2:狂気と悪意
文字数七〇〇〇字オーバーだってよ。
ハハッ、 ワロス。
個性的な大学生達に出会う前日。 蕨 桜子は三塚市にある喫茶店の隅で雑誌『セラエノ』の編集者、 石田と仕事について話をしていた。
雑誌『セラエノ』はオカルトについて扱っている雑誌だ。 バブル期から発行しており、 噂を徹底的に調べ上げ、 オカルト的な分析を徹底的に行うことでオカルトマニア達に有名だ。
前回の仕事についての評判をあれこれ話していた石田は「そういえばと」呟いた。
「桜ちゃん。 三塚大学って知ってるかい?」
「バカにしてんのか?」
桜子はそう言うと、 雑誌編集者にして友人である男、 石田を強く睨みつけた。
三塚大学。 清山県最高峰の学問機関である国立大学である。 様々な学部を設立しており、 大学そのものの設立は明治後期にまでさかのぼるという歴史ある名門だ。
清山県でフリーライターをしている桜子にとって知っておくべき基礎知識に等しい。 そのような事を聞いてくる友人に対して腹を立てるのも当然と言えよう。
「そう、 県内最高峰の高等教育機関。 当然そこに所属している学生達もピンキリあれど優秀な奴しかいないってのは理解できるよな」
「当たり前だろ」
「ところがだ、 最近三塚大学の学生達が事件を起こすことが増えてきてな」
「そうなのか?」
「そうなんだよ、 それは知らなかったのか?」
ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべながら石田はアイスコーヒーをすする。 桜子は先程より強く、 男を非難するように睨みつける。 「さっさと続きを話せ」と言わんばかりの視線を送る。
その視線を受けて友人は「それでな」と言葉を続ける。
「実は昔、 似たようなことがあったんだ。 大学を中心とした謎の事件が多発ってやつがさ。 その際に何かオカルトじみた噂が多く出て、 結局事件の大半は迷宮入りさ。 で、 今回似たような事件が起こっているだろ。 気にならない?」
そういった友人の言葉に「気になる」と即答する桜子。 がっつきすぎて少しかぶせてしまった気がするが、 友人にとってはいつもの事なのか、 あまり気にしていない。
キラキラと瞳を輝かせる桜子に苦笑しながら、 インターネットで簡単に集めたであろう十数枚の資料を友人は手渡す。 そこには大正時代に起こった、 関連していると考えられる事柄が複数記載されている。 それらをパラパラとめくりながら確認していく桜子だが、 ふと気が付いたように呟く。
「最初はそんなに大した事件じゃないんだな」
そう、 最初の方は窃盗や素手による傷害などそれほど大きな事件ではなかった。 しかし、 少しずつ事件が深刻化していき、 最終的には通り魔による連続殺傷事件が発生している。
この通り魔は最終的に捕まったらしいが、 捕まるまでに二十人以上の人が犠牲になっている。 戦前最悪の事件の一つとして知られているのを桜子は思い出した。
「フム」と考え込む桜子を先程と同じように意地悪い笑みを浮かべながら友人は煽る。
「もしかしたら、 今回もそういった通り魔事件に発展するかもしれない……どうする?」
「行くしかないだろ。 もしかしたら、 大正の事件の原因も分かるかもしれないだろ?違うか?」
「さっすが桜ちゃん! じゃあ、 今からでも……」
「いや、 今日はこの資料を読み込みたいから、 明日にするよ」
「あ、 そう。 じゃあよろしくね」
そう言って石田は伝票を持って出ていく。 それについていきながら、 桜子は明日の簡単な予定を頭の中で組み立てていく。
そして翌日。 彼女は個性的な大学生達と共に事件に出会うことになる。
冒涜的で狂気に満ちた事件に。
†
奥畑 実里が何者かに突き落とされてから数日後の昼過ぎ、 桐島 円は大学構内を一人で歩いていた。
あの後、 救急車が友人を搬送したと同時に警察がやってきていくつか円達に質問された後、 「事件性がある」として、 階段付近を立ち入り禁止にした。 しかし、 数日たった現在、 警察は犯人を見つけられていない。
「じゃあ、 これでお願いします」
「ええ、 確かに受け取ったわ」
そして今、 円は講師の一人である大鳥 朱音准教授の研究室にいた。 今年で四十歳になるという大鳥 朱音だが、 とても若々しく、 二十代後半にしか見えない。
そして、 非常に優秀な研究者としても有名だ。 清山県における民俗学の第一人者で、 いくつかの論文を発表している。 今年か来年には教授になるだろうと言われており、 円が教えを受けたいあまり、 週に一度は研究室を訪れている人物でもある。
今回は、 准教授から講義の中でレポートの提出を求められており、 それを手渡しで渡していたのだ。 パソコンではなく、 手書きで書かれたそれは何度も書き直した後はあるものの、 綺麗な字で書かれている。
「締め切りまでまだ二日もあるのに、 しっかりと書いてるみたいね」
「まあ、 元々興味のあった分野ですし……」
パラパラとレポートをめくる大鳥に対して、 嬉しそうに答える円。 今回のレポートは三塚市の隣にある桐山市の民俗についてである。 円の生まれ故郷でもある桐山市の民俗は今だに解明されていない部分もあり、 小学生の時にそれを調べたことがきっかけでこの道を志すようになったのだ。
大学に入って、 民俗学について調べている際、 大鳥 朱音の名前を知り、 今に至る。
いずれは彼女の下で、 桐山市の民俗をまとめた本を作りたい。 それが、 今の桐島 円の目標である。
「あ、 ちょっと待って」
そのまま部屋を出ようとする円を准教授が引き留める。 なんだろうかと振り返る円の目の前に複数の本が突然現れる。
「この本を石間さんのところに持っていってほしいの。 どうやら次の論文で使うらしくって」
「用意したはいいんだけど伝えても受け取りに来ないのよ」そうぼやく准教授に内心石間への呆れを抱きながら円は石間の部屋まで持っていくことを了解する。 最近起こった事件は石間講師が中心になっているような気がしてならないのだ。 ここは一度様子を見に行った方がいいかもしれない。
何の権限も持っていない学生の身でありながら、 そう考える円。
准教授から部屋の場所を聞いて、 石間の部屋を訪れる円。 非常に狭いが講師である石間にも部屋が与えられており、 同じ建物の三階、 その片隅にその部屋はあった。
扉をノックしたが反応がない。 いないのかと考えたが、 中から大声で誰かが話しているのが聞こえてくることから、 誰かいることは確定であろう。 残念ながら何を話をしているのか分からず、 声の主も誰か分からなかったが。
「こんにちわー、 大鳥先生から本を預かってきましたー」
鍵が開いていたので、 声を張りながら部屋に入る円。 中にいたのは部屋の主である石間 傑本人であった。 誰かと電話中であったらしい。 そのために円が扉をノックしたのに気が付かなかったのか、 大慌てで「じゃあまた後で」と言いながら持っていた携帯を切る。
そして石間は、 神経質そうな視線を非難がましく円に向けて、 怒鳴った。
「い、 いきなり入ってくるな! せめてノックしたまえ!」
「いや、 ノックしましたけど……返事はありませんでしたが中から話し声が聞こえたので」
そう申し訳なさそうな顔で伝えると、 「次からは気を付けたまえ」と偉そうに答える石間に、 普段と様子が違うことに気が付いた円だが、 あえて指摘しなかった。
「ところで何の用かね?」
「ああ、 そういえば、 大鳥准教授から本が用意できたらしいので」
そう言って、 大鳥准教授から借り受けた本を渡そうとしたが、 講師は「もうそれは必要なくなった」とこれまた偉そうに答える。 その様子に疑問と苛立ちを感じながら、 「そうですか」と答えた円。
もう用もないのでそのまま部屋を出ようとしたが、 ふと机の上を見てみればそこには奇妙な石像があった。 人の趣味に口を出す行為は人としてどうかと思う円だが、 それは不思議と強い存在感を醸し出していた。
「あの、 石間先生。 その“手”の彫刻って……」
「ああ、 これかい? 私の幸運のお守りさ。 これを手にしてから何かとうまくいくもんでね」
そんなははずはない。
円は石間の回答に対してそう不思議と確信めいた感想を抱いた。
その彫刻は緑灰色の岩石から削り出されたらしく、 人間の左腕の肘から先の部分が彫られている。 肘関節があるべき場所には彫刻の土台があり、 その上から腕が垂直に伸びていた。 手のひらはやや傾き、 指が広げられ、 その指はわずかに曲げられていた。
これだけならば“ただの”奇妙な彫刻で済んだのだが、 高さ三センチ幅十五センチに渡って存在する土台の前面にある柔らかい粘土の部分。 そして、 手のひらに彫られている、 ひどく不揃いに生えた歯をむき出しにした獣のような口。 それら二つの不気味な特徴が石間のいう“幸運のお守り”とはとても思えないような雰囲気を醸し出しており、 円自身、 もしもこれを引き取ってくれと言われたのならば、 どれだけ金を積まれたとしても、 拒否することだろう。
そんなものを“幸運のお守り”として大切にしている石間に対する疑いを一段階挙げながら、 円は「そうですか」と自身が降り出した話題を切り上げて、 部屋から出た。
†
円が石間 傑の部屋にいた頃、 彩香と桜子は三塚市立中央図書館にいた。
大正時代に創立された中央図書館は、 何度かの改築を経て、 今の地下二階、 地上四階建ての広大な建物となった。 公園や喫茶店も隣接しており、 建物内部には会議室や自習室もあることから、 近隣の大学生達に頻繁に利用されている。 そのためか、 学問に関連した書物が多いが、 娯楽関連の書物も少ないわけではない。
「……あった」
彩香が見つけたのはその娯楽関連の中でもオカルトに分類されるものだった。 バブル経済のころに創刊された古い雑誌で、 今は廃刊となっているものだ。
二人は彩香が聞いた『グラーキの黙示録』について書かれている本を探していた。 オカルトものの本・雑誌を朝から探していたはずなのに、 気が付けばもうこんな時間だ。 調べ物が調べ物だが、 いささか時間がかかりすぎたな。 と調べ物が得意な彩香は思い悩む。
「お、 ずいぶん古いもんだな」
「……うっわ、 一九八九年のものだ。 三〇年ぐらい前の物じゃん」
「まだ生まれてねえな、 ワタシ」
「あたしもな」
そう軽口を言いながら近くの席に座り、 見つけた雑誌を広げる二人。
そこには清山県に存在していたカルト教団が起こした冒涜的な事件の数々とその中心にあった遺物と書物―――『謎の彫像』と『グラーキの黙示録』について書かれていた。
『謎の彫像』については手の形をした彫刻であり、 神と接触する為の祭具であるという。
『グラーキの黙示録』は複数の無記名の著者達によって書かれた手書きの書物であり、 いくつかの版が存在するがすべて英語で書かれている。 十一巻からなる手書きの手稿本。 それを原本に一部を削除しつつ書き写した九巻からなる活字組みのフォリオ版。 そして、 原本から複写されつつもいくつかの項目を追加した十二巻からなる手書きの手稿本。
かつて存在していたカルト教団は最後の十二巻からなる手稿本の内、 最後の第十二巻を経典として使用していたらしい。 そこには悪徳を是とする神とその従者について書かれており、 その書を一ページでも読んだ者は神がその身に憑依することがあるとされている。
「悪徳……憑依……」
思わず呟いた桜子の脳裏に浮かぶのは前日に渡された資料の内容。 大正時代の学生達が起こした事件、 後半に発生したものは悪徳としか言いようがないものばかりで、 カルト教団が起こした事件と類似している。
さらに付け加えるならば、 今大学近隣で起こっている事件も二つの事件の初期に起こったものに非常に似ている。 このままいけばどうなるか……。 それはカルト教団が起こした事件―――毒ガステロ。
可能性がないとは言い切れない。
隣の大学生に視線を移せば彼女も似たようなことを考えているのかその表情は青い。
「まいったな……こりゃ」
そう言いながら頭を掻く桜子だが、 その瞳は輝いていた。
『マスゴミ』と言われても仕方のない事ではあるが、 桜子には今回の件がただの事件で終わる気がしなかった。 上手く今回の件で立ち回ることが出来たのならば、 スクープに出会えるかもしれない。
そうすれば善は急げだ。
「よし、 行くか」
「どこにさ」
訝し気な顔で自分を見つめてくる彩香に対して、 ニヤリと表情を歪ませながら桜子は得意げに答える。
「県立図書館だよ。 『グラーキの黙示録』がそこにあるらしい」
『グラーキの黙示録』自体は清山県の県立所在地である赤霧市にある清山県立図書館に各版の物が全巻貯蔵されているらしいが、 現在は閲覧できない状態らしい。 昔、 これを巡って上記のカルト教団が起こしたものとは違う、 奇妙な事件が起こったらしく、 図書館側としては処分したかったらしいが、 その本は非常に貴重なものらしく、 処分できなかったらしい。
現在は貸出どころか閲覧さえも禁止されており、 とある一室に保管されているそうだ。 噂ではその部屋の中は『グラーキの黙示録』と同じように奇妙な事件に関わりがあるとされる貴重な書物が保管されているのだとか。
友人から受け取った資料にそう書かれていたことを桜子が自慢げに伝える。 彩香は「へぇ」と感心したように呟いたが、 少し考えて「……ん?」と何かに気付いたらしく、 非難するように桜子を睨みつける。
「それって、 あたし達も見れないってことじゃないか」
「そうだな」
「そうだなって……行く意味あるの?」
「実際にまだあれば大丈夫ってことだろ。 それにもしも誰かが閲覧許可を申請していたら、 そいつも怪しむべきだ」
「……電話で確認すれば?」
「答えてくれると思うか?」
「電話で答えてくれなかったら、 どっちにしろ教えてくれないと思うけど……」
「実際に会ってみないと分からないこともあるのさ、 ほら出発!」
「あ、 ついでにそれ戻しといて」と最後に言い残して、 席を立つジャーナリストに対して、 彩香はため息をつきながら雑誌があった場所に戻しに行くついでに別行動をしている円に今までの調査結果と県立図書館に行く旨をメールで伝えておく。
図書館を出ると、 円から「合流したい」とメールの返信があった。 近くの駅で集合しようと、 メールを送り、 友人も同行するので待つことを桜子に伝える。 ジャーナリストは少しでも早く行きたかったらしく、 嫌そうな顔を隠そうとしなかったが、 人手が増えることから了承した。
†
結果として、 円が合流しようが、 しまいが大した差はなかった。
図書館組二人が切符を買ったと同時に、 円がやってきたからでもある。 しかし、 それ以上に県立図書館に着いたとき、 複数のパトカーが図書館前に停まっており、 結局は目的を果たすことが出来なかったからだ。
「なにがあったのかな?」
そう呟いた彩香に「少し待ってろ」と答えると、 警官達に事情を聴きに行く桜子。 最初の方は適当にあしらわれていたが、 どうやら知り合いがいたらしい。 露骨に嫌そうな顔をする刑事といくつか言葉を交わした後、 笑顔で戻ってきた。
「いや〜、 ヤバいことになった」
「とてもそうは見えないけど?」
そう円が突っ込みをいれるほどにいい笑顔を見せるジャーナリスト。 しかし、 次に放った言葉は確かに『ヤバいこと』になったことを示していた。
「図書館に強盗が入ったらしい。 盗まれたものは『グラーキの黙示録の十二巻目』だけだとさ」
「……え?」
「犯人は若い男女数名らしい。 監視カメラにうまく映らなかったとかで今、 警察が似顔絵を作っているってさ」
そう桜子が言うと同時に似顔絵が出来上がったらしい。 警官や刑事達の動きがにわかに慌ただしくなる。
刑事の一人がたまたま紙を一枚落とした。 それを見た彩香はそこに描かれていた人物に思わず口走る。
「……林田?」
そのような言葉を聞き逃すような警察ではなかったらしい。 紙を落とした刑事は紙を拾うと、 彩香をまっすぐに見つめて、 「この人物について知ってるのか? 詳しく聞かせてもらおうか」と言った。
ここは素直に協力した方が良さそうだ。
†
結局、 警察から解放されたのは太陽が沈みかけ、 空が赤く染まったころだった。
ジャーナリストと別れた大学生二人は揃って帰路についていた。
「あーくそ、 晩御飯作ってないや」
大学生の背が小さい方、 泉 彩香が赤く染まった空を見上げながら呟いた。 一人暮らしをしている彼女にとって、 少しでも外食やコンビニ弁当といったものは控えたいところであったようだが、 そうもいかないらしい。
「じゃあ、 私の家に来る? おかずなら多めに作ってあるらしいし」
「いいの? 迷惑じゃない?」
「大丈夫、 久しぶりに泊っていきなよ」
一方、 大学生の背が大きい方、 桐島 円は実家から通っている。 帰宅が遅れる旨の連絡はすでにしており、 晩御飯の準備も母親が既にやってくれていた。 高校生の弟がいることもあって、 ご飯の量はいつも多い。 彩香は高校生の時に何度か泊まりに行っているので、 ある程度勝手も分かっている。
「明日休みだし、 お願いしようかな」と彩香が答えたその時、 二人の前に立ちふさがるように若い男女が立ちふさがる。 齢は円達と同じくらい。 いずれも荒事に慣れている雰囲気ではないが、 各々金属バットや包丁など武器になるものを握りしめている。
後ろからの気配を感じて振り返れば、 同じような武装をしている女性が二人。 よく見れば以前、 円達と講義を代わるように頼んできた女学生達だ。 彼女達四人の視線は全て円に注がれている。
殺意に満ちた四人の視線を受け、 こぶしを握る円。 そして、 不安そうにする友人を守るように立ち、 構えを取り、 相手を睨みつける。
「彩香、 逃げて」
「え? でも……」
「警察と救急よろしく」
緊張しているのか少し硬い声色で話しかける円の言葉を受け、 少し躊躇ったようだが、 意を決したのか「気を付けてね」と言いながら囲んでいる四人を避けるように彩香は逃げ出した。
四人はそんな彩香を目で追っていたが、 興味がないのか、 その視線を円に再び向ける。
そして、
「あなたがわるいのよ」
どこか抑揚にかける声で、 女学生が呟いたのをきっかけに、 囲んでいた四人が一斉に円に襲い掛かってきた。
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