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平行線の向こう側

作者: 結城智
掲載日:2025/10/16

 赤、青、黄色、緑、茶色――他にも数えきれないほどの色が存在する。


 同じように、人は何十種類もの価値観を抱えて生きている。

 生まれた瞬間、その色はある程度、決まっているのかもしれない。

 けれど、人生という舞台の上で、人は少しずつ色を変えていく。


 赤と青が混ざれば紫。

 赤と黄が混ざればオレンジ。

 青と黄が混ざれば緑。


 家族や親友、そして愛する人――

 誰かの影響を受けながら、その人の色はグラデーションのように変化していく。


 けれど、この世界には二つだけ、特別な色がある。

 ひとつは「変わらない色」

 もうひとつは「すべてを変えてしまう色」


 それが、黒と白だ。



 黒は決して他の色に染まらない。

 自分の価値観を強く持ち、他人に理解されづらい存在。

 人との馴れ合いを好まず、長い時間をかけて芽生えた信頼だけを受け入れる。

 だからこそ、簡単に心を開けない。


「自分は自分でありたい」という頑固さが、時に孤独を招く。

 不器用で、寂しさを胸に抱えながらも、それを表には出さない。

 そんな、一匹狼のような色だ。



 一方の白は、その正反対。

 どんな色にも染まることができる。


 どんな価値観にも耳を傾け、理解しようとする優しさを持つ。

 愛されたいという願望が強く、相手の色にすぐ染まってしまう。

 その柔らかさが、時に良い方向へ導くこともあれば、破滅を呼ぶこともある。

 自分の価値観を守る意志が弱く、人の思いに流されやすい。

 良く言えば素直で人に好かれる。

 悪く言えば、事なかれ主義。


 黒と同じように寂しがり屋だが、白は人に尽くしすぎるあまり、孤独を感じる暇がない。

 ただし、パートナー次第で人生が大きく変わってしまう――愛情深くて情熱的な色だ。



 ……こんな説明をしたのには、理由がある。

 僕が黒で、小雪が白だったからだ。


 僕は小雪を羨ましく思うことがあったし、小雪もまた、僕を羨ましいと言ってくれた。


「樹ってさ、いいよね」

「なにが?」

「だって、自分を持ってるから」


 小雪はしょんぼりとした顔で、どこか憂いを帯びた目をしていた。


「自分を持ってるのが、なんでいいの?」


 僕は一瞥しながら尋ねる。


「自分を見失わないじゃん。辛くても立ち直る強さがある」


 そう言って、小雪はまっすぐ僕を見た。

 それが尊敬の眼差しなのか、嫉妬なのか――僕にはわからなかった。

 ただ、その瞳には確かに影が差していた。


「持ちすぎるのも問題だけどね」

「どうして?」

「頑固さって、人間関係を悪くすることがあるんだ。適当に相槌を打てる柔軟さも必要だよ」


 僕たちはまだ学生だから笑っていられるけれど、社会に出れば協調性は生き残るためのスキルになる。

 出る杭は打たれる――僕みたいに愛想笑いが下手なタイプは、きっと苦労する。


「でも、私は相手に染まりすぎるから……。きっと弱いんだと思う」


 小雪はそう言って、目線を落とす。


「すぐ人を好きになるし、夢中になりすぎるし。それでいて、相手に愛されてないと不安になる。……騙されても、全然気づかない。秋斗もそうだった」


 言葉の最後が震えていた。

 彼女の目尻には、薄く涙が浮かんでいる。


「秋斗って……まさか、また別れたの?」

「また、とはなによ! 今回は二ヶ月持ったわよ」

「二ヶ月で胸張るなよ」

「ひ、ひどい! 違うもん。今回は相手が悪かったの!」

「でも悔しいな……。あいつ、あんなに『愛してる』って言ったくせに。セックスしたら、急に冷たくなったの。もう信じられない」

「簡単に心を許すから、痛い目にあうんだよ」

「……まだ、心は許してなかったもん」

「へぇ。じゃあ、心は許してないのに体は許したんだ」

「うっ……そ、それは……」


 僕が皮肉を飛ばすと、小雪は黙り込み、俯いた。

 返す言葉が見つからないようだった。


 こういう沈黙は、もう何度も経験している。

 だけど、毎回のように――僕はどう慰めればいいのか、わからなくなる。



 小雪との付き合いは、中学時代からだから――もう五年以上になる。小雪は容姿も整っているし、なにより自然と人の懐に入り込む明るさを持っていた。だから昔から、男女どちらにも好かれるタイプだった。

 押しにも弱い性格ゆえに、この五年間で何度、泣かされた姿を見てきたことか。

 それでも、不思議と心配はいらなかった。

 小雪はいくら傷付いても、すぐに新しい恋を見つける子だった。

 決して人間不信にならず、何度も過ちを繰り返しながら、それでも人と正面から向き合い続けていた。


 僕の知らないところで、彼女は少しずつ強くなっていたのだと思う。


「誰かに愛されてないと、不安になるの。……寂しくて」


 そう言って静かに笑う小雪を、僕は何度も見てきた。

 気持ちはわかる。けれど僕は、いつも口では「わからないね」と否定した。

 それは意地悪で言っていたわけじゃない。


 ――認めるのが、怖かったのだ。


 僕自身、心の奥底では誰よりも愛情を求めていた。

 でも、それを表に出した瞬間、脆くなってしまう気がして。

 寂しさを晒したら、もう立ち直れない気がした。


 だから僕はいつも、正論ばかりを口にした。

 自分を守るために、感情を押し殺して。


 だけど、世の中ってのは皮肉なもので――優しさだけじゃ人を救えないように、正論だけでも誰の心も救えやしない。

 何が正しくて、何が間違っているかなんて、みんな知ってる。それでも人が苦しむのは、受け入れる力や、引き離す強さがないからだ。


 誰もが愛されたいと願う中で、優しさの欠片もない僕に残されたのは、頑固さと強がりだけ。

 本当は、人の気持ちなんてちゃんと理解してるくせに、いつも現実から目を背けてばかりいた。

 抱きしめたいと思う瞬間も、受け入れたいと思う気持ちも、何度だってあった。

 でも、それができなかったのは――受け入れたとき、相手も同じように自分を受け入れてくれるとは限らないと知ってしまったからだ。



 そう、僕は怖かったのだ。


 

 僕は小雪との関係を、いつも「平行線」だと思っていた。

 交わることはない。けれど、ずっと隣にある。

 それが僕たちだった。


 僕はいつも彼女の傍にいた。

 誰よりも小雪のことを知っている自信があった。

 性格、趣味、特技、口癖。


 でも――どれだけ知っていても、それが「好きになってもらえる条件」にはならない。

 何度も思い知らされた。

 小雪が恋に落ちる相手は、いつだって僕じゃなかったから。


 彼女は僕の色ではなく、いつも違う誰かの色に染まっていった。

 そのたびに、胸が張り裂けそうなほど嫉妬した。

 同じ時間を過ごしているのに。人の温もりを知る小雪と違って、僕は何色にも染まれず、いつも一人だった。

 辛い時も「大丈夫」と自分に言い聞かせ、誰にも頼らず、甘えずに立ち直る術を、気付けば覚えてしまっていた。



 でも、最近になって一つだけわかったことがある。

 それは僕が二十歳の誕生日を迎えた日のことだった。

 珍しく、親友がプレゼントをくれた。互いにそういうことをするタイプじゃないのに別れ際、コンビニの前でいきなり「はい、忘れてたけど」と投げてきた。


 中には黒と白、二つの絵の具のチューブが入っていた。


「お前は今日から、黒も卒業だな」


 親友はそう言って笑った。


「今まで、たくさん辛い思いしてきたけどさ。……よく頑張ったと思う」

「どういうこと?」


 意味がわからなかった。

 卒業?

 僕が黒じゃなかったら、何色になれって言うんだ?

 いっそのこと、無色にでもなれってことか?


 僕がチューブをぼんやり見つめていると、親友は優しく肩に手を置き、少し笑って言った。


「小雪ちゃんを好きだった時間を、無駄だなんて思うなよ」

「……」

「むしろ、そのおかげでお前は人を受け入れる優しさを手に入れたんだ。知らないうちに、別の色に染まってたんだよ」

「別の色……?」

「そう。だから、明日からお前は“違う色の樹”な」


 軽く胸を叩かれて、親友はいつもの笑顔で帰っていった。

 なんとも強引なやつだ。

 他の色って、何色なんだよ。

 そんな疑問を抱えたまま、僕は渡されたチューブを見つめていた。



 その夜。

 中学の頃からしまい込んでいた絵具箱を引っ張り出した。

 親友の言葉の意味を探すように、僕はもらった黒と白のチューブを手に取る。

 なにを描くかも決めずに、無意識のまま、画用紙に黒と白の線を描いた。



 僕と小雪のような――平行線を。

 絵の中でも、僕は二つの線を交わらせることができなかった。


「……一体、僕の色ってなんだろう」


 首を傾げながら、筆を白のチューブへ移す。

 黒の筆先に白を混ぜた瞬間、色が変わっていくのに気付いた。


 当たり前のことだった。

 でも、今の今まで気付けなかった。


 黒は――白を混ぜると、変わるんだ。


 どんな色にも染まらなかった黒が唯一、色を変えることのできる色。


 それは白だった。

 少しずつ白を足していくと、黒っぽい灰色から、次第に柔らかい灰色へと変わっていった。


「……これが、僕の色か」


 思わず呟いたその時、携帯の着信音が鳴った。


「もしもし、樹? 遅くにごめん! 誕生日おめでとー!」


 受話器の向こうの声は、小雪だった。


「もう二十歳だね! お酒もタバコもOKだよ! でもタバコは体に悪いからダメ!」


 一人で喋り続けるその明るさに、僕は苦笑した。


「……ありがとう」

「えっ?」

「あ、いや。わざわざ律儀にありがとうって意味」

「なにそれ、急に真面目じゃん。びっくりした」


 笑い声が耳に心地いい。


「じゃあさ、誕生日プレゼントなに欲しい?」

「別に、なにも」

「なにそれ、つまんない」

「……じゃあ、一つだけ」

「なに? 高いのはダメだからね」

「これからも、仲良くしていこうな」


 一瞬、沈黙。

 けれど、すぐに明るい声が返ってきた。


「当たり前じゃん! 言われなくても、ずっと仲良しでしょ」

「……うん。ありがとう」


 まるで恋人みたいな会話だった。

 でも実際は違う。

 それでも、もう胸が締め付けられるような痛みはなかった。

 きっと、心からそれでいいと思えたんだろう。


 小雪と出会って、僕も少しだけ変われた。

 これからはきっと、誰かに素直に甘えることができる気がした。


 電話を切ったあと、僕は黒と白の平行線の間に、もう一本――

 柔らかな灰色の線を描いた。


 これが、僕の色だ。


 譲れない頑固さも大切にしながら、人を理解できる優しさも持っていたい。

 黒と白、どちらの想いも抱えたまま、

 綺麗な灰色として生きていこう。


 それが正しいかどうかはわからない。

 でも――僕は信じたかった。

 それでいい、と。



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