以上、 最低限の士気を保つための方便に近いところがあったしな」
「だから、 解散になった時も特に問題にするやつらはいなかったしな」と、 彩香の疑問に答えた間宮はコーヒーを口に入れる。
久々の如月喫茶店。 円と彩香、 桜子と間宮の四人は同じテーブルを囲って座っていた。 周囲には珍しく彼女達の他に客はいない。 少し離れたところでは店主が新聞を広げていた。 小声で話す限り、 他の誰かに情報が漏れることはなさそうだ。
「まあ、 正直なところ、 公安調査庁に翠月幇を捕まえるのは難しいと思うぜ」
「どうして?」
「言っちゃあなんだが、 相手の全体が見えていない奴、 見ようとしない奴に解決できるような事件じゃないぜ、 これは」
そう言いながら、 カバンから何枚かの写真をテーブルに置いていく。
「グロいから注意な」
「!? バッカかお前ぇ!」
「汚っ!」
何気なく言われた言葉に口からサンドイッチの欠片を噴き出しながら、 文句を言う桜子。 彼女が噴き出した欠片から写真を守るべく、 大慌てでひったくるように写真を取り上げる円。
そんな騒動が耳に入ったのか、 新聞から目を離して、 こちらへと視線を向けてくる店主。
「あ、 すいません! 何でもないです! 大丈夫です!」
視線に気が付いた彩香が大慌てで弁解する。 いったい何が大丈夫なのか、 もし聞かれた場合には彼女は何と答えるのだろうか。
幸いにして、 店主はそれ以上関わってくることはなく、 新聞の方へと視線を向けた。
店主が特に気にしていないことに安堵すると、 彩香はテーブルのほうに向きなおり、 小声で話しかける。
「ちょっと! 気を付けなよ! このことがバレたら間宮さんクビに……ってうわっ、 本当に汚い」
「いや、 お前。 写真出しながら言うことじゃないだろアレ」
桜子はそう小声で言い訳すると、 店主のいる方へ顔を向けて、 布巾を持ってくるように頼んだ。
店主が「少し待ってくださいね」と中性的な声で応じると、 布巾を取りに行くために店の奥へと引っ込んでいった。
店主が奥へと引っ込んでいくのを見届けると、 円は取り上げた写真をサンドイッチの欠片がつかないようにテーブルの端に一枚ずつ並べていく。
「……これは」
「事件写真の一部だ。 ……元本じゃなくて、 主任の許可の下コピーしている。 一応、 遺体の写真もあるから注意しろよ」
「お、 おう……」
情報漏洩とか怖くないのかよ……。 と考えながら、 各々写真を手にする三人。 場所も時刻もバラバラだが、 そこには凄惨たる光景が写っていた。
「これって……」
そんな中、 彩香が一枚の写真を見て呟く。 それは遺体の写真の一枚だった。 何か強大な力によって跳ね飛ばされたかのような遺体の一枚。 とても人間業とは思えない殺害方法に彩香は顔を青くする。
「なんだこりゃ、 車にでもはねられたか?」
「いや、 違う」
彩香が持っていた写真を覗き込んだ桜子の呟きを間宮が否定する。
「その死体が存在していたのは現場の中でも奥まったところだった。 こんな殺し方ができる道具なんてなかった。 もちろん車もだ」
「なら犯人が持ってきていたんだろう。 で、 帰る時に一緒に持って帰った」
「もしかしたら、 別の場所で殺されて現場に捨て置かれたとかじゃない?」
桜子と彩香の推理を間宮は再び否定する。
「あんな威力のものなんて、 少なくとも車と同じくらいの大きさになるだろう。 そんなものが中に入る大きな出入口なんてないんだよ、 この現場は。 ついでに言っとくと入るような出入り口が作られてもいないしな。
そんで殺害場所はこの現場内で間違いないそうだ。 少なくとも別のところで殺されてからこの中に入れられたわけじゃないそう……っと、 すまん。 電話だ」
そう言うと、 着信を知らせ続ける携帯電話を手に席を外す間宮。 それと入れ替わるようにして、 店主が布巾をもってやってくる。
大慌てで写真を隠す三人。 そんな三人に店主は意味ありげに微笑み、 テーブルの上を拭いて、 散らかったサンドイッチの欠片を片付けていく。
「ごゆっくりどうぞ。 今日は珍しく他にお客様もいませんので、 密談なんかも楽しめますよ」
最後にそう言うと、 汚れた布巾を手に再び店の奥に戻っていく。 当然のことながら色々とバレてはいるようだった。
ハァ、 と溜息をつきながら、 とっさに隠した写真を再びテーブルの上に並べていく。
しかし、 日は完全に沈んでしまい、 黒い空に星の光がぽつぽつ輝いていた。 街灯の明かりが間近の夜闇を照らしている光景を見ると、 ああ言ってくれた店主には少し申し訳ないが、 そろそろ解散するべきだろう。
「ん? どうしたの円」
そんなことを考えながら、 写真を片付けていくと、 円が一枚の写真を見て動きを止める。
「これって……」
円が驚きで目を開きながら持っている写真を指さす。 何事か、 と桜子と彩香の二人がその写真に写っているものを見る。
そこには一枚の旗が壁に掲示されていた。 黄色を下地に暗い赤で所々色付けされているその旗の中心にはある紋章が描かれていた。
「くそっ、 すまんが問題発生だ。 公安調査庁のアホがやらかしやがった」
電話から戻ってきた間宮が開口一番にそう話しながら、 途中まで片付けていた写真を乱暴に纏めだす。
「どうしたんだよ一体」
苛立ちを隠そうともしない間宮の態度に不安を抱きながらも尋ねる桜子。 そんな彼女の問いに「くそがっ」ともう一度悪態をつくと、 ぼそりと小さな声で呟いた。
「麗月が攫われた。 公安調査庁の事務所が襲撃されたそうだ」
「「「えっ……」」」
驚愕する三人。 そんな中、 円は写真の中にある旗に描かれた紋章に目を向ける。
公園にあったオブジェクトに刻まれていたものと同じ、 クエスチョンマークを三つ重ねたような奇妙な紋章。
それを眺めながら、 円は次の指針を口にした。
†
「あらあら」
アナスタシアが目ぼしいものを集め終わり、 虐殺現場に戻ると、 そこは凄惨な状態になっていた。
普段ならば、 蹴り殺された遺体と、 銃殺された遺体と、 何か強大な力で弾き飛ばされたような遺体の三種が存在していた。
それだけでも十分に酷い状態なのだが、 今、 アナスタシアの目の前に広がる光景はまだそれがまともだったのではと思える状態だった。
簡潔に言えば、 “誰が誰か分からない”という痛ましい状態である。
人の形をしている遺体は一つもなく、 酷いものだと、 頭や手足も潰されて、 そこに一人の人間がいたのか分からなくなっていた。 そして、 そんな状態の遺体がいくつもあった。 もはや、 散らばった残りの手足とぶちまけられた内臓だけが、 そこに人がいたという証明になっていた。
『気はすんだかしら?』
『ああ、 手間をかけさせてすまない』
中国語でそう話しかければ、 入る時より体を紅く染めて落ち着いた月神がそう返した。 苛立ちそのものはまだ収まってはいないらしく、 足元にあった内臓を憎々しげに踏みつけている。
『それで、 これからどうするのかしら?』
『決まりきったことだ。 麗月を助けに行く』
『……あそこに行くの? 貴女の方が危ないのではなくて?』
『それでも行くしかない。 警察は頼れん』
一時でも頼った自分が情けない。 そう言いたげに吐き捨てる月神。
そんな彼の姿を見て、 アナスタシアは呆れたように肩をすくめた。
『申し訳ないけれど、 私は行けないわ。 一度戻らないといけないから』
『構わない。 むしろ、 今まで助かった。 ありがとう』
そう礼を言うと、 月神はアナスタシアに背を向けて歩き出す。
全身を朱に染めた男は外に出ると、 満月に近い、 小望月とも言われている月の輝きを見て、 一人次の指針を口にした。
「行こう、 月見川公園に」
『行くか、 月見川公園に』




