俺の名前は八島 忍
俺の目の前には温厚な顔立ちの男が組員全体を見渡せる位置に座っている。このバカデカイ屋敷の家主、現稲月組組長だ。年老いてもなお威厳が残っており、その温厚な顔立ちの裏にはとんでもないものが潜んでいるような気がしてならない。俺はこの「稲月 忠次」という男が苦手だ。しかし、そんな男よりももっと苦手な男がいる。それは、次期組長と噂されている「稲月 陽」つまり、組長の息子だ。見た目は穢れを全く知らなさそうな顔のくせに、本性はここにいる誰よりもこの場に相応しい。そして、時々見せる穏やかな笑みがこの上なく怖い。そんな二人の娘であり、姉である「稲月 椿」という女が俺の婚約者だ。人生クレイジーモードである。俺が何をした。椿は俺の一つ下の従兄弟である。幼い頃少し遊んだ記憶がボンヤリとあるが、20年以上会ったことがない。なので、今どのような女性になっているのかが全くわからない。顔を思い出そうとしても、まだ小さかった陽の印象がでかすぎて肝心の椿が思い出せない。しかし、あの2人の身内である。きっとまともではない。あぁ、胃が痛い。ちなみに、椿は表には全く姿を見せない。噂では体が弱いと聞いているが、それが本当かどうかはわからない。
会合が無事に終わり、皆それぞれ雑談を始めた。そちらの店はどうだの、景気はどうだのと、どこも似たよったことを話している。
俺は憂鬱な気持ちを変えたいと思い気分転換のため、その部屋を出た。そして向かいの屋敷へと続く長い渡り廊下を歩く。昔はこの廊下で遊んだものだ。椿は遊ぶというより、遊んでいる俺を見ていることが多かった気がする。やはりそれもボンヤリとした記憶で合っているのか曖昧だ。思いため息をつく。
……顔面崩壊でもいい。ブヨブヨでもいい。せめて、まともな人であってくれ……!
願うような気持ちで廊下を渡っていると、向こう側にの縁側に人がいることに気付いた。
誰だ……?
つい好奇心で近づいてしまう。
……女だ。
着物を着た女が縁側に1人座っていた。腰まである艶やかな黒髪に長い睫毛、滑らかな頬と触ってみたくなるふっくらとした唇。綺麗な女だ。着物の上からでもわかるほど胸は豊かであり、チラリと見える足首はキュッと細い。部屋用の着物なのだろう。ゆったりとした着物を着た女は妙に艶っぽい。
手元にある何かを見つめる女の顔は穏やかな表情だ。何をみているのだろうか。知りたくて、女をもっと近くで見たくて近づく。声が届きそうな距離になり言葉をかけた。
「あぁん!この俳優さん、渋くて素敵っ!!やっぱり男は40代からがいい味出すのよねぇ……!」
「何を見ているのですか。」と声をかけようとした。決して俺が言ったセリフではない。それにまだ俺は声を発していない。何だこの女は。そして、ハッとする。屋敷に女がいる。その事実に目を見張る。
ま、まさか……!?
その女はやっと俺の事に気づき、その大きい目に俺を写す。その瞬間、体がカッと熱くなる。息をうまく吸えない。体が動かない。目を逸らすことができない……。女の表情が不安げなものへと変わっていく。そんな顔をさせたいのではない。さっきよような穏やかな顔をしてほしい。俺は焦る。何か、何か言わなければ。しかし、焦れば焦るほど言葉が出てこない。
「……あっ……、の……。」
「……?」
俺の言葉に首を傾げる女は小動物のように可愛らしい。あぁ、なんて魅力的な女なのだろう。
やっとの思いで俺は言葉を発する。
「結婚してください。」
こんにちわ。
「えっ……。」
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俺は今、何を言った。




