1:動く人形
お待たせしました。 新章開幕です。
人形に魂が宿るなら、 人形は何を知るのだろう。
人形に魂が宿るなら、 人形は何を想うのだろう。
人形に魂が宿るなら、 人形は何を語るのだろう。
人形に魂が宿るなら、 人形は誰を愛するのだろう。
ある無名の詩人
唐突ではあるのだが、 桐島 円には両親の他に弟がいる。 現在高校二年生。 一番楽しい時期になるだろう。 来年には受験を控えているが、 前回の模試の結果はA判定であり、 より上の大学の受験を薦められているほど優秀な成績を修めている。
そして親戚関係と言えば従兄弟が父方に数人、 母方に一人いる。 母方のたった一人の従妹の名は入谷 愛理という。 どこか勘の鋭いところがある今年で小学五年生になる可愛らしい少女である。 この世界がラブコメ的な世界であれば五、 六年後にはヒロインになれたであろう器量良しである。
されど、 この時点ではまだ誰も気が付いていなかった。
彼女に降りかかる災難の数々を。
幻想怪異録 3.人形達の楽園
季節は八月。 一学期が終わり、 学生達はテストが終わり、 思い思いの休暇を楽しんでいる時期。 大人達が大粒の汗を流しながら必死に働く時期。 桐島 円と彼女の友人達は学生らしく夏休みを謳歌していた。
この日、 円は友人の彩香、 実里と一緒に映画を見に行っていた。 公開前から話題になった映画で、 期末テストが終わった直後から一緒に行こうと約束していたものだ。 映画の感想? 漫画を実写映画にするのは許されざることであると三人が学んだと言えばおおよそ分かるだろう。 特に元ネタとなった漫画の愛読者であり、 他の二人に一緒に行こうと誘っていた奥畑 実里は怒りを通り越して絶望していた。 映画を見た後は二人に対して「ごめんなさい」としか言わなかった。
映画を見終わり、 昼食を食べている時には完全に回復していたのであるが。 女の子は現金なのだ。
「あ、 ちょっと待って」
時刻は夕方というよりも夜に近くなってきた頃。 本日の予定はほぼ全て消化し、 後は夕食を食べに行くところである。 円のスマートフォンから着信音が鳴る。 二人に了承を取ってから、 スマートフォンを鞄から取り出すと、 画面には母方の叔母である「入谷 玲奈」の名前が映っていた。
「もしもし、 叔母さん? どうしたの?」
「円ちゃん!? 愛理が今どこにいるか知らない!?」
「いえ、 知りませんけど……どうかしましたか」
電話に出れば、 焦ったような叔母の声。 事情を知らない円は混乱するが、 ひとまずは落ち着いて叔母から話の続きを聞く。
「今日、 友達とプールに出かけたのに帰ってきてないの! プールに一緒に行った友達のところも帰ってきていないみたいで……今、 どこにいるの? 一緒に探してくれない!?」
「分かりました! すぐそっちに行きます!」
そう伝えると、 電話は切れた。 ひとまず、 待ってくれていた友人達に「ゴメン、 ご飯一緒に行けなくなった」と伝えると、 話を聞いていたのだろう、 二人の友人は心配した様子だった。
「なんか、 ヤバそうな感じだったけど……大丈夫?」
「また、 前みたいにヤバい事件だったら手伝うよ」
六月に発生した怪事件に巻き込まれたときは二人とも重傷を負い、 入院までした。 当然学業の方にも影響が出ており、 単位を何個も落としたと聞いている。 それでも手伝おうとしてくれる当たり、 本当に二人は良い人だ。
しかし、 今回は彼女の家の問題である。 まだ、 怪事件とも限らない。 二人には、 必要ならば手伝いを頼むかもしれないから、 その時はお願いすると伝えておいて、 駅の方向へと駆け出した。
†
夏も半ばになっているとはいえ、 夜になればいささか暑さが和らいでくる。 しかし、 声を挙げながら走り回っていれば、 そんなものは関係ない。
汗だくになりながら円は従妹を探し回っていた。 その健脚を活かして、 従妹の名前を叫びながら、 従妹の家の近所を走り回っていた。 しかし、行方不明になっている従妹の影すら見えなかった。
入谷夫妻を含む子供達の親は警察にはすでに連絡していたが、 全く取り合わなかったという。 いわく、 「年頃の娘にはよくあることだ」だとか。
これ以上騒ぎ立てるよりも、 自分達の娘の事を重視して、 親たちは引き下がったらいしい。 しかし当然のごとく、 両親達はひどく憤慨していた。 ただ、 警察としては事件とならなければ行動できないのも事実なのだ。 重大な事件が起こっていない現時点では行動しようがない。 さすがに何日も行方不明になっていなければ、 事件性ありとして捜査を開始できるだろうが……。 そのころには手遅れになっている可能性もある。
ただし最近、 この周辺で行方不明になっている人々が増えてきている。 マスコミもテレビや新聞で報道していたのに、 何もしないというのは、 さすがに怠慢すぎる対応ではないだろうか。 行方不明者の中から死者でも出れば非難は免れないだろう。
「お姉ちゃん!」
走り、 探し回ること小一時間。 聞き覚えのある声に思わず立ち止まる。 そのとたん、 急に汗が噴き出し、 暑さを感じてくるが、 そのことを気にせずに声の主の名を挙げる。
「愛理!」
そこにいたのは円の従妹。 行方が分からなくなっていた入谷 愛理だった。 可愛らしいその表情は涙でボロボロになっている。 必死になって逃げてきたのだろう、 服は乱れており、 転んだのか薄汚れていた。 持っていたであろう鞄はない。 落としてしまったのだろう。
彼女の他にも二人友人がいたはずだが見当たらない。 はぐれてしまったのだろうか。 そう考えていた円だが、 ひとまずは従妹の愛理が無事なことを喜ぶ。
「大丈夫? 何があったの?」
「……人形に追いかけられたの、 二人とも連れていかれて、 わたしだけが逃げてこれて……」
よほどの恐怖があったのだろう、 円が渡したハンカチを涙と鼻水でグシャグシャに濡らしながら、 その顔はなお涙と鼻水でグシャグシャだった。
正体不明の狂気体験をした従妹に何も言えず、 それでも従妹を落ち着かせようと抱きしめていた円だったが、 暗闇から現れた小さな集団を見て、 驚愕に目を開く。
そこにいたのは人形だった。 円の膝丈ほどの身長しかない、 女の子の人形の集団だった。 すこし、 古いデザインだったが、 どこか高級感を漂わせる様々な服を着ていた。
普段ならば可愛らしさを感じるであろうその表情は、 百を超えるであろう同じカタチをした人形によって、 可愛さよりも不気味さと言いようのない恐怖を感じさせた。
その人形の集団は変わらない表情のまま、 一歩一歩と円達の方へと近づいてくる。
愛理はそれを見て小さな悲鳴を上げると、 円の後ろに隠れてしがみつく。 円はそんな従妹を守るように立つと、 拳を構える。
それを合図とするかのように人形達の内数体が一斉に襲い掛かって来た。
円の正面に飛び掛かって来た一体を手刀で打ち落とし、 足元に来た数体をまとめて蹴り飛ばす。 蹴り飛ばされた人形の手足がいくつか不自然に折れ曲がり、 そのいくつかはあっさりとちぎれ飛ぶ。 もう片方の足で同じように蹴り飛ばすと、 襲ってきた人形達は全て哀れな残骸となって動かなくなった。
しかし、 感情のない人形には恐怖も感じず、 打ち砕かれた同胞には目もくれず、 一歩一歩と更に距離を詰めてくる。
「くそっ、 きりがない」
舌打ちをしながら数歩下がる円。 後ろにいた愛理も同様に下がっていくが、 後ろからの音に気が付いて振り返る。
「お、 お姉ちゃん……」
か細い、 悲鳴に似た声。 その声に振り返れば、 その先にいたのは同じような人形の群れ。
囲まれている。 その事実を知った円は従妹の手を握り、 目の前の人形の群れを切り抜けようと駆け出す。
「離さないでね!」
「う、 うん!」
走る際に大げさに足を振ることで、 目の前を遮る人形を蹴り飛ばす。 先程とは違い、 人形の手足がちぎれ飛ぶようなことはなかったが、 それでも軽い人形は簡単に飛んでいく。
走りながらの蹴りを繰り返すこと数度。 とうとう人形がいなくなっている光景が円の目前に映る。
逃げきれる! と思う間もなく、 彼女の脛に激痛が走る。 その痛みに思わず、 転んでしまう円。 一体何が、 と焦りながら今もなお痛む右足を見てみれば、 決して浅くない切り傷があった。
どうして、 と思いながら目線を上げれば人形の一体が血に濡れた包丁を握っていた。 血の持ち主は円に違いない。
そこまで観察してから、 円は自身が致命的なミスを犯していることに気が付いた。 握ったはずの手を離してしまっていた。
「お姉ちゃ―――ん! 助けてぇ!」
離してしまった手の主、 愛理は人形の群れに胴上げされるような形で連れていかれていた。 愛理が半狂乱になりながら抜け出そうと暴れても暴れても、 人形の群れは上手にバランスを取り、 彼女を落とそうとはしなかった。
「くそっ! 待て!」
痛みをこらえて立ち上がり、 慌てて後を追おうとするが、 従妹を持ち上げている人形以外が一斉に円に相対する。 その中には包丁や棍棒といった武器を構えている人形もいた。 次の標的に円を定めたのだろう。
「邪魔! どいて!」
道を遮る人形を武器を持っている者を避けつつ、 先程と同じように蹴り飛ばしながら従妹の後を追っていく。 しかし、 人形の集団は密度を増して、 彼女の歩みを止めようとする。
痛む足を抑えながら、 邪魔をする人形の集団を蹴散らしていくが、 足を切りつけられたこともあって、 先程よりも勢いがない。 流石に何度も蹴り上げていると息が上がっていき、 勢いが落ちる。
勢いのなくなった足に人形の一体がしがみつく。 小さいとはいえ、 円の膝丈ほどもある大きさだ。 中に何か詰められているらしく、 想像以上に重い。
その重さにバランスを崩している隙をつかれ、 複数の人形が円に襲い掛かる。 バランスを崩している状態の円は複数の衝撃に耐えきれず、 うつ伏せに倒れてしまう。 その隙を狙って、 更に二十数体の人形がその上に襲い掛かる。
起き上がろうとしている円の懐に人形が十数体潜り込む。 「まずい」と感じる暇もなく、 円の長身が持ち上げられる。 浮き上がった手足にも人形が持ち上げていく。 斬りつけられた脛にも無機質な手が強引に掴まれ、 苦痛の声を漏らし顔をゆがめる。
「円ちゃん!?」
円も従妹と同じような体勢で、 連れ去られて行こうとしたとき、 女性の声が響く。 円の叔母、 入谷 玲奈の声だ。 彼女の他にも複数人の声が聞こえる。 叔母と同じように子供達を探している人たちの声だ。 無機質なはずの人形が動揺が原因かは分からないが、 先程までとれていた統率があっさりと崩れる。
その隙を逃さず、 円が振り払おうともがきだすと、 人形の集団はあっさりと円を落とした。 「ぐぇっ」という女性に相応しくない悲鳴を上げて転げ落ちる円。
周囲から人々がやってくる中、 人形達はあっさりと逃げ出す。 人形達が逃げた先にいた人々は動いている人形の集団がいるという事実に驚き戸惑い、 あっさりと離脱を許してしまう。
その中に連れ去られた少女と人形の集団はなく、 もうどこにも見えなくなっていた。
「ちくしょう……」
砕かれた人形が散乱する中、 上半身を起こした円は悔し気に呟いた声は誰にも聞こえることなく消えていった。
周囲にいる大人達は事情が分からず呆然としていた。
今夜、 最近発生している行方不明者の中に、 新たに三人の児童な名前が加えられた。