Epilogue:鴉は見ていた
第二部、 完! 話は続くけどな!
子供の頃は、大人になれば強くなれると思っていたが、大人になるというのは弱さを受け入れることだ。人は生きている限り弱いものだから
When we were children, we used to think that when we grew up we would no longer be vulnerable. But to grow up is to accept vulnerability, to be alive is to be vulnerable.
マデレイン・レングル
Madeleine L'Engle
「そうですか……そんなことが」
上糸 振夢と『滑る影』の襲撃から一夜明けて、 穂村は聖鸞神社の客間で神主と話をしていた。
自分と父に起こったこと、 そして昨夜の顛末。 警察には語れなかった狂気的な真実。
話を聞いた神主は疑うこともなく信じてくれた。 以前、 彼の父親を信じ切ることができなかったからか、
穂村の話を真剣に聞いてくれている。 だからこそ、 穂村も神主にここまでの真実を話そうと考えたのだろう。
「えぇ……僕自身未だに信じ切れていないのですが」
そう言いながら頬を掻く穂村。 昨夜の光景を見てもまだ、 自身に迫っていた狂気的な危機に現実感を感じることはできなかった。 それほどまでに昨夜までの事は衝撃的過ぎた。
切っ掛けは自分の夢だった。 祖母の様子がおかしいことも含めて、 先輩と一緒に植酉町に帰ってきていなければ、 今頃自分はどうなっていたのだろう。 父と同じように祖父に肉体を乗っ取られていたのだろうか。 そう考えるが、 やはり現実味を感じることはできなかった。 無事に生きて帰れたことが起因しているのかもしれない。
そんな風に悩む様子の彼を見て、 神主は優し気に微笑む。 そして、 「もう帰られるのですか?」と尋ねれば「祖母に挨拶してから帰ります」という返事が返ってきた。
「たまには帰ってきて、 おばあさんに元気な顔を見せてあげてくださいね」
「ええ、 この世でたった一人の親族ですから」
少し寂し気な表情で話す穂村を見て、 「少しだけ待っていてください」と言うと神主は背を向けて、 客間の奥、 神主の自室に消える。 少ししてから神主が客間に戻って来た時、 彼は真新しいお守りを持っていた。
「当神社に納められていた護符が中に入っています。 また、 似たような事件が起きないとも限りません。 是非、 持って行ってください」
そう言って、 手渡されたお守りはほんの少しだけ神主の体温とは違う温かみが感じられた。 昨夜の光景のような科学では証明できないような未知の力。 ただ、 昨夜のような冒涜的なモノとは違って、 どこか安心できるような力のような気がした。
「いいんですか?」
そう尋ねれば、 「きっとあなたの方が必要になるでしょう」と優し気な笑顔で答えてくれた。
その言葉にどこか父の面影を見た穂村は「分かりました。 ありがとうございます!」とお守りを強く握りしめながら答えると、 神主は嬉しそうにほほ笑んだ。
†
「……異動ですか?」
東地支警察署。 そこに所属していた間宮 智樹は上司から言われた言葉に目を白黒させた。
「あぁ、 まだ内示ではあるがな。 おめでとう、 県警本部の機動捜査隊に異動が決まった。 いつも志願していただろう」
「……はい!」
突然の事ではあるものの、 自身の望んだ部署への異動は嬉しいことばかりだ。 しかし、 内示が出たということは正式な辞令が出るまでに、 引継ぎを完全に済ませなければならないということでもある。 今、 間宮が抱えている案件は昨夜の上糸家での一件のみだ。
世間一般的には強盗事件として考えられている事件であり、 被疑者は逃亡中。 目撃者も暗かったこともあって犯人の顔はよく見れなかったということになっている。
しかし、 その裏に隠された真実はそんなものではない。 強盗―――上糸 振夢は死亡した。 ミイラのような化け物に襲われて。 あの後、 近くの林から塵の山が見つかった。 警察は誰も気にしてはいなかったが、 恐らくあれが上糸 振夢のなれの果てだ。
しかし、 そのことを知るものは少ない。 かくいう間宮は真実を知る一人だ。
あの夕方、 円と穂村の二人に呼び止められていなければ、 あの時彼らの話を聞かなければ、 自分も真実を知ることはなかったのだろう。 その場合はどうなったか……あまり変わらなかったかもしれない。 あの時、 自分は活躍できていたとは言えなかったから。
悶々とした感情を抱えながら、 上司に礼を言い、 自分の席に戻り、 目の前の調書をまとめようとするが、 ふと近くの窓の外に視線が移る。 そこには雲一つない晴天が広がっており、 以前ならば清々しい印象を感じていただろう。
しかし、 あの怪物を知ってしまってはそのような印象を感じることはないのかもしれない。 銃が通用しない粘液性の黒い怪物。 その黒い怪物を一瞬で塵に変えてしまった小さなミイラのような化け物。
あのような存在が、 自身の周りにまだいるのかもしれない。 そう考えてしまうと、 清々しさを感じていた晴天もどこか寒々しい印象を与えてくる。
自分はいつまで狂気に染まらずにいられるのだろうか。
以前ならば考えもしなかった考え。 その考えばかりが昨夜から何度も頭の中を駆け巡る。
「っといけない」
正式な辞令までまだ日にちはあるものの、 時間と言うものはあっという間に過ぎてしまう。 化け物が現実にいると知る前からこの真実に気付いていた間宮は大慌てで、 目の前の書類―――上糸家の強盗事件についての書類の続きを書き始めた。
†
「あら、 穂村君。 もういいの?」
上糸 振夢の襲撃から二日。 三塚大学のキャンパスで桐島 円は目の前を歩く穂村 暁大に声をかけた。
あの事件の後、 円と穂村は一緒の電車で帰って来た。 自身を中心に起こった事件だったので、 しばらくは休む事を勧めていた。 疲れというものは後からドッと来るものなので、 落ち着いたときに精神的な疲れが来ないか心配していたのだ。
「えぇ、 もう大丈夫です。 ご心配をおかけしました」
「そう、 なら良かったけど」
安心したように息をつく円。 精神医療の類に触れたことのない彼女は彼の精神状態について詳しくは分からない。 しかし、 彼女の眼には彼が事件のことを気にしていながらも、 悲痛な感情を抱いていないように映った。
安心していたところに油断していたのだろう。 「円〜!」と友人の声が聞こえてきたかと思うと、 腰に軽い衝撃が走る。 最近退院した泉 彩香が突っ込んできたのだ。
長身で鍛えている円と小柄で細身の彩香では体重も当然のように差がある。 おまけに彩香は病み上がりだ。 「ぐええ……」と力尽きたような声を出しながら、 へたり込む。
「大丈夫?」
「大丈夫……ところで」
どこにそんな元気があったのか、 「ガバッ」という擬音がしそうなほどの勢いで起き上がると、 目を輝かせて円を問い詰める。
「円! その男の人誰!? 恋人!? 恋人!?」
「違うよ、 後輩で如月喫茶店で知り合った穂村君だよ。 以前紹介したでしょ?」
呆れたような円の返事に、 納得しながら起き上がる彩香。
「あ〜、 あの後輩君か〜。 よく見れば円の好みからは離れているような……」
「えっ」
「ほら円以前話してたでしょ。 付き合うなら自分よりも背が高くて、 筋肉がある人がいいって」
「えっ」
ちなみに言っておくが円の身長は百七十四センチ、 穂村の身長は百七十センチ。 筋力差? 円の方が腕が太いと言えば大体分かるだろう。
絶望的な表情を浮かべる穂村に気が付かず、 話し始める女性二人。 それでも諦めきれないのか、 穂村は暗い表情をムリヤリ隠しながら、 先輩達の話に混ざろうとした。
頑張れ穂村。 円は君の表情を見て、 植酉町での事件をやっぱり引きずっているんじゃないかと勘違いしているぞ!
†
楽しそうに談笑しながら移動する大学生三人組。 それを校舎の屋上から見つめる一羽の鴉がいた。
どこか、 狂人のような眼差しを持つその鴉は、 憎々し気に穂村を―――正確には穂村が身に着けているお守りを睨みつけているような気がした。
その後に、 一声大きな声で鳴くと、 その鴉はどこかへと飛んで行ってしまった。
鴉の正体に気が付く人はいない。 その目的も。 今は、 まだ。