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エンシェント・ブルーローズ  作者: 五十鈴 りく


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14/19

ⅩⅣ

 ディディエは俺に嫁ぎ先を告げなかった。ウスターシュから聞き出す勇気もない。

 でも、屋敷の者たちは案外普通に知っていた。ディディエに代わって俺の身の回りのことを世話してくれている古参のメイドがぽつりと言ったんだ。


「アムル村までは三日以上かかりますもの。雪など降らなければいいですねぇ」


 アムル村……。俺も行ったことなんてないけれど、確か放牧の盛んな土地だったと思う。きっとのどかなんだろうな。

 そんなのどかな村で、慎ましやかな結婚式。ディディエの花嫁姿を見てみたかったと思う反面、見たら他の男にやりたくなくなるだけなんだから見られなくてよかったんだ。負け惜しみのようなことを考える自分が可笑しかった。


「そうだな、ディディエには幸せになってもらいたいから……」


 窓の外を眺めながらつぶやいた俺に、古参のメイドはそれ以上何も言わなかった。

 段々と寒さが増して来た。冬になったら、ますます庭は錆びつく。それを雪が覆い隠してくれると思うと嫌ではなかった。真っ白な新雪が降り行く様は心を落ち着けてくれるような気がする。



 ――ディディエが去って、そろそろ三日。村に到着した頃だろう。俺は意識してそれを考えないように努めた。

 その他に考えなければならないことならたくさんあるんだから。


 ポレットとの婚約話が出てから一度も当の本人には会っていない。いい加減に会いに行かなければと思いながらズルズルとここまで来た。

 俺も覚悟を決めて今日こそはと思い立った。


 鏡に映る自分の顔……顔色がいいとは言えない。それでも身だしなみだけは最低限整える。新調したスーツにスカーフを合わせる。ベルベットのコートを羽織って部屋を出た。


 そのまま素直に御者に言いつけてルキエ家に行ってもよかったけれど、俺はなんとなく庭先に立っていた。……今日は一段と冷えるから、そろそろ初雪の頃かも知れない。

 鈍色の冬の空を見上げながらそんなことを思った。嘆息すると息が白く残った。



 少し滑りやすくなった石畳の上を歩きながら俺は馬小屋の方へ向かう。その時、御者のそばに男がいた。馬の手綱をつかみ、何かをまくし立てている。どうやら、どこかから馬に乗ってやって来た直後らしい。


「……が! 車輪の……が……って……の――」


 距離があってよく聞き取れない。けれど、緊急事態だという空気だけは伝わった。俺はとっさに駆け寄ったけれど、二人はそれどころではなかったのか、俺になかなか気づかなかった。


「ウスターシュにはどう言う?」


 御者のそのひと言にぎくりとした。ウスターシュがなんだって?


「こんなこと伝えたら、それこそ気が塞いで病に追い討ちをかけるようなものだ。……事実確認ができるまでは伝えずにおこう」


 嫌な予感しかしなかった。その先を聞いてはいけないような気分になるけれど、聞かずにいるという選択はできない。

 心のどこかではやめておけと拒絶しているけれど、俺は細く枯れた声を二人にかけていた。


「……何があったんだ?」


 ハッとして振り返った二人。その表情が、俺にも聞かせたくない話なんだと物語っている。その様子からすぐに察した。これはディディエに関わりのあることなんだと。

 二人は顔を見合わせて困惑している。そんな様子に焦燥感だけが先走る。ディディエの身に何かが起こっているのだとしたらと考えるだけでも恐ろしかった。もう俺には関わりのないことだなんて思うはずもない。


「早く話せ」


 低く唸るような声が口から飛び出した。二人は結局のところ俺には逆らえない。御者はぽつりぽつりと吐き出した。


「ディディエを乗せた馬車が道中で横転してしまったそうなのです。それで、御者は脳震盪を起こしてしまって、目が覚めた時にはディディエの姿はそばになかったそうです。馬車の扉は開いていて、もしかすると外へ放り出されたのかと近くを探したのですが、見つからず、伝令を送って来たのです。道の反対側は崖でしたから、そちら側に落ちたとすると……」


 ――そんなことが起こるなんて、誰が予測できたって言うんだ。

 俺は耳を疑うばかりだった。

 何の罪もないあの優しい娘が、これから新しい人生を踏み出そうとしていた。ただそれだけなのに?


 きっと、神様はそこまで惨くない。どこかで無事に保護されているはずだ。

 俺はまだそんな風に思っていた。怪我をしてしまっているかも知れない。心細さで震えているだろうから、すぐに駆けつけてあげなければと。


 それはもう俺の役目じゃないんだなんて思えなかった。

 ほら、こんなことになったのは無理に嫁がせようとしたからだ。すぐに連れ帰ってウスターシュにもう少しだけこのままでと頼んでみよう。

 俺は御者を急かせて出立した。行き先はルキエ家じゃない。ディディエの乗った馬車が事故に遭った場所だ。


 後で思うと、どうして神様を信じられたのか、自分でもわからない。あの優しかったニコルを奪ったのも神様だったのに。

 慈悲も試練も、神様は等しく与える。ただそれだけのことなんだ。



     ✤✤✤



 遠かった。この道のりをディディエはどんな気持ちで馬車に揺られていたのかと思うと心が落ち着かない。一日と半、かかった。御者に無理を言って夜道をも飛ばさせた。食事なんてほしくなかった。眠ることもしなかった。


 その場所は、峠の一角だった。少しぬかるんだ土が轍になっている。それが大きくずれて歪んでいた。馬車そのものはすでに運ばれたのかそこにはない。

 けれど、その崖っぷちに、寒いだろうに一人の初老の男が立っていた。俺が馬車から降りて近づくと、その男はゆっくりと振り返った。頭には包帯が巻かれている。


「ここであった事故のことを詳しく知りたい」


 俺がそう言うと、そのくたびれた男は虚ろな目をしてうなずいた。


「ああ、あんたはもしや、あの娘の新郎さんですかね?」

「……いや、そうじゃないけれど、あの娘をよく知る者だ」


 正直にそう答えた。そうしたら、何故か男はほっとした様子だった。それから、俺にすがるような目を向けた。


「そうですか。私はあの娘を送り届けるように頼まれた者です。……気立ての優しい可愛らしい娘でしたが、馬車を走らせた途端、あまりにも泣いてばかりいるので、一度馬車を止めて何がそんなにも悲しいのだと訊ねました」


 泣いていた。ディディエはやっぱり嫁ぎたくなんてなかったんだ……。それでも、俺や父親が決めたことだと従った。それしかディディエには道がなかった。

 その苦悩を思うと息をするのも苦しくなった。


「結婚すると言う割に、少しも嬉しそうじゃない。そんなにも嫌ならやめてしまいなさいと言いましたよ。すると、彼女はもう決めたことだからと……。私はそんな彼女がこの先幸せになれるように心から願いました」


 彼の口調はまるで懺悔のようだと心のどこかで思った。


「なのに――その前の日は雨がよく降っていて、地面がぬかるんでいました。慎重に馬を走らせたつもりだったんです。けど、車輪を支える軸が腐食して脆くなってしまっていたことに気づけず、車輪は軸の根もとから折れるように外れて……それで……」


 なあ、あんたも自分のせいだと心を苛むのかも知れないけれど、俺の想いはその比じゃないんだ。これは全部俺のせいなんだ、きっと――。


「それで、ディディエはまだ見つかっていないのか?」


 これを俺は今、どんな顔をして訊ねたんだろう。自分ではよくわからない。


「近くの村の人たちも手伝ってくれています。私は念のためにここで待っていますが……」

「……そうか。ここは寒いから風邪をひかないようにな」


 彼を労わるような言葉が出たのは、ディディエを案じてくれているからか。自分を苛む彼がまるで俺自身のように感じられて心が痛むからか。

 俺は当家の馬車のそばへ戻ると言った。


「この崖の下へつけてほしい」

「レナルド様、旦那様に無断でここまで来てしまいましたが、そろそろお戻りになられた方が……。ディディエのことなら手がかりが見つかり次第ご連絡致しますので」


 御者が台の上からおずおずとつぶやいた。でも、俺はその言葉に従うことなんてできないんだ。


「……そうか。じゃあお前は戻れ」


 俺は馬車と御者に背を向けて駆け出した。俺の背中に焦った御者の声が飛んだ。でも、この狭い道で馬車の急な方向転換なんてできない。


 俺は坂道を必死で下った。脚がもつれて何度も転びそうになった。こんなにも必死で走ったことなんてない。汗を流して、髪を振り乱して、涙を堪えながら走る俺を見たら、ディディエはどう思うんだろう。


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