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エンシェント・ブルーローズ  作者: 五十鈴 りく


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18/19

ⅩⅧ

 行方不明のままの俺と、嫁に行ったはずのディディエ。その組み合わせに加え、俺の粗末な服装。途中ですれ違った使用人たちは頭を下げるばかりで声もかけられない風だった。事情を説明するのは大変だからいいけれど。


 まっすぐ庭を抜ける。ウスターシュは仕事ができないから、多分新規か臨時の庭師を雇ったんだろう。冬の庭は華やいではいないけれど、荒れてもいないことに俺は少しだけ安堵した。

 自分の家だというのに怯えて踏み出せないディディエの背を押し、俺は小屋に入った。前と同じようにウスターシュはベッドに横たわっていた。ただ、ここにも誰かが世話に来てくれていると感じた。シーツも清潔で、部屋もしっかり清められている。


 ウスターシュは落ち着いていた。上半身を起こし、俺たちの方へ顔を向けている。きっと、馬車の事故のことは伏せられたままなんだ。


「お父さん……」


 父親の顔を見るなりディディエが泣き出した。俺はその肩を抱く。ウスターシュはそんな光景を見ても嘆息しただけだった。


「結局、そういうことになるのか」


 呆れたような口調だった。けれど、その顔色は以前よりも随分とマシに見えた。そういえば、咳もしない。このまま快方に向かってくれたらと願うばかりだ。

 俺は覚悟を決めて口を開いた。


「すまない。けれど、どうしても俺は彼女のことが愛しいんだ。そばにいてくれないと自分じゃいられなくなる。お前が俺たちのことを許してくれるまで、どんなに長い時間がかかっても――」


 一生懸命に搾り出した俺の言葉を、ウスターシュは更なるため息で遮った。そうして、じっと俺の目を見た。俺の心を探るようにして。だから俺も目をそらさずにいた。

 ウスターシュはぽつりと零す。


「ええ、もう私から申し上げることはありません。どうか娘をよろしくお願い致します」


 俺は思わず耳を疑ってしまった。頑固なウスターシュがこんなにもあっさりと承諾するわけがない。驚いたのはディディエも同じだ。


「お、お父さん?」


 驚いて涙も止まったようだ。ウスターシュはそんな娘に苦々しく不器用な笑みを向けると、俺にはにこりともぜずに言った。


「ここ数日、なんとも迷惑なお客様が足しげく通って来られていたのです」

「え?」

「そのお客様はレナルド様とディディエは想い合っているので、どうか認めてあげてほしいと言うのです」


 なんだそれは? 俺は唖然としてしまった。それはウスターシュも同じだったんだろう。


「娘はもう嫁に出したと言いました。そうしたら、レナルド様が必ず迎えに行くから、戻った時には認めてあげてほしい、と」


 ウスターシュはまだ癒えきらない病の跡を残しながらも、そうして驚くくらい穏やかに微笑んだ。


「お偉い貴族の若様が、他家のしがない使用人の私に深々と頭を下げて頼むのですよ。正直、驚きましたが――よいご友人をお持ちですね」


 スティード……。

 馬鹿がつくくらい真面目で、地味で面白みに欠けて説教臭くて――でも、いつも真剣に俺のことを心配してくれていた。俺は友情なんて少しも信じてなくて、感謝したことは一度もなかったけれど、そんな俺をスティードは陰で支えてくれていたんだ。それを誇示することもなく、密やかに。


 じわりと涙が滲んだ。男に泣かされたなんてみっともなくて言えないけれど。あの地味な顔が急に見たくなった。

 それから、ウスターシュが意外なことを言った。


「旦那様がよいお医者様を連れて来て下さいました」

「えっ」


 思わず声を漏らしてしまって、俺は自分の口を押さえた。ウスターシュはこけた頬で皮肉な笑いを浮かべる。


「お前ほどの庭師を失うのは惜しいから、早く治せと仰って下さったのです。……そこまで甘えることはできませんと申しましたが、主に逆らうな、黙って病を癒すことだけを考えろ、と」


 俺にとって父は貴族らしい人だった。誇り高く、家と国を何よりも重んじる。だから、使用人の一人に過ぎないウスターシュにそんな温情をかけることが意外だった。

 それは、俺が父の一面だけをすべてと思い込んでいただけなんだろうか。父も血の通った人間で、病に倒れたウスターシュを案じていてくれたんだろうか。

 たくさんの人の想いが、この結末を導いてくれたのかも知れない。 


「青い薔薇を咲かせるまでニコルは待っていてくれるから、そう急いで会いに行かなくてもいいんだ――」



     ✤✤✤



 そこで大団円ってわけには行かない。俺はとりあえずディディエをウスターシュのもとへ残して父に会いに書斎に行った。でも、父はこんな時でも家にはいなかった。


「レナルド!」


 顔を合わせた途端、母は貴婦人とは思えないくらいに取り乱して俺の胸を叩きながら泣いた。どれくらい眠れない夜が続いたんだろう。いつも落ち着き払って、こんなに泣く人だとは知らなかった。


「申し訳ありません、母様。父様が戻られたらちゃんと話をさせて下さい」


 俺は感情が上手く整理できなくて、狭まった喉でやっとそれだけを告げた。母は涙を拭うとようやく怒った。


「当たり前です。しっかりと謝って、そうしてお話しなさい。でも、その前にその格好を何とかしなさい」


 くたびれたセーターに母様が顔をしかめた。金がなかったから、ずっとこれを着ていた。嫌な臭いがしたのかも知れない。こんな時なのにそれが少し可笑しかった。


 浴室で久し振りにゆったりとくつろいで、それから出してもらった服を着た。ガウンの分厚さは、これが当たり前でないことを今の俺は知っている。

 その後で、食事は自室ではなく食堂で食べた。本来そうするべきところをわがままを言って部屋まで運ばせていた。俺に出される食事も、こんなに豪勢なものは普通の暮らしの中では出て来ないんだ。


 だったら、このすべてが俺に与えられる意味はなんなんだろう。それを深く考えながら食事を噛み締めた。ラム肉にかかったソースの一滴までパンですくい取り、無駄にしないで食べ尽くした。

 父が帰って来たのはそのすぐ後だった。いつになく荒い靴音を立てて食堂の俺のところへコートも脱がずにやって来た。顔が怒りからか赤く染まっている。


「お前というヤツは……っ」


 感情に声が揺らめく。そこには、怒りなんてひと言で言い表せないものが滲んでいた。だから俺は深く頭を下げた。


「勝手をして申し訳ありませんでした」


 今までの俺だったら決してしなかった。でも、それくらいで父が納得するはずもない。


「お前がしたことはルキエ家の体面に泥を塗った。向こうから婚約の話はなかったことにと言って来た。当然だろう!」


 ルキエ家にもだけれど、この家にとってもそうだ。俺がしたことは父の顔にも泥を塗った。方々で陰口を叩かれ、色々なところで謝ったのではないだろうか。だから、俺が頭を下げたくらいでどうにかなることじゃない。


「俺は、勘当されても仕方のない不出来な息子です。今まで、正直に言っていつ死んでも惜しくないと思って来ました。それくらい、なんに対しても執着が持てませんでした。でも、今は死にたくないと心から思います」


 死にたくない。死にかけて、大切なものを手に入れた今、命が惜しくて仕方がない。


「……ディディエのせいか?」


 その声に顔を上げて、父の目を見据え、俺はしっかりと自分の言葉で語った。


「はい。それから、彼女を探して向かった村で、俺は今まで見たことのない人々の暮らしをしました。でも、思えば俺は今まで、うちの領地をろくに見もしなかった。ああした人たちの暮らしを守ることが、俺の役割なんだと今になってやっと思うことができました。遅すぎると思うかも知れませんが……」


 何不自由ない俺の暮らしは、父が領地を真っ当に治めていてくれたからだ。そうして、俺はそれを引き継いで行かなくちゃいけない。父がろくに家にいないのは、それだけ領地のために奔走しているということ。それを俺は理解しようとして来なかった。


 なのに今は、父のような領主に、あの宿屋の夫婦みたいな人たちの暮らしを守れる、そんな領主になりたいと思う。

 父は深々と嘆息した。呆れられたんだろうと思ったら、意外なことを言われた。


「その言葉が本当なら、次の視察には同行しろ」


 素直に嬉しかった。そのひと言を父がどんな思いで言ってくれたのか、それを酌み取りたい。笑ったつもりが、笑顔にはならなかった。

 ただ、と父は言った。


「家に相応しい結婚も領主の務めだ」


 相応の身分の相手と婚姻関係を結び、家を守り立てること。それが重要なのはわかる。俺はそっと口を開いた。


「以前はそう考えていました。でも、今はディディエさえいてくれるなら、この先どんなことがあっても投げ出さずにこの家を守りたいと思えるんです。他の誰かではそういう風には思えない。この家に根を張って、この家の一部になる、そのためにディディエが必要なんです」


 ――ウスターシュに青薔薇は過去に存在したかも知れないと言ったニコル。不可能だと決めつけてはいけないと、ウスターシュの夢を支えた。

 二人の娘のディディエもまた、俺のそばにいることで困難を不可能だと諦めるべきではないと示してくれる。俺にとってディディエはそんな存在だから。


 何もかも思い通りに行かない息子に、父は頭が痛くなったのかも知れない。額に手を当て、深々とため息をついた。そうして、言った。


「自分の言葉には今度こそ責任を持て」


 そこには、父なりの愛情があった。父の守りたいものの中にこの不出来な息子も含まれていたのだと、今更ながらに感謝して頭を下げた。

 それから、俺を乗せて行ってくれた御者のことにも触れた。


「あれは俺が無理を言ったことだから、彼を処罰しないで下さい」


 そんなにもおかしなことを言った覚えはない。でも、父はひどく驚いた。


「お前の口から下々の者を慮る言葉が出るとはな」


 そんな風に言われてしまうくらい、俺はどうしようもない人間だった。それが今更だけれど恥ずかしく感じられる。


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