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第九話 過ぎし時の精算を始めよ。



 それから月によって行われた結界術の指導は二人が驚くほど丁寧で分かりやすく、日が沈む頃には、結華は自力で手のひらサイズの結界を作り出せるまでに成長していた。

 ……と、これはやはり彼女の指導のお陰だろうか。とも考えた(はじめ)だが、彼女を見守っていた安瀬山(あせやま)一家は皆同様に驚愕(きょうがく)の表情を浮かべており、彼はすぐにその考えを改める事となった。


――そうか。()()()()、結華は特別なんだな。


「凄い、凄いよ結華ちゃん! たった一日でこんなに綺麗な形を作れるなんて!!」

 と、結華の持っていた小さな結界に触れてみる蛍。

 確かにそれは彼女らが肇たちに見せてくれたものと同じ美しい立方体で、肇が指で触れてみると、まるでそこに壁があるかのような厚みを感じた。

「正直、落ち込むよ……。私がこの形を作れるまで、どれだけ掛かったか……」

 全身で驚きを表現し目を輝かす姉、蛍とは正反対に、実際に結華を指導した当の本人――妹の月の表情は暗い。

 そんな彼女の顔を一瞥した結華がその結界術を解こうとしていたところ、彼女の隣に(たたず)んでいた蛍たちの父、伶哉(りょうや)が月の小さな肩に優しく触れる。

「しかし、私たちだけでは結華ちゃんの才能は花開かなかった。……そうだろう? 肇君」

 一切濁りの無い瞳で肇の目を見据える伶哉。その意味するところを、肇は瞬時に理解する。

「はい。……正直、二人とも何言ってるのかさっぱりで困ってたし、だから本当に助かったよ。ありがとう、月」

 と、これは世辞でもなんでもなく本心からの言葉だ。

「まったく、依本くんはまったく……私を褒めても、何も出ないんですからね」

 そんな彼の言葉に頬をほんのり赤く染めて、最後にはぼそりと独り言のように呟く月。

 その口角は僅かに上を向いていて、口でなんと言おうが機嫌を直してくれたのは確かなようだった。

「…………さて、そろそろ暗いし、二人はもう家に帰りなさい。それから――月」

「……はい」

 と、先程までとは別人のように険しい表情で娘を呼ぶ伶哉。

 その父の変化に呼応するかのように、月はその表情を凛とさせる。

「お前はこの()に必ず結界術の全てを伝授(でんじゅ)するんだ。……それは私や蛍には出来ない、月にしか出来ない事なんだ。……分かるな?」

「はい!」

 彼らは父と娘の関係であると同時に、結界術を扱う師と弟子の関係でも在る。

 今、眼前の父はそのどちらとして自分に語りかけているのか、考えるまでも無く月は力強く返事をする。

「お前は賢い子だ。お前の役割はきっと、多くの人に語られない影の中にこそあると私は考えているよ。引き続き彼女を支えてあげなさい」

「はい!」

 再度月が力強く返事をしたところで、今度は姉の名を呼ぶ伶哉。

「それから――蛍」

「はい!」

 蛍もまた月と同じく、いつもの姿からは考えられないほど真剣な面持(おもも)ちで力強く返事をする。

「お前は特別体が強く、結界術の扱いも非常に()けている。同じクラスメイトなんだ、狐神様の手が届かないところではお前がこの娘を守るんだ。……良いな?」

「はい!」

 その三人の変貌(へんぼう)ぶりに、肇は気圧(けお)されてしまう。……しかし、結華の結界術を見るなり三人が変わったことだけは確かで――。

「あの……結華はやっぱり、結界術の才能、みたいなものがあるんでしょうか……?」

 思わず肇は口走ってしまう。

 そんな彼の目を、伶哉は真っ直ぐ見据えて。

「才能……? そんなもので片付けられる話では無いよ、これは。私には彼女が――()()()()()()()()()()()()()としか思えないんだ」

 さも当然のようにそう告げた。

 それと同時に結界術を解いた結華は、不安げな表情を浮かべ肇の背に隠れてしまうのだった。




 事態は自分が思っていたよりも深刻で、肇は頭を抱えていた。

 七月十一日、火曜日。曇り。

 場所は自習時間中の二年三組。

 考えてもみれば分かる。実質彼は六月末から現在に至るまで結華関連のためにずっと奔走(ほんそう)していて、故にその他のことにかまけている時間など無かったのだ。

『……そこ、字が間違っておるぞ』

 今日はその姿を見せず、大人しくしている神、ノミコ。

 その彼に指摘を受けた箇所を、肇は黙々と訂正する。

 

 授業がほぼ全時間自習になる機会というのは、定期的なそれを除けば実はあまりない。

 今回はまさにその、〝定期的〟のほうのパターンで……つまるところ、定期テストが翌日に控えていたのだ。


――それで、昨日はなんで神社で姿見せなかったんだよ?


 左手に狐の形を作り、肇は一切口を動かさずにそう(たず)ねる。

 これはノミコ自身に教わった裏技で、彼相手ならこれでいつでも意思疎通(そつう)が出来るという優れものである。

『簡単な話じゃ、儂以外の神を(まつ)っておるところで、儂が神の如き振る舞いをするわけにはいかんのじゃ』


――ふぅん、色々ルールがあるんだな。


『デカい神社じゃと特にな。お前達の言う上場企業みたいなものじゃ』


――上場企業て。


 神々の世界の話だというのに、肇は急に現実に引き戻された気分になってしまった。

『まぁ、縛り縛られるのが(あま)つ神々の世界じゃからの。今更文句は言うまいて』


――神様でも逆らえないものなのか?


(まれ)に逆らう莫迦(ばか)もおるらしいがな。そんなことをすれば高天原(たかまがはら)からそれなりの天罰が下るわ。神でも罰当(バチあ)たりにはなれる、というわけじゃ』

「ふぅん」

 と、最後に声に出して納得したところで、肇は次の科目のテスト対策を始めることにする。その手は既に元の自然な形に戻し、今は新たに手にした教科書を開いていた。

『儂はしばらく寝ておるから、せいぜい精進(しょうじん)せい。学生の本分は勉強じゃ』

 その言葉を最後に、ノミコはその気配を完全に消してしまう。

「……はいはい」

 ……分かってますよ、と心の中で続け、肇は再び眼前の教科書に視線を落とす事にする。


 そんな、(はた)から見れば至って勤勉でしかない肇の動きを注意深く見ていたのは、美しいブラウンの瞳。

 白く長い前髪の向こうに隠したそれに、肇が気づく事はないのであった。



 少々時間を巻き戻して、ホームルーム前の二年二組。

「あー、今日の出欠はぁ、んっと……あぁそうだ、雛沢(ひなさわ)は今日体調不良で休みらしい。朝親御さんから連絡がありました。他は全員揃ってるな、日直よろしく~!」

「きりーつ」

 いつもと、ほんの少しだけ違う朝。けれど、いつも通りに進んでいく時間。

 空いた窓際席を見つめながら、結華は他の生徒と同じように動きを模倣(もほう)する。

 彼女――雛沢菜子(ひなさわなこ)のいない朝はどこか淋しく、結華はテスト期間であることも忘れ曇り空を見上げた。

「朝からどんよりだなぁ…………」

 はぁ、とため息をつく結華。今にも雨が降り出しそうな灰色の曇天(どんてん)は、今の彼女の気持ちを代弁しているかのようだ。


 本日の授業は全て自習時間。

 先ほどは朝の挨拶をしていた担任教師もテストに関する簡単な説明を終えるとそのまま職員室に戻ってしまった。


――朝はこのままぼーっと空でも眺めていようかな。


 なんて、いつもの友人不在の朝に結華がすっかり気が沈ませていると、後ろの席の生徒が彼女の背を指先でつつく。

「菜子ちゃん休みって、珍しいよね?」

 その感触に、結華はくるりと上半身をひねる。

 その声の主は、黒のショートヘアーがよく似合う例の褐色少女……もとい、結華の護衛役である巫女、安瀬山(あせやま)(ほたる)だ。

 結華が彼女の机の上へ視線を落とすと、そこには英単語帳と英語の教科書が準備されていて、これから期末試験へ向けた最後の追い込みをする事が(うかが)えた。

「うん、そうだねー。明日までに復活すれば良いけど。なーちゃん体壊したら長引くからなー」

「あ! 結華ちゃん!」

「待って待って、ちょっと声大きいって! ……どうしたのいきなり?」

 ……いくら担任がいないとはいえ、試験前のピリついた空気の中でクラスメイト全員の視線を浴びるのは、少々恐い。

 と、咄嗟(とっさ)の判断で結華は彼女の口を手のひらで(おお)うことにする。

「んーっ! ん! んーっ!」

「あっ、ごめんこれじゃ話せないや」

 蛍の必死の訴えに、結華は手を戻す。

 その手のひらにはべちょり、と嫌な液が付着していて、結華はすぐさまこの教室を飛び出し女子トイレに駆け込みたい気持ちでいっぱいになってしまった。

「結華ちゃん結華ちゃん。……あれ、なんか嫌そうな顔」

 と、今度は小声で話しかけることにする蛍。

「いや、その……いや、ううん、大丈夫だから。……続けて?」

「……そう? じゃあ、お構いなく。えっと……その、今日くらいはお稽古休んでも問題ないって、思うんだけど……どうかな? テスト期間だっていうのも理由に出来るし」

「んぅ?」

 その言葉の意味をすぐには理解できず、結華は首を傾げる。

「時間が空けば……菜子ちゃんのところにも行けるよね!」

 と、見かねた蛍が付け足したその言葉に、結華はようやく先ほどの言葉の意味を理解する。

 彼女は、そんなに友達が心配なら見舞いに行く手伝いくらいしてやる、と言っているのだ。

「なるほど! そうしてくれるなら凄く助かるよ。……帰りに何か買って帰ろうかなぁ」

「早速後でお父さんに連絡してみるよ」

「分かったよ。ありがとう、蛍ちゃん!」

 笑顔で蛍の健康的な手を握りそうになるも、「あっ」と思い出した結華は手を引っ込める。

「ごめん、ちょっとお手洗いに……」


 蛍と結華が関係らしい関係を持ったのは、あくまでここ数日の出来事でしか無い。……が、確実にその距離は縮まりつつあった。

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