1:発端
復帰連載作品第一作目となります。
クトゥルフ神話をベースとしたお話。
クトゥルフ神話TRPGにはまってから書いてみたかった話です。(一緒にやってくれる友達いないけど)
悪を罰しない者は、悪を行えと言っているのだ。
He who does not punish evil, commands it to be done.
レオナルド・ダ・ヴィンチ
Leonardo Da Vinci
清山県と呼ばれる場所がある。 南には海が広がり、 北には山脈が連なっている。 人口はおよそ五〇〇万人。 その約三割が県庁所在地である赤霧市に集中している。 工芸品、 農産物に有名なものが多く、 南西部で獲れる海産物は知る人ぞ知る名品である。 更には、 優秀な美術家や学者を多く輩出していたりする研究と学問の街、 市があったりするなど他県とは一線を画す場所である。
ただし、 清山県はオカルトマニアに有名な県でもある。 かつて、 とある陰陽師が幕府の破滅を願って、 邪神を呼ぼうとした伝説があるとか、 田舎に似つかわしくないほど立派な神社があり、 その神社は邪神を鎮めるために建立されたとか、 清山県の暴力団は何らかの神の加護を得ているとか、 毎年常識では考えられない事件が発生しているとか、 県警には“オカルト対策課”まで存在しているだとか……。 これらは全てネット上でしか語られていない、 いわゆる噂話、 都市伝説とやらに過ぎない。
しかし、 火のないところに煙は立たない。 実はネットで語られている無数の戯言の中には本当に存在していた話もある。 それらは時には権力によって消され、 時には関わった者たちによって隠され、 時には知る者たちが“いなくなる”ことで誰にも伝えられることがなくなり……。
此度、 この場を借りて語らせてもらうのはそんな話。
幻想と狂気の物語―――――
幻想怪異録 1.神様からの贈り物
桐島 円は三塚大学文学部歴史学科の二回生である。 身長は一七四センチメートルと女性としては非常に高身長なのは同じように身長の高い彼女の両親、 祖父母からの遺伝だろう。 幼いころから空手を習っており、その肉体は動きを阻害しない程度にしっかりと鍛えられている。 県大会で優勝したこともある実力者でもある。
裕福な家に生まれた彼女は両親と祖父母の愛情をしっかりと受けて成長してきた。 学業面では問題はなく、 将来は大学で民俗学の研究をしていければと考えている。 最近はとある教授の研究室に邪魔にならないように時折訪れて、 夏休みに行われる合宿に参加する約束を取り付けることが出来、 上機嫌であった。
そんな彼女だが、 今現在大欠伸をしながら講義の一つを受けていた。
痩せぎすだが整えられた髪と高級そうなスーツに身を包んだ講師、 石間 傑が行う講義は退屈極まりないものであった。 周囲を見渡しても、 講義室には円と同じように欠伸をしている者や、 携帯電話を堂々と操作している者、 居眠りしている者など講師の話をろくに聞いていない者達しかいなかった。
円の友人であり、 同じように講義に参加している奥畑 実里にいたっては講義の出欠を取った後などはすぐに寝てしまい、 講義終了時に円に起こされるといったことを毎回行っているほどだ。
それでも単位は取れるのだから、 この講義はやる気のない学生達にとって席が埋まっているかと思いきや、 小さな講義室には半分以上の席が空いていた。
ようはそれほどつまらない講義なのだ。 同じように出席するだけで単位が取れる講義は他にもあるが、 石間の講義よりも面白かったり、 為になる内容の講義を行っていたりするので、 このつまらない講義に参加する必要はほとんどないと言っていい。
実際に残っている者も講義を取った以上は、 単位を落としたくないだけであり、 円達もそういった考えで受講しているにすぎない。
石間 傑の講義はつまらない、 受講する学生は半分もいればいい方。 口の悪い学生や講師はそう噂している。 円に講義を勧めた先輩はいったい何を考えて勧めたのか。 円がその考えを理解することはないだろう。
(……と思っていたんだけどねえ)
そう、 石間の講義はつまらない。 六月に入ってもそれは変わらなかった。 そのはずだ。
しかし、 六月に入ってから講義を受けに来る人の数が増えているのだ。 小さな講義室はいっぱいになり、 立ち見する人までいるほどだ。
彼らのほとんどは講義よりも石間個人に興味があるのか、 講義をあまり聞いていないように見える。
ふと、 友人がいる反対方向の隣にいる女学生は崇拝するような目で石間を見つめている。 しかし、 机の上にノートは広げられていない。
周囲を見ればそのような生徒達ばかりで、 ノートを広げている円が妙に浮いている。
まあ、 そんな円のノートの中はまったく何も書き込まれていないのだが。
装甲しているうちに、 講義の終わりを告げるチャイムが鳴り、 生徒達は片づけを始める。 円も同じように広げていた白紙のノートをカバンにしまう。
隣にいた居眠り中の友人、 奥畑を起こして、 講義室を出る。 他の生徒達、 円の隣にいた女学生も含めて、 石間を崇拝するかのような目で見ていた者たちは教壇を降りた石間を囲み、 積極的に話しかけていた。 すぐに講義室を出たのは数人でしかない。
石間自身が信者を増やすような何らかの行いをしたと聞いた事はない。 疑問に思いながら、 円は奥畑と共に次の講義室へ向かっていった。 次の講義は、 彼女がよくお世話になっている准教授の講義だ。
「ねえ、 貴女達」
そう呼び止められた声に円と実里は振り返る。 そこにいたのは二人の女学生。 円は彼女らと会話したことも会ったこともない。 実里の方を向いても「知らない」と言わんばかりに首を傾けるだけだ。
二人の女学生はそんな彼女達の様子を気にもせずに話を続ける。
「貴女達石間さんの講義を受けているのでしょ? 次から変わってほしいの」
「どうして?」
疑問を挟んだのは友人の実里。 円も同じように疑問に思っていた。 見も知らぬ相手につまらない講義の席を代わってほしいなど、 疑問に思うのが普通だろう。
「別にいいじゃない。 出欠も貴女達の代わりにとってあげるからいいでしょう」
そのような疑問に対して、 何も答えず、 とにかく代わるよう要求してくる女学生達。 その異様な気迫に圧されたのか、 実里は自身よりも大柄な円の後ろに下がる。
円も二人の雰囲気に異常を感じた。 こういう時は素直に要求を受け入れるのが問題を起こさない一番の方法といえよう。 最悪失うのは単位一つのみであまり損をするという話でもない。
「その申し出はありがたいけど、 授業は自分で受けてこそ価値があるしね。 行こう、 実里」
「え? あ、 うん」
しかし、 あまりの必死さになにか事件の匂いを感じた円はこの申し出を断ることにした。 なにか犯罪的なことに大学が巻き込まれつつあるのかもしれないと感じながら。
要求を断られて呆然とする女学生二人を背にして、 同じように呆然とする友人の手を引いて、 円は次の講義へと向かう。
呆然としていた二人から殺気にも近いナニカを向けられながら。
†
「やっと終わったぁ」
そう言って泉 彩香は盛大に背伸びをした。 その小柄な体格はどうしても小学生にしか見えないが、 実際は国立三塚大学の医学生である。
彼女は先程、 教授から与えられたレポートの課題、 それをようやく終わらせることが出来たのだ。 出された課題の量からして、 最悪徹夜を覚悟していたが、 日がまだ完全に沈み切っていないうちに書き上げたそれは、 中々の出来であるといえよう。
レポートを記録した後、 そのデータをUSBに移す。 この後、 大学のパソコンルームで数十枚に及ぶレポートを印刷する必要があるからだ。 徹夜した場合は朝一で印刷をしに行くつもりであった。
自分のノートパソコンの電源を落とし、 荷物をまとめて、 医学部生が多く集まるラウンジを離れるべく席を立つ。 途中で会った友人達と少し会話をした後、 パソコンルームがある校舎へと向かう。
「そうなんですよ! ぜひ先生に読んでほしい本がありまして……」
(……およ?)
その途中で一つの集団とすれ違う。 男女問わず十数名の学生に囲まれながら歩く中心にはまだ若いが学生には見えない男性。 学生の身分では手に入らないだろう高級そうなスーツに身を包んだ男で、 おそらくはこの大学の講師だろう。 しかし、 その顔に見覚えがない。 おそらくは別の学部の講師なのだろうと判断した彩香だが、 取り囲んでいる生徒達の中に見覚えのある顔が一つ。
(林田じゃん。 何してんだアイツ)
林田 修一。 彩香と同じ三塚大学の医学部生であるが、 二回生になってからあまり大学に来なくなった男だ。 噂では単位を落としすぎて留年してしまったらしい。 新年度になって一度だけ泉は林田を見たことがあるが、 どうしてもその時の姿と今の林田を見比べると違和感がある。
以前見たときは、 常にイライラしており、 余裕も夢もないような様子であった。 身だしなみにも気を付けておらず、 薄汚い印象を周囲に与えていた。 しかし、 今の講師と思しき男に話しかける林田は、 身なりこそ変わらないものの、 まるで憧れのスーパースターに出会い、 話をすることが出来たような少年のように輝いた表情をしている。
その講師らしき男の事を同じ医学部生である泉は知らない。 もしかしたら、 ある学部では有名人なのかもしれないが、 少なくとも医学部では無名といえる。
それなのに、 どうしてあまり大学に来ない林田が彼を憧れの目で見ているのか、 それに興味がわいた泉はレポートの印刷を後回しにして、 その集団の後をつけてみる。 幸いにも奇妙な集団は話に夢中のようで、 後をつける彩香の事には気が付いていない様子だった。
「実はまだ僕もさわりしか読んでないんですけど、 本当に素晴らしいんですよ! 人生が変わりますよ!」
「へえ、 そんなにか」
「ええ! 『グラーキの黙示録』という本なんですけど……」
「む、 すまないがまだ仕事が残っているので、 この話はまた後で」
熱心に話す林田の言葉を遮るようにそう言うと、 講師は学生の集団から抜け出て、 校舎の一つに入っていく。
そもそも、 まださわりしか読んでいないのに人に勧めるのはどうなのかという突っ込みどころがあるのが、 それ以上に気になったのが本のタイトル。
『グラーキの黙示録』というらしいが、 林田は何かの宗教にハマって勧誘をしているのだろうか。 周りの学生達も林田の話を止めようとしないのを見ると彼らも同じく宗教にハマっているのか。 とすれば、 これははた迷惑な勧誘行為ではないだろうか。
「ええ、 またあとで。 石間先生」
学生部にこのことを伝えた方がいいのか思案している泉の耳に最後に入ってきたのは林田のそんな言葉。 あの講師の名前は石間というらしい。
そして、 石間が校舎の中に入ると同時に学生の集団は全員校舎から離れて、 ばらばらに動き出す。 その中で、 林田と泉はすれ違ったが、 林田が泉に気が付くことはなかった。
思わず声をかけようとした泉だが、 ぼそりと呟いた林田の言葉に違和感を覚え、 押し黙る。 その言葉は
「早くアレを呼んでいただかないと……おれ達には救世主が必要なんだ」
というものであった。
その声色からは焦りが見え、 先程の嬉しそうな声からは予想できないものであった。
救世主とはどういうことなのか、 あの石間とかいう講師が救世主になりえるのか。 そういった疑問が頭に浮かんでいる間に、 林田の姿は見えなくなっていた。
「あっ、 やばい」
少しの間、 林田と謎の集団、 そして彼らに囲まれた石間という講師のことについて考えていた泉だが、 あることを思い出し、 慌てだす。
そう、 レポートはまだ印刷できていなかった。 もうすぐパソコンルームは閉まってしまう。 そうなると朝一に大学に来なければならなくなる。
それは面倒だと思った彩香はパソコンルームのある校舎へと急ぐ。
先程の言い表せない不安を忘れるように。
†
「まどかー」
石間の講義を代わってほしいと頼まれた翌日。 自身を呼ぶのんきな声に振り向けば小学生と見間違えかねない体格を持つ女性。 友人の泉 彩香がそこにいた。 二人とも同じ大学に通っているが、 学部が違うこともあって、 こうして会うのは一週間ぶりになる。
「おー、 相変わらず小さいなあ」
「やめてよ、 もー」
わしゃわしゃと彩香の頭をかき乱す円と迷惑そうにする彩香。 二人は中学校からの友人である。 かたや身長 百四十三センチの小柄で細身の合法ロリ、 かたや身長百七十四センチと女性にしては高い身長にの筋肉質な体躯。 理系と文系。 全く違う二人だが、 逆にそれが良かったのか、 同じ大学に通っていることもあり、 八年たった今でも交流が続いている。
ワイワイと近況を話し合いながら、 電車から降りる二人。 その中で、 彩香が出会った奇妙な集団、 その中心人物である石間の話を彩香がしたとき、 円はこの間あった奇妙な出来事を思い出した。
「そういえばその石間講師の授業なんだけど、 まったく面白くないのに最近受講する人が増えてるんだよね……おかしいほどの人数が」
「へ〜、 その石間って講師に最近何かあったのかな」
「そんな話は聞いたことはないけど……石間って名前の講師って他にいたっけ? その人と勘違いしてるとかはないかな」
「あたしが見た“石間”の特徴とほとんど同じなんでしょ? 同じ名前に同じような特徴なんて人が二人いるなんてそうそうないと思うけど」
そう言いながら彩香は顎に手を当てて考えるような仕草をしたあと、 ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべて、 「これはなにかありそうですな」と呟く彩香。
そのまま駅を出て、 大学へと向かう途中でも、 どこぞの三流雑誌に記載されているような陳腐な陰謀論を語りだす彩香に対して、 「いや、 ないない」と苦笑しながら突っ込む円。
「へぇ、 なにか面白そうな話をしてるじゃん」
三塚大学の正門についてもくだらない陰謀論について語り合う大学生二人だったが、 突然真横からかけられた声に思わずそちらの方を振り向く。
そこにいたのは彼女等よりも少しばかり年上の女性だった。 薄めの化粧は彼女の魅力を十二分に活かしきっており、 パンツスーツは彼女を仕事のできる女性に演出していた。 しかし、 その美貌に張り付けられた下衆い微笑みが彼女の魅力を幾分か減じてしまっているように見えてしまう。
「あぁ、 自己紹介してなかったな。 “蕨 桜子”だ。 フリーライターってやつをやってる」
そう言いながら片手で差し出された名刺には確かに「フリーライター 蕨 桜子」と記されている。 もう片方の手にはメモとボールペンが握られている。 取材というやつだろうか。
「あぁ、 どうも」と言いながら名刺を受け取る円に対して、 美しい両目に怪しげな光を宿して、 桜子は畳みかける。
「で、 さっきの話に戻るけど、 中々面白そうな話をしてたじゃん。“人気のない講師が突然人気者に!”……確かになにかありそうだな」
「そんな内容じゃあ三流雑誌でも扱わないと思うけど?」
彩香の反論に対して「言うねぇ」とニヤニヤ笑いを浮かべながら、 二人から離れるつもりがなさそうな桜子。 二人がこの三流ブンヤからどう離れるか考えていたところ、
「誰か階段から落ちたぞ! 」
そんな声が響いたとき、 三人はその声の方向へと駆け出す。 声の方向からは確かに階段があるが、 そこで事故などほとんど発生してない。 特に急でもなく、 滑りやすいわけでもなく、 手すりだってついている。 雨でも降っていないのにそこから転げ落ちる可能性なんてほぼないと言っていい。
もしあるとするのならば。
「実里!?」
「ま……どか……? だれ、 かに……突き、 落とされ」
「分かったから、 動かないで! 彩香、 救急車!」
「う、 うん」
そう、 もしもここで誰かが転落するというのならば、 事故よりも事件の方が可能性が高いのだ。
突き落とされたと思しき円の友人、 奥畑 実里が階段の下で横たわっているのを見て、 慌てる円。 そんな円の声に救急車をスマホで呼ぶ彩香。
そんな二人の様子を見ながらにやつく桜子。 この女記者実に意地が悪い。
「そういやさ、 ワタシが何の用で三塚大学に来たか言ってなかったな」
「は!? 今はどうでもいいでしょ!? 血は出てないけど、 頭を打ってるから動かしちゃダメ!」
面白そうな声を上げる桜子にキレながら奥畑の診察を簡単にだが行う彩香。 彼女は学生だし、 診察器具もないので、 簡単な事しかできず、 気休めにしかならないがやらないよりはいいだろう。
応急手当を行う医者の卵に対して、 面白そうな様子を崩さずに、 そのまま語りかける桜子。
「実はな……最近、 この三塚大学の学生達が事件に関わってることが多いらしくてな、 それについて、 “学生”以外でなにか関係性がないか調べに来たんだよ」
「いいスクープになりそうだろ?」そう続けて呟く、 記者の言葉を聞いて、 円の脳裏にはあの視線が浮かんだ。 要求を断った円達に向けられたあの殺気に近い視線を。
これは始まりに過ぎなかった。
冒涜的で救い難い事件。 彼女達が首を突っ込むことになる事件がどのような結末を生み出したのか。
予知能力を持たない彼女達にとっていまだ知らぬことであった。