3:雪中の獣
華やかなパーティの最中に突然放り込まれた二人の人間。 医者による治療が行われる時間もなく、 亡くなってしまった二人がホテル地下にあるという霊安室に運ばれて行った。 その後当然の事ではあるが、 セレモニーが続けられることはなく、 お開きとなった。
仮に死体が出なかったといえども、 セレモニー会場の窓は割れており、 そこから吹雪が吹き込んでくるのだ。 室内が急激に冷え込むのは自然の事であり、 そんな中でセレモニーを再開するのは無謀云々の前に自殺行為だ。
セレモニーが行われた部屋は立ち入り禁止となり、 扉には鍵がかけられた。 オープン前に死者が発生してしまったことに龍原リゾートの経営陣は頭を抱えている事だろう。
(まあ、 私には関係のないことだけれども)
自身が泊まっているスタンダートに備え付けられている浴室で体を温めながら、 円は先程の事件について考えを巡らせていた。
(問題はこれからどうなっていくか……)
窓を突き破って飛び込んできた二つの死体。 正確には一人はまだ生きてはいたものの、 彼らが身に着けていた銘板や石像がどこのものなのか、 円には分からなかった。 詳しく見てはいないものの、 日本で作られた物かどうかも怪しい。
彼らがどこからきて、 何故そんなものを身に着けていたのか。 今の円にはさっぱり分からないが、 一つだけ分かっている事がある。
―――これは人為的な事件ではない。
円がそう考えたのには上記の銘板と石像の件も含めていくつかの理由がある。
まず、 二人が放り込まれた際の状況。 外は周囲が見えなくなるほどの猛吹雪。 ヘリコプターやハングライダーが飛べるような状態ではなかった。
更に言うならば、 セレモニー会場は龍原グランドホテルの五十階で行われた。 ヘリコプターなどがなければそんな高さまで人を運べない。
仮に超高性能な投石機などがあって、 遥か遠方から飛ばしたとしても、 あの猛吹雪ではどうしても着弾点がずれるし、 あったとしたら相当目立つことだろう。
次に、 彼らの死因。 円は友人のように医学に精通しているわけではない。 遺体をより細かく検分したわけでもない。
それでも、 彼らの死因は並みの事ではないというのが理解できた。 まだ生きていた方はともかく、 もう一人、 すでに死んでいた方は異常と分かるような姿だった。
まず、 両手両足の指がすべて失われていた。 まるで腐り落ちたかのように失われたそれは凍傷の末期症状であるとどこかで聞いたことがあった。 両手だけだはなく、 両足の指が失われているのが分かったのは裸足だったためだ。 ただし、 靴は履いていた。 具体的にいうならば黒ずみ腫れ上がった両足が靴底を突き破っていたのだ。
恐らく、 死因は凍死。 だが、 彼らの服装を見る限り、 氷点下に長い間晒されいなければあのような酷い状態にはならないだろう。
(今のような天気なら、 そうなってもおかしくはないだろうけど……)
今日の昼までの空は晴れ模様だった。 この地にずっといたとは考えにくい。 そして、 この龍原リゾートに入るルートは限られている。
浴室を出て、 備え付けのバスタオルで体を拭きながら、 暴風と豪雪が激しく窓を叩く音に耳を澄ます。
吹雪は止む気配を見せるどころかさらに激しさを増していた。 この調子では明日も同じような……いや、 下手をすればさらに悪化している事だろう。
明日の天気予報を確認しておこうと、 部屋に設置されているテレビの電源を点ける。 しあkし画面に映るのは砂嵐のみ。 音も雑音しか聞こえてこない。 不思議に思っていくつかチャンネルを変えてみるが、 どれも同じような映像と音しか出てこなかった。
「もしかして……」
一つの考えに思いあたった円はベッドの上に置いておいたスマホを取ると、 ロックを解除して電波状況を確認する。
スマホの画面左上に映し出される電波状態は“圏外”。 すなわち、 電波が一切来ていないということ。
高所では電波が届きにくいというのは周知の事実ではあるが、 この龍原グランドホテルだけではなく、 龍原リゾート全域に電波が届くように基地局が置かれている。 実際円が最初にこの部屋に来た時、 電波状態を示すアンテナが全て立っていることを確認していた。
「この天候で単純に電波が途切れているのか、 それとも携帯の基地教区を含む受信側に何か異常が出ているのか……」
あるいはその両方か。
閉じられていたカーテンを少し開いただけでも、 閉めているはずの窓から冷気が伝わってくる。 最高級の防寒対策を施したという触れ込みの室内でもこれなのだ。 外はどれだけ気温が下がっている事だろう。
「うん……もう寝よう」
スマホの画面に映っている時間を見れば、 ちょうど日付が変わっているところだった。 明日になれば状況が変わっているのかもしれない。 そう考えた円は、 バスタオルと同じように備え付けられた浴衣に着替えると、 ベッドの中にもぐりこんだ。
このベッドもまた上質なものであり、 旅の疲れも相まって、 彼女はすぐに眠りについた。
脳裏のこびりついた死者の顔。
彼女がこの件を人為的な事件ではないと考える最後の理由。
自然的かつ人為的には発生しないであろう、 見る者の心をかき乱すような死者の笑み。
ベッドから与えられる暖かい安心感と眠気は、 その死に顔を一瞬で打ち消した。
†
「……なに? それは本当かね? 」
大森 信介は愛しの秘書からの報告が信じられなかった。
時刻はすでに零時を過ぎ、 先程の事件が昨夜の出来事になっても、 彼を含むスタッフは休むことができないでいた。
「残念ながら本当です、 総支配人。 あの二人はこの龍原リゾート建設中に行方不明になった作業員であることが判明しました」
改めてなされる秘書の報告に信介は思わず頭を抱え込んだ。
「聞いてないぞ行方不明者が出たなんて……」
「申し訳ありませんが、 私も初耳です。 どうやら下の方で勝手に処理がなされていたようで……」
「頭が痛い……」
記念すべきプレオープンセレモニーに突如発生した怪事件。
二人の人間が窓から放り込まれ、 二人とも死亡したという事件。 その被害者達が行方不明になっていた作業員たちであることが判明した。 上層部である彼らには行方不明者が出たという話など聞いたことがなかったのだが。
「少なくともプレオープンセレモニーは中止になったんだ。 すぐに警察に連絡してくれ。 この吹雪ではすぐには来れないだろうが、 出来るだけ早く来てもらうためにも早急に連絡を頼む」
「それが総支配人……この吹雪で電波が途絶えているようで外部への連絡は……」
「……できないと」
「はい……申し訳ありませんが……」
状況は彼が想定ていたものよりも悪化しているようだ。
外部との連絡が取れないというのはいずれ……いや、 もうすでに数名にはバレていると考えた方がいいだろう。 今の時代、 携帯という外部と連絡ができるツールというのは日本人の基本装備なのだから。
逃げ出したい。 という気持ちを一瞬抱くが、 すぐにそんな考えに至った自分を戒める。 トップが揺らげば下も動揺する。 上が堂々としていれば下は簡単に揺らぐことはないのだ……追い詰められでもしない限りは。
「警備員やスタッフは交代で休憩につかせてくれ。 何よりもまずはゲストの皆様の安心と安全を重視してほしい。 君もすぐに休んでくれ。 僕もすぐに休むよ」
「……大丈夫ですか? 」
「大丈夫さ……と思いたいね。 どちらにせよ吹雪はしばらくは弱まる事すらなさそうだ。 叔父は僕を散々怒鳴りつけた後、 先に寝てしまったしね」
そう言うと力なく笑う総支配人。 その表情は実際の年齢よりも二十歳老けて見えるほどに疲れ切っていた。
さもありなん。 一大一世の大事業であるIRのプレオープンという一番最初の肝心なところで、 原因不明のトラブルに見舞われるという、 下手したらトラウマを追って自殺しかねないほどのプレッシャーが彼にのしかかっているのだ。
「つまり、 しばらくはどうにも動くことができない。 現状維持が最善手なのさ。 むしろ、 今のうちにしっかり休んでおかないと、 いざという時に動けなくなる。 吹雪が止み次第忙しくなるだろうから、 君もしっかり休んでくれ」
「……はあ、 分かりました。 総支配人もなるべく早くお休みになってくださいね」
「ああ、 報告書全てに目を通したら休むことにするよ」
「では、 お先に失礼します」と言って秘書が部屋を出ていくと、 信介は大きなため息をついた。
「早く吹雪が止んでくれればいいのだが……」
外と連絡が取れれば何とかなるだろうという考えが脳内を支配する。 未だに若輩者と呼ばれる年齢の彼に、 このトラブルを解決する術はなかった。
自身よりも年上で経験豊富なはずの上司である叔父からは「お前が何とかしろ」の一点張りでどうしようもなかった。
「外と連絡が付くまで何の問題もなければいいんだ……」
力なく、 独り言というよりも懇願に近いその言葉をポツリと呟くと、 総支配人、 大森 信介は少しでも状況を把握するため、 自身の下に届けられた報告書に目を通していった。
――― 一つ、 彼に誤算があったとするならば、
どれだけ彼を含むスタッフが尽力したとしても、 問題を起こす客というのはいるものであるということ。
そして、 そのような問題は今の状態では大惨事しか招かないのだ。
†
「……ったく、 ヒマだよなあ」
龍原グランドホテルの一室。 ホテルの中でも一番格の低い一室。 そこでは数人の若者たちが無駄にダラダラしていた。
複合リゾートの施設で遊ぶことを楽しみにしていた彼らは、 この吹雪で外に出られず、 電波が届かないこともあって、 携帯などの通信機器も使えず、 ただ、 ダラダラと時間が過ぎるのを待っていた。
ちなみに時刻は午前の一時前。 早く寝ればいいのにという突っ込みをする者は彼らの中にはいなかった。
「……そうだ、 外に出てみね? 」
おい馬鹿止めろ。
健常な思考を持つ人間ならば普通は猛吹雪が吹き荒れる外に出ようなどと考えることはしないだろう。
しかし、 彼らは全員かなりの量の酒を飲んでおり、 同時にとても退屈していた。
あれよあれよという間に全員が一回のロビーに降りてきたものの、 ホテルの玄関口は当然のように施錠されていた。
当然である。 しかし、 若者たちはそうは思わなかった。 一人がビデオカメラで録画しながら、 残りの面々で何とか開かない自動ドアを無理矢理こじ開けようとした。
そして、 若者たちの無謀な行いは成功してしまう。 災害が起こった際、 自動ドアの制御に異常が発生しても人力で開くように設計したのが仇になったのだ。
「よっしゃ! やりい! 」
「イエーイ! 見てるぅ〜?」
思い思いの事をカメラに向かって口走る若者たち。
当然のことながら、 人力で開く設計は緊急時の事であり、 平時にそんなことをすれば、 玄関口のすぐ隣にある警備員室に警報が鳴り響くのは当然と言えた。
「こらっ! 何をしている! 」
「やっべ」
「逃げ……」
警備員室から飛び出してきた警備員の姿を見た若者たちが逃げ出そうとする。
そのうちの一人、 一番こじ開けた玄関口に近かった若者だけがすぐにその動きを止めた。
なぜか? 答えは簡単である。
その若者の胸部から鋭い爪のようなものが生えていたからだ。
「……え? 」
その声の主は誰だったのか分からない。 ただ、 誰かがそう呟いた瞬間、 愚かで不幸な若者の背後から大きな獣のようなものが現れる。
二足歩行の獣……どちからと言うと、 獣よりも獣人と言った方が良い姿形をしている化け物は、 若者と警備員が見ている前で鋭い牙を若者の首へと突き立てた。
「―――――」
彼が最期に何を言い残そうとしたのかは分からない。
バキリ、 と骨が噛み砕かれるような音が獣人の口からしたと思うと、 若者も警備員も悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
悲鳴を聞きつけた他の警備員が大慌てでやって来た時には、 哀れな若者も恐ろしい獣人の姿もなかった。
そこには、 悪戯とは思えないほどの血の匂いと開け放たれた入り口から入ってくる吹雪、 そして、 本来の持ち主から忘れられたビデオカメラだけがそこにあった。




