2:Distress
新年あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。
「ふ〜ん、 で、 このメンバーか」
いつもの如月喫茶店。 店主の趣味である落ち着いたクラシックが流れる店内で、 Mサイズの紅茶と喫茶店でも高めのパフェをつっつきながら蕨 桜子は刑事、 間宮 智樹に声をかける。 喫茶店の一角には桜子、 間宮の他にも桐島 円、 泉 彩香、 穂村 暁大の大学生三人が座っていた。
間宮から送信されたメールは以前から冒涜的な事件に関わって来た四人に向けて送られていた。 刑事である間宮としては一般市民である彼女らの手を借りるのは避けたい気分ではあった。 しかし、 冒涜的な事件に関しては彼女ら以外に頼れる人間を間宮は知らなかった。 無関係の人間を関わらせるわけにもいかず、 一人で進めるわけにもいかず、 結局はこの四人の手を借りたというのだ。
「ああ、 そうなるな。 伊澤は“スラム街”で何かが起こっていると気が付いたんだ。 恐らく、 それを調べている最中に……」
「え? 待て、 もしかして“スラム街”に行くのか?」
だとしたらさすがに嫌だぞ。
そう話しながら、 パフェを掻っ込む桜子。 なお、 そのパフェは間宮のおごりである。
他の三人も嫌そうな顔を隠さない。 さもありなん、 “清山県のスラム街”は他のスラム街と呼ばれるような町と同じように治安が悪い。
流石に空港周辺でも強盗が多発したりだとか、 殺人事件が日常茶飯事だとか、 夜どころか昼でさえ一人で外を出歩いてはいけないとまで言われていたりする海外の犯罪都市ほどではないが、 警察の力が及びにくい地域であるというのは確かではあるし、 麻薬売買を中心とした犯罪行為の発生率も“スラム街”周辺は他と比べて非常に高い。
そのような地域に行くのは流石に遠慮したいというのが一般市民の感覚ではある。
「いや、 まずは伊澤……俺の友人が殺された場所にもう一回行ってみようと思う」
間宮はそう言うと、 コーヒーを一口。 大学生三人組も黙って、 間宮のおごりであるパフェやケーキを楽しみながら話を聞いている。
間宮の友人、 伊澤 俊彦が殺された場所は“スラム街”から少し離れたところにある空地だ。 人通りはあまり多くはないが、 ゼロというわけではない。
治安も“スラム街”ほど悪いわけではないが、 この如月喫茶店周辺よりいいわけでもない。 “スラム街”ほどではないが、 用心が必要なエリアではある。
「じゃあ、 そこに行く前に簡単に整理しようよ」
そう言いながら彩香は目の前にある苺のショートケーキを少しずつ丁寧に切り分けて食べていく。 言葉そのものは他の四人に向けられているが、 彼女の目線はずっとケーキの方を向いている。 前述したように如月喫茶店のケーキやパフェはやや割高である。 その値段に相応しい味ではあるものの、 学生である彩香にはそうそう食べられるものではない。
じっくりと味わうように、 ショートケーキを楽しむ彩香の姿はその小柄さゆえにどうみても小学生のそれである。 それを眺めながらパフェを楽しむ円は親戚のお姉さんか。
そう考えながら、 ニヤニヤとした表情で見つめる桜子の視線に気が付いたのか、 彩香は半目で睨みつける。 そして、 自分が食べていたケーキを彼女から遠ざけるように持っていく。 桜子を睨みつける目は大事なものを取られまいとする子供のようだ。
違う、 そうじゃない。
「ぶっははははは!」
そう突っ込む前に腹の底より笑いがこみ上げてくる。 それを抑えようともせずに腹の底から声を出せば自然と漏れるのは笑い声。 突然笑い出した桜子にきょとんとする三人と不機嫌そうな目で睨みつける彩香。
桜子の笑い声は狭い店内に響き渡り、 自然と他の客や店員達の視線を集めることとなった。
「あー笑った笑った」
涙目になりながらも、 腹を抱えて今も少しだけ笑っている桜子の様子に周囲の客や店員達は時折彼女の方を見ながら、 自分達の仕事や休憩に戻っていく。
笑われた当人の彩香はふくれっ面をして、 紅茶を飲んでいた。 すでにケーキは食べ終えてある。
「それで、 話を戻すけど」
彩香と同じようにパフェを食べ終えて、 スプーンをテーブルに戻しながら、 円が切り出した。
その一言に、 先程まで笑っていた桜子もふくれっ面になっていた彩香も、 真剣な表情で円へと視線を向ける。
「まずは、 間宮さんの友人の刑事、 伊澤さんが相談してきた。 ホームレスが行方不明になっているって本当の事なの?」
「らしいな。 すまないが俺は交番勤務自体はしたことはあるが、 そこはホームレスとは縁もゆかりもないところでな。 主に扱っていたのは酔っ払い同士のけんかだった」
「伊澤さんは違ったの?」
「ああ、 さっきも言ったが、 あいつは警察学校を出てからずっと地域課にいたんだ。 で、 ここ二年は“スラム街”を含めた地域一帯が管轄だった
……だから気が付いたんだろうな。 アイツは『出ていくはずのない人がいなくなった』と言っていた。 被害届も被害者もなかったから事件として立証は出来なかったが……」
「行方不明のホームレスについて調べていた伊澤さんが何者かに殺された……」
穂村の呟きに「あぁ」と答える間宮。 あの時は一通り調べたし、 あれ以上できることはなかったはずだ。 しかし、 他に何かできることはなかったのか。 今も考えてしまう。
「目撃者のホームレスは『犬のような化け物が彼を殺した』と言った……信用できるんですか?」
「分からない。 酷く酒臭かったしな。 幻覚を見てしまっただけかもしれない。 周りが言うように麻薬や違法風俗関連でヤクザかギャングに命を狙われたというのが真相かもしれない」
だけど、
「なにかヤバいヤマに気が付いた。 冒涜的な事件に関わり、 真相を知っている俺達だけが気付けるような事実に気がついてしまったから殺された。 俺はその線を捨てきれない」
だから、
「協力してほしい。 頼む」
刑事、 間宮 智樹は頭を下げた。
全ては友人の仇を取るために。
「頭を上げなよ、 刑事さん」
ジャーナリスト、 蕨 桜子が声をかける。 その表情は普段見せるニヤついた顔ではなく、 真剣なものだった。
頭を上げれば、 大学生三人も真剣な顔をしていた。
「まずは事件現場を見に行こう。 もしも、 犬のような化け物が実際にいるのならなにか痕跡が残っているのかもしれない」
そう言って席を立つ円。 それに続くように大学生二人とジャーナリスト一人。 そのまま意気揚々と如月喫茶店を出ていく四人を見て、 間宮は安堵すると同時に置かれていた伝票を見て、 悲痛な悲鳴を上げる。
五人分の飲食代が記されたそこには五桁近い金額が記されていた。
†
清山県赤霧市と桐宮市の境目に位置する空地。 伊澤 俊彦が亡くなった場所は、 警察の捜査が終わり、 警察官がいなくなった後も立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされていた。
間宮を先頭にテープをくぐり抜けた先は秋も半ばに入ったこともあって踝を埋め尽くすように雑草が生い茂っていた。 コンクリートのビルの狭間に存在する空地は灰色に囲まれていることもあって妙に寒々しい印象を受ける。
「ここに入るにはこの道だけ?」
「ああ、 他に出る道はない。 だから、 警察でもホームレスの証言はあまり信用されてないんだよ。
あの後、 ホームレスの悲鳴を聞いて人がすぐに来て犯人が逃げる暇なんてなかったようだしな」
「秘密の抜け道ってのも……なさそうだね」
円が周囲を見渡すが少々古めかしいが、 未だ廃墟と化していないコンクリートのビルが周囲を囲む状況では特に穴らしいものはない。
「秘密があるとしたら、 この剥き出しの土地か……ん?」
剥き出しの地面を眺めながらウロチョロとしていた彩香は奇妙な足跡を発見する。 警察官のものと思しき革靴の足跡以外にヒヅメ状に割れた足跡がいくつか残っていたのだ。 しかし、 そのほとんどは革靴の足跡に踏み消されてしまい、 その後を追うことは出来そうになかった。
「だめだこりゃ、 警察は何見逃してんだ」
ハァ、 とため息をつきつつ周りで何か残っていないかと探し回る四人を呼び寄せる。
なんだなんだと集まって来た四人に奇妙な足跡を見せれば、 全員が驚きに目を見開く。
「恐らく他の獣の足跡と見間違えたんだと思うが……証拠として取ったようには見えねえな」
そう言いながらも携帯のカメラ機能でその足跡を撮る間宮。 桜子も自身のデジカメで足跡を撮っていく。 円と彩香も携帯のカメラ機能を使って写真を撮っている中、 穂村だけが「う〜ん」と考え込んでいた。
「これは確かさっきのマンホールの近くでも見たような……」
「どこ!?」
後輩の発言に反応する彩香。 慌てて肩……彼女の背丈では肩を掴むのはいささか難しいので、 上腕を掴み、 揺らす。 小柄な体躯に似つかわしくない力で揺らす彩香に困惑しながら、 「あ、 あそこです……」と空地の一角を指さす。
その一角は灰色のビルが影になっており、 雑草が覆い茂っていることもあって、 パッと見ではそこにマンホールがあるようには見えなかった。
しかし、 近づいてみれば、 穂村が指し示した部分にだけ雑草が生えておらず、 更に近づけば、 鈍色の丸いマンホールのふたがあるのが分かる。 そして、 その周囲には先程、 彩香が発見した獣の足跡がうっすらとだが残っていた。 そして、 それらの足跡は全てマンホールに向かっている。
「ここから逃げていったのか」
間宮はそう言いながら先程と同じように写真を撮っていく。 桜子と彩香も同じように写真を撮っていくが、 円は写真撮影には参加せず、 周囲を見渡す。 ホームレスや後からやって来たという人々から見れば、 この場所は見つけづらい。 後からやって来た目撃者達はもとより、 パニックに陥ったホームレスはここから逃げていく獣の影を見つけることは難しいだろう。
問題は警察がこの足跡を見逃したことだが、 恐らく、 野良犬か何かと間違えたのだろうと、 内心でフォローする。 したところでどうにもならないのだが。
「仮にマンホールから下水道に逃げたのなら、 追うのは難しいぞ」
間宮はそう言いながら、 携帯をしまう。 この付近の下水道は複雑化しており、 五人だけでは下手人を見つけることなど不可能である。 それどころか、 地の利がある相手に襲撃される危険性が十二分にある。
「ここではこれ以上は無理か」
間宮のその言葉が、 “捜査”に行き詰まったことを示していた。
†
その日の晩。
奥畑 実里は夜の繁華街を歩いていた。 様々な色の光が彼女を含めて周囲の人々の目に映る。
「あ〜あ、 ろくな男がいなかったなぁ」
そうため息をつく実里。 先程まで合コンに行っていたのだが、 結果としてはたった一人で繁華街を歩いていることから分かるだろう。
「ねぇ、 今暇?」
そう呼びかけられて振り返れば、 五人ほどの男がそこにいた。 実里と同じくらいの年齢の男で全員が髪を染め、 遊び慣れた印象を受ける。 しかし、 細身というわけではなく、 全員いわゆる細マッチョと言われる体格である
。
「って、 酔ってる? 大丈夫?」
そう言いながらリーダー格と思われる男が実里に近づく。 実際彼女はそれなりに酔っているのは事実ではある。 普段ならば近づいてくる時点で、 なんとかあしらおうとするだろうが、 酔いが回っており、 自分に話しかけられており、 貞操の危機であるということにようやく理解する。
逃げようとする前に、 自分の背中はビルについているし、 前はリーダー格のチャラ男、 左右は他の四人に囲まれており、 逃げることができなくなっていた。
周囲の人々はこの集団を見るだけで、 通り過ぎていく。 彼らも酔っているし、 そもそも五人の男の中には暴力慣れしている雰囲気を醸し出しているものもいる。 そのような者に勇気を出していく者など……
「何ヲしテイる」
いた。
黒いフードを被った全身黒ずくめの男だ。 身長は男達よりやや高い程度であり、 どこかかすれた声を出している。
「早ク逃げロ」
早口で、 泣くような独特の話し方で実里に声をかける男。 彼女を囲んでいた男達も彼が自分達に声をかけたことに気が付いたらしい。 苛立ちながら黒ずくめの男を囲みだす。
男達から解放された実里は、 黒ずくめの男に内心で礼を言いつつ、 何度も躓きながら、 その場を去る。
周囲にいた男達は、 いつ黒ずくめの男に殴りかかってもおかしくはない。 それでも男は平然としていた。 その姿に安堵しながらもどうしても気になってしまうことがあった。
離れる時に実里が感じた臭いと声。
それはドブ川のような、 いや、 まるで下水道に長時間いたような、 そんな臭い。
そして、 かすれた、 泣くような奇妙な声と話し方。
奥畑 実里は助けてもらいながらも、 どうしてもそのことが頭から離れなかった。