1:翠玉の少女
新章開幕です。
家族がなければ、人はこの世界でただ1人、寒さに震えるしかない。
Without a family, man, alone in the world, trembles with the cold.
アンドレ・モーロワ
Andre Maurois
―――A班、 配置につきました。
―――B班、 同じく。
清山県には南側に海がある。 当然ながら、 大小の差はあれど多くの港を有している。 更に言うならば、 新幹線も空港もあるのだが、 今回の物語には特に関係はない。
話を戻そう。 多くの港を有しているという事は、 多くの船の出入りがあるという事。 種類にもよるが、 船は様々な物を運んでくる。
良いものにしろ、 悪しきものにしろ。
無論、 良いものはともかく、 悪しきものは入ってこないように様々な機関が尽力しているのは言うまでもない。
しかし、 悲しいかな。 どれだけ対応する人が努力しても、 入ってくる全ての物を遮ることは出来はしない。 事実、 日本で取引、 消費されている麻薬の大半は海外産である。
しかし、 悪しきものすべてを食い止めることができずとも。 例え、 自分達の行いが大海の水をバケツで汲みだしていくような行いだったとしても。 食い止めた分だけ救えた人がいる。 汲みだした分だけ被害者となる人が減る。
ゆえに、 彼らは戦うのだ。 自分達の戦いが一人でも助け出せるように―――!
「―――っていうのを考えていたッスけど、 どうッスかね?」
「……張り込み中に何考えてんだ。 お前」
「全くですね。 くだらない」
「え〜、 格好良くないッスかね〜こういうの。 ねっ、 間宮!」
「正直に言わせてもらうと、 どうでもいいです」
そう言いながら、 刑事 間宮 智樹二十五歳は改めて、 視線を港へと向けた。
小さな漁港である。 普段ならば停泊している船以外は何の気配も感じられないであろう深夜の時間帯だ。
しかし、 本来ならば無尽であるはずの漁港には、 間宮達刑事の他に二人の小男がいた。 周囲を刑事十人以上が囲んでいるのにも気づいていない二人は、 漁師というよりはギャングやマフィアを思わせた。
「ちえ〜、 間宮ってばノリ悪〜い」
「馬鹿言ってないで集中しろ、 芝。 もういつ来てもおかしくないぞ」
主任である獅子原 武士に怒られて、 先程までいろいろと話していた刑事、 芝 寛子は「ブー」と、 子供のように頬を膨らませながらも、 間宮と同じように港への監視に戻った。
この人、 確か俺よりも年上だよな。 と先輩の子供っぽさに呆れていると、 本来ならば聞こえてこないはずのモーター音が響いてくる。
「来たぞ」
獅子原の小さな声を聞き逃すものはいなかった。 四人は一斉に視線をモーター音のする方へと向けた。 船からの光のせいで顔は見えなかったが、 彼らが待ち望んだ人物がそこにいること確信できた。
ところで、 一つ疑問がある。
それはなぜ、 間宮 智樹が張り込みなんてことをしているのか、 という事である。
彼の所属は清山県警刑事部機動捜査隊である。 主な職務内容は初動捜査。 簡単に言えば、 事件発覚直後の捜査活動を行うことである。 すなわち、 今やっている張り込みは機動捜査隊の仕事ではない。
ではなぜ、 機動捜査隊の間宮が張り込みなんてしているのかというと。
何のことはない。 いわゆる“代理要員”だとか“数合わせ”とか言われているヤツである。
幻想怪異録 6.翠玉の“月”
翠月幇という組織がある。 いわゆる大陸で生まれたマフィアだ。 構成員の数はそれほど多くないと見られているが、 その活動の手広さから人数を多く見積もる者もいる。 蛇頭や天道盟ほど巨大ではないというものもいれば、 アジア一の黒社会であるというものもいる。
ようは、 謎に包まれている組織だという事だ。 裏社会に詳しいものでもなければ名前すらも知らないだろう。 事実、 間宮も今回の張り込みに参加するまで、 何も知らなかった。
何故、 そこまで謎に包まれているのかというと、 実態が見えてこないからだ。 トップは誰なのか、 幹部は何人いるのか、 下部組織は存在するのか、 するならばどれだけの数なのか。 それどころか、 どこを拠点としているのかさえ分からないという。 都市伝説じみた存在だったのだ。
そんな都市伝説が明るみの下にさらけ出されたのは先日の事だった。 ある武器密輸の現場で逮捕された外国人の一人が自分の事を翠月幇の構成員であると自白したのだ。
更に彼は次の事も自白した。 近々、 ある漁港であるものが日本に持ち込まれるという話を。 末端の構成員である男にはその“\あるもの”が何なのか分からなかったが、 翠月幇にとって非常に重要なものであるのは間違いないという。
情報を手に入れた清山県警上層部は大いに慌てた。 “偽情報”と断じるのは簡単だが、 仮に真実だった場合、 何が起こりうるのか予測不可能だった。 “引っ掛け”かもしれないし、 自白した男が適当なデマを吐いたのかもしれない。
結局、 上層部の出した結論は取引のある漁港周辺を含め、 複数の場所を見張るというものだった。
真実だったとしても偽情報だったとしても関係がないと判断したのだろう。 もし、 偽情報だったとしても、 下っ端の睡眠時間が削られるだけで済むと考えたのかもしれない。 当の下っ端たちからすればそんな適当な考えはやめてほしいのだが。
しかし、 「人員を出す」という結論は間違ってはいなかった。 今、 間宮達の目の前で取引が行われようとしている。 間違いなく、 違法のものだ。
船から降りてきた男二人と、 最初から港にいた小男二人が互いに近づき話し始める。 どのような内容七日までは向こうが小声で話していたため、 分からなかった。
小男の片割れが、 傍に置いてあったジュラルミンケースを開けて中身を見せる。 同じように男の片割れも船を降りる際に持ってきていたスーツケースを開けて中身を小男に見せた。
商品と代金の確認。 それが終わったのだろう、 一方が鞄を交換している間に、 もう一方が笑顔で握手をしていた。 近年まれにみるレベルの良い取引だったのだろう。
「確保ぉ!」
この尼逮捕されなければ、 だが。
現場を統括している上司が上げた声を合図に、 身を潜めていた刑事、 警官たちが一斉に飛び出した。 まさか、 刑事達にこの取引現場を押さえられるとは思ってもみなかったのだろう。 男達はあっさりと捕まった。
更に身体検査を行えば、 長ドスと呼ばれる刃物や拳銃が見つかったので、 銃刀法違反の現行犯でそのまま逮捕となった。
「さてと、 中身は何だろうな」
「開けてみます」
そう言いながら、 間宮はジュラルミンケースを開く。 そこには大量の札束が詰まっていた。 一見しただけでは、 一体どれだけの金額になるのかは見当つかないが、 つつましく生きるのならば、 一生を過ごすのには十分な金額が入っていたと言えるだろう。
「しゅ、 主任!」
もう一方のスーツケースを開けた芝が大声を上げて獅子原を呼ぶ。 何事かと、 獅子原だけではなく、 周囲の刑事も芝と彼女の開けたスーツケースへと視線を移す。
その視線の先、 スーツケースの中身は少女だった。
年齢は十歳くらいだろう。 顔つきは東アジア人のもの、 見に纏っている衣服は薄汚れてはいたものの、 市販のものだった。
「救急車!」
獅子原の言葉に大慌てで携帯を取り出す間宮。
当然のことながら、 スーツケースは密閉されており、 人間を運び出すのは向いていない。 幸運なことに少女は生きてはいたものの、 その意気は弱弱しく、 意識もなかった。 運ばれてる途中で頭を打ったのか、 額には緑色のあざがあった。
芝が少女に声をかけているのを横目に眺めながら、 間宮は救急へと電話をかけた。
†
「おぉ〜。 ここからでも見えるんだよねー“赤霧セントラルタワー”。 開業は何時だったっけ?」
遠くからでもよく見える超高層ビルを眺めながら、 泉 彩香は呟いた。 隣の市である三塚市にある三塚大学からであっても、 その姿を見ることができるビルの名は“赤霧セントラルタワー”。
数年前より工事が始まったそのビルはあと数カ月もしないうちに清山県の新たなランドマークとして開業することになるだろう。
「あー、 うん。 しばらく高層ビルは良いかなー」
会話がつながらないようなことを呟くのはうつらうつらと舟をこいでいる桐島 円だった。 去年の末に巻き込まれた龍原リゾートでの事件でこっそり持ち帰った古書。 それを徹夜で更に詳しく読み解いていたために、 今の彼女は非常に寝不足なのだ。
言っておくが、 三塚大学の定期試験まで残り十日を切っている。 彼女は何をしているのだろうか。
二人がいる場所は三塚大学のカフェテリア。 何故か十階建て校舎の最上階に設置されているそのカフェテリアは見晴らしがよく、 時折ちょっとしたデートスポットにもなるような場所だった。 二人がそんな場所にいるのは、 同姓でデートを楽しむためではない。
「ごめーん、 待たせた?」
友人、 奥畑 実里との待ち合わせのためだ。 久々に予定があったためにどこかに遊びに行こうという話になったのだ。 重ねて言うが、 年も明けて定期試験まで残り十日を切っている。 大丈夫なのだろうか。
「三十分の遅刻! 何をしていたの!?」
「やーごめんごめん。 ちょっと綺麗な人とすれ違ってさ」
起こる彩香に申し訳なさそうに謝る実里。 話にまざっていない円は半分寝ているような状態だった。 というより舟をこいでいるような状態から、 テーブルに突っ伏しているような状態へと完全に移行していた。
「ちょっと円。 起きてよ」
そう言いながら彩香と実里が揺さぶっても、 意味のない言葉の羅列を繰り返すばかりだった。
「駄目だこりゃ」と肩をすくめる二人。 もっとも、 どこかの誰かが盛大に遅刻した上に、 どこに遊びに行くかも特に決めていなかったというガバガバすぎる計画のせいで何の問題もなかったわけだが。
「そう言えば、 実里はなんで遅れたのさ。 綺麗な人とすれ違った程度でこんなに遅くなるわけないでしょ」
今日はこのままカフェテリアで話をすることに決めたらしく、 彩香が紅茶とケーキを持ってきながら訊ねる。 訊ねられた当人は「アハハハハ……」と申し訳なさそうに視線を逸らす。
「いやあ、 それが外人さんだったんだよ。 淡い金の髪でさ、 妖精っぽくて。 新しい教員さんかな? と思って見ていたんだけど……」
と、 そこで一度区切り。
「その人、 彼氏がいたんだよ。 アジア系の褐色肌の人で、 何かいろいろと話していてね。 気になってさ、 だって、 男の人も精悍な顔つきの軍人さんっぽくて。 ちょっと様子を見てたらこんな時間に……」
「ごめんね」と改めて頭を下げる実里。
「まあ、 別に円がこんな状態だしね」と言いながらテーブルに突っ伏して、 寝息を立てる円を横目で見る彩香。
「でもなんていうか、 白人さんとアジア系の人なのにすごくお似合いに見えたんだよねーあの二人。 やっぱり美男美女のカップルってそれだけで絵になるんだよねー」
「へー、 ま、 あたしらには何の縁もない話だけれどね」
「アハハハハ……でも、 あの男の人って何人だったんだろう? 額に緑色の模様がある人って見たことも聞いたこともないし……何語を話していたのかも分からなかったし……
あっ、 でも女の人の名前は覚えているよ! 確か“ナースチャ”って男の人が呼んでた!」




