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 馬車はルキエ家の敷地に入った。町屋敷タウンハウスとは思えないような敷地の広さだ。

 屋敷の手前まで馬車で乗りつけると、先に止まっていた何台かの馬車が主を降ろして脇に寄った。


「レナルド・デ・ゼトワール様、ご到着です」


 来賓の整理をしていた使用人が伝える。馬車を降りた俺はルキエ家の執事に招き入れられた。

 何度来てもこの屋敷は、客人を飽きさせない巧みな装飾を施してある。季節に合わせて変化をつけているみたいだ。俺は広間サルーンに足を踏み入れた途端、名のある有名な作家の新作かと思われるシャンデリアをなんとなく見上げた。


 そんな俺を真っ先に見つけたのは、ポレット嬢ではなくスティードだった。奥方の趣味か、スッキリとしたツイードのスーツとスカーフは地味なスティードを何割か小マシに見せていた。


「レナルド、遅かったな。ポレット嬢に二度ほど、お前はまだかと訊ねられたぞ」


 そんなこと、俺には関係ない。


「へえ」


 鼻で笑うと、スティードは嘆息した。


「まあいい。ほら、奥のホールの人だかり、あの辺りにいるはずだからそのプレゼントを渡して来いよ」

「ああ、そうする」


 でかい薔薇の花束は、厳重に包まれて中の見えないプレゼントよりはインパクトがある。花束を抱えた俺を数人が振り返った。


「誕生日おめでとう」


 俺が作り笑いで佇んでいると、サファイアみたいに輝くドレスを着込んだポレット嬢が少しだけ拗ねたような顔を向けた。ダイヤのティアラにそろいのネックレスとイヤリング。眩しくて、三秒見たらうんざりした。


「あら、遅かったのね、レナルド」


 俺を呼び捨てにするのは、格上の家柄だと言いたいんだろう。俺に執着するのは、見栄えがいいからだ。そばに置いて皆がうらやむような男を支配したい。それだけのこと。あの派手がましいアクセサリーと同じだ。

 生憎と、俺はあんな不自然に締め上げた体に興味はない。


「貴方を想いつつ、手ずから薔薇を摘んでおりましたので」


 社交辞令としてそれくらいは言ってやる。

 薔薇の花束をそっと差し出すと、ほんのりと頬を赤らめて受け取った。俺は駄目押しをするように微笑んで一礼するとその場を離れた。背中にポレット嬢と取り巻きの視線が刺さるけれど、気づかない振りをしてスティードのいるホールの壁際に向かった。


 そこから眺めると、ポレット嬢は今日の主役らしく接待に忙しそうで、必要以上に俺に構っては来なかった。後でダンスを一曲くらいつき合えば今日の俺の役目は終わりでいいだろう。

 そういえば、最近あんまり遊びに出歩いていない。今日はこのまま馴染みの女ところへ出向こうか……そんなことを考えていると、隣でスティードが何かを言っていた。


「――だから、聞いているのかっ?」

「ん?」


 まったく聞いていなかった。愛想も何もない素の顔を向けると、スティードは少し怒った様子だった。


「だから、お前もそろそろ身を固めたらどうだと言っている」

「はぁ?」


 俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。スティードは馬鹿みたいに真面目だから冗談なんか言わない。


「お前が奥方と仲睦まじく暮らしているのは結構だが、だからといって俺にまでそういう考えを押しつけるなよ」


 ため息混じりに言うと、スティードは更に何かを言おうとした。そんな時、第三者がそこに介入した。昨日ばったり会ったリュファスだ。相変わらず冴えない。


「よ、お二人さん。相変わらず仲がいいな」


 別に、よくはない。まるで性格の違う俺たちだ。特に気が合うと感じたことはない。スティードの方が一方的に俺の世話を焼いて来るだけだ。俺としては、面倒な令嬢の相手をするよりは楽だからこうしているにすぎない。


 まあ、愛想を振り撒かなくても態度を変えないのはこのスティードくらいかも知れないけれど。

 いつもなら相手をするのも億劫なリュファスだが、この居心地の悪い空気を断ち切ってくれたと思えば、今はそう嫌だとも思わなかった。


「ああ、リュファス。もうポレット嬢に挨拶は済ませたのか?」


 当たり障りのない言葉をかけると、リュファスはフン、と笑った。


「相変わらずお高くとまっていたけどな」


 ろくに相手もされなかったというわけか。俺は苦笑した。そんな俺にリュファスはずい、と顔を寄せた。……あまり気持ちのいいものじゃないからやめてほしいところだ。

 リュファスは突然声を潜めた。


「なあ、お前が昨日連れていたメイド、イイ体してたよな。今度貸してくれよ」


 心地よく流れていた音楽がまるで耳に入らなくなった。体中の血がいっせいに沸いて、そうして一瞬で凍ったような感覚がした。下卑た笑い声が耳に残る。

 誰を貸せって? 誰に――?


 返事の代わりに右手が動いた。握り締めた俺の右手を素早く後ろでつかんだのはスティードだ。強い力でつかまれた腕が震える。

 鈍いリュファスは俺たちの後ろでそんなことが起こっているなんて気づきもしない。

 強張った顔をしていただろう俺の代わりにスティードがリュファスに言った。


「いい加減にしないか。いつまでも女性を泣かせてないで、少しは世のためになることをしてみたらどうなんだ」


 スティードお得意の説教が始まる。リュファスは顔をしかめて舌打ちすると俺たちから離れた。

 俺は、リュファスの横っ面に叩きつけるつもりだった右の拳を、いつまでもつかみ続けるスティードを睨んだ。

 祝いの席で暴力沙汰なんて起こしたら大問題だ。止めたスティードが正しい。それはわかっているけれど、気持ちが治まらない。

 ようやく手を放したスティードは嘆息した。


「そのメイドというのはディディエのことだろう?」


 スティードにも聞こえたらしい。俺は何か急にのどが狭まったみたいに感じられて声を絞り出す。


「そうだ」


 スティードはかすかにうなずいた。


「だったら、侮辱されてお前が怒るのも無理はない」


 ディディエは俺の乳兄妹でニコルの忘れ形見だ。リュファスみたいな屑の玩具になんてさせられない。そんなのは当然のことだ。

 でもその時、スティードは俺をも苛むような顔をした。


「でもな、ディディエが『そういう目』で見られたのはお前のせいだ。お前の普段の素行が、そばにいたディディエを貶めたんだ」

「っ……」


 家が絡んで厄介な女でなければ、それなりの関係を持って来た。それをリュファスも知っているから、ディディエにも俺がすでに手をつけたと思われた。年頃になった途端、そういう目を向けられたって言うんだ。

 俺にとってディディエはそんな対象じゃなくて、可愛い妹のようだとしても、周囲の目は――。

 愕然とした。俺は力を失った拳をだらしなく下げると、スティードに訊ねた。


「なあ、スティード。ディディエはお前の目から見てどう見える?」

「どういう意味だ?」


 眉根をかすかに寄せたスティードに、俺は苛立つ。口調が自然と荒っぽくなったのは、焦りの表れだろうか。


「子供っぽくはないか? あの子はお前から見ても十分に『女』に見えるか?」


 可愛いディディエ。

 あどけなくて、健気で、美人ではないけれど俺には大切な――。

 ああ、とスティードは少し悲しげに言った。


「小さな頃から知っている分、ここ数年で急に垢抜けて綺麗になったと思う。女に見えるどころか、とても魅力的だ。僕以外に訊いてもそう答えるだろう」


 頭を殴られたような衝撃だった。

 そういう風に見えるほど、ディディエはもう子供じゃない。それは、いつまでも同じ日常が続かない、その兆しだったんだ。



 勘違いしないように言っておくが、僕は妻以上に心惹かれる女性は――とかどうのこうの、スティードは何か言っていたけれど、そんなことはもうどうでもよくて、俺の頭にはまるで入って来なかった。


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