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第八話 研鑽を続けよ、ただし師を見誤るな。




――夜が来るのが恐ろしい。

 

 いつからか、少女はそう感じるようになってしまっていた。

 

 布団にくるまり、瞳を閉じる。そのまま微睡(まどろ)みに落ちてしまいたいが、頭に浮かぶのは嫌な思い出ばかり。

 好きな人がいた。……いや、今でもきっと、少女はその人を好きなままで、だからずっと胸が苦しく暗い闇のような夜を毎日過ごしている。


 ……普通になりたかった。

 これほど小さな町では、偏見の眼差(まなざ)しは(まぬが)れない。それに、この気持ちを素直にぶつければどうなるか、考えただけで彼女は身震いしてしまう。

「……男の子に生まれたかったな…………」

 彼女自身、自分がいかに愚かなことを考えているのか、重々理解している。

 しかし、元は不慣れだったメイクも、制服の着こなしも、伸ばしてボリュームを出した髪の手入れに至るまで、全ては自分のためでなく大好きなあの子にただ一言、「可愛い」と言ってもらうためにやっていることなのだ。

 ……この気持ちを、彼女はきっと一生抱え続ける事になる。

 それでも構わないのだ。

 少女はただ、あの子に嫌われるのが怖くて。今の関係に心地良さを感じていることもまた事実で、壊したくはなかったから。


――でも、もし夢を見たいる間だけでも、望みが叶うのなら。

 その柔らかな唇に触れて、雪のように白い肌を指先で撫でて、そして…………。


「なんであたし、こんなに気持ち悪い()になっちゃったんだろう……」


――ごめんなさい、お父さん、お母さん。不出来な娘で、ごめんなさい。


 溢れた涙の行き先はどこにもなく、目元を()らしたままようやく微睡んでいく少女。その刹那(せつな)、彼女は未知の浮遊(ふゆう)感を感じた。



 浮遊感の果てに、少女はおかしな夢を見ることになる。

 その記憶はぼんやりしていて、彼女が覚えているのはそれが望む全てを手に入れるような何かで、甘くて、柔らかな快感だということ。

 映像はまるで思い浮かばないが、少女はその時間を心から欲していて、だから……そう。何かを(さず)かったのだ。

 

 少女は思い出す。

 浮遊感の果てに至る、まさにその一歩手前。

 彼女がその手に握っていたのは、何か良くないもの。

 しかし、男なのか女なのか、不明な謎の声は、『あの子を望むのなら、それを吞め』と(ささや)く。


――でも、()()()()()()といえば、きっと今の自分の気持ちがそうじゃないか。


 ……それならこの毒は、きっと自分にとっての薬となる。

 そうして手に入る一時(いっとき)の幸福がそこにあるのなら、それで良いのだ。……と、彼女は勢いよくそれを呑み込む。


 そうして、少女は僅かばかりの甘い幸福を手にしたのだった。……それが、どのような結果を生むのかも知らずに。




 ……早く夜になって欲しい。

 普通の学生生活とやらは少年にとってあまりに退屈で、故に日中の彼はその派手な言動とは裏腹に心は上の空だった。

 彼には為さねばならない使命がある。力を持つ者にはその力を正しく使う義務があるのだ。

 故に彼を突き動かすのはその責任であり、その気持ちは彼の中に在る〝(よう)〟の側面を持つ。

 ……が、彼もまた人間であり、異性をあしらうのを面倒に感じたり、刺激欲しさに日々を退屈に思う気持ちもまた、確かに在る。

 それは先述した在り方とは逆に、〝(いん)〟の側面を持つ。

 陰と陽。

 それは常に対になる存在で、どちらが()けてもその在り方は本質を欠く。

 彼はその本質を、ただ常に静観する。

 それがどちらか一方に傾いてしまわないよう、彼が立っているのは陰陽(おんみょう)の道である。


 いつも通り、彼は眼前にある三つの()()を、その細い指先で(みそ)いでいく。

 その武器は、使い方を誤れば彼自身に確実に牙を向く。その〝陰〟を抱えていることを、彼は重々理解しているのだ。

「それじゃあ今日も行ってくるよ。――姉さん」

 禊ぎ終えたそれを(ふところ)に仕舞い、彼は虚空(こくう)に一人呟く。

 彼の名は、凰院玲那(おういんれな)

 この町にやって来た一人の男子高生であり、同時に彼は、現代に生きる若き陰陽師(おんみょうじ)でもあった。




 翌、七月十日、火曜日。天候は(おおむ)ね晴れ。

 穏やかな放課後のオレンジの中で、遂に結華(ゆいか)の稽古が始まった。……の、だが。


「いくよ、結華ちゃん! うおおおお!! って感じをがあああぁぁ!! って集めて、うぐうううぅぅ!! って形を整える感じで!!」

「うお、うぐ……え? なに?」

 困惑した表情でその場を一歩下がる色白の乙女、伊坂実(いさかみ)結華(ゆいか)

 ……まさかの問題が発生していた。

 ひぐらしの鳴き声が木霊(こだま)する境内(けいだい)で、しかしそれをかき消すように大声を出していたのは、一人の女子。

 豊満な乳房(ちぶさ)に、褐色の肌と、ショートの黒髪。それに加えて見ての通りの有り余る生命力。

 本日の彼女は見慣れた制服姿から一変、清廉(せいれん)な白装束……もとい、巫女服姿に身を包んでいて、しかしその(はかな)げな印象を、彼女自身の言動がぶち壊してしまう。

 安瀬山蛍(あせやまほたる)

 彼女による結華への指導は、しかしあまりに感覚的で。お陰で結華はそもそものスタートラインにすら立てずにいたのだ。


「……で、出来上がったものがこちらになりまーす!!」

 と、ドヤ顔で何かを結華に見せびらかす蛍。

「「おぉ」」

 よく見るとその手には半透明の立方体――彼女の言うところの結界である――が握られている。

 それは先程の意味不明の言語……蛍語と共に形成したとは思えない繊細な形で、横にいた(はじめ)も結華と共に感嘆(かんたん)の声をあげた。

「最初はこれくらいの大きさを目指してやってみて、少しずつ人一人分の大きさに近づけていくと良いよ!」

「なるほど……それで、安瀬山。その小さな結界はどうやって作るんだ?」

 ようやく理性的に説明を始めてくれた彼女に、この機を逃すまいと肇は早速質問を投げる。

 しかし、彼の(あわ)い期待に対し、彼女はある意味でその予想を裏切ることなく……。

「えっと……だからそれは、うおおおお!! って感じをがあああぁぁ!! って集めて、うぐうううぅぅ!! って形を整える感じで!!」

 大声の蛍語でもって、再び神社の(おごそ)かな雰囲気を破壊した。とんだ破壊巫女である。

「なんでそうなるんだよ! そこは上手く言語化出来ないのか!?」

「えー無理だよ、わたしだって何でこの形になるかイマイチ分かってないし」

「そんなテキトーで出来ちゃうもんなのか……?」

「何言ってるの依本(よりもと)くん、ついさっき出来上がったこれを見たばかりでしょ? 出来ちゃうんだな、これが」

 またもドヤ顔で笑みを浮かべる蛍。


――いや、顔ウザいって。


 小さくため息をこぼす肇。と、ここで彼に一つの(アイデア)(ひらめ)いた。

「なぁ安瀬山、ちなみに安瀬山は、誰に稽古をつけてもらったんだ?」

「え、お父さんだけど、どうして?」

「ちょっと、呼んできてもらえるか? 今日も境内で働いてるんだろう?」

「ん~? まぁ良いや、お父さんちょうど暇してるだろうし!」

 蛍は一瞬(いぶか)しげな表情を見せるも、すぐに身を(ひるがえ)し駆けていく。ドタドタと怪獣のような足音と共に、やがて彼女は二人の視界から消えた。

 簡単な話である。

 今では見事に結界術を行使出来る彼女も、元は今の結華と同じ状態だったはずで、故にその人に教えを()うのが近道だと肇は考えたのだ。



 その後、程なくして白装束姿の中年男性を連れた蛍が境内の隅に戻ってきた。彼こそ蛍の父、安瀬山伶哉(あせやまりょうや)その人だ。 

「結華ちゃんに肇君、こんにちは」

「「こんにちは」」

「早速稽古を始めたようだね。……それで、私に用というのは?」


 肇は早速彼に直接稽古をつけてもらえるよう計らうことにする。

 それに対し、「私で良ければ」と彼は二つ返事で了承した。……が。

「結界術の扱いは慣れてしまえば単純なものです。最初に必要になるのは、思い切りの良さと繊細さでしょうか」

「なるほど……」

 頷く結華。蛍の父は説明を続ける。……いや、これは正しくない。説明らしい説明は、ここで終わった。

「要はノリと勢いです!」

「「ん?」」

「まずは指先に力を込めて、こう! うおおおお!! という気持ちをがあああぁぁ!! と集めて、うぐうううぅぅ!! と最後に形を整えるイメージです!!」

 結華の前に手を突き出す蛍父。その手には、見事な極小サイズの結界が――っと、そんな事はどうでも良くて。

「期待した僕が間違いでした……」

 遺伝なのだろうか、と肇が内心深くため息をついていると、視界の端に小さな影の揺れを捉える。


――こんな時間に、参拝客(さんぱいきゃく)か?


「ありゃ月ちゃんおかえりー! 今日は少し遅かったね!」

 と、やがて姿を現したその影に、元気に手を振り笑顔を向ける蛍。

 その影の主は、一人の少女だった。

 結華や蛍と比べるとあどけなさが残る童顔に、小麦色の肌。涼しげな夏のセーラー服と可愛らしいおさげの黒髪はその印象を裏切らず、彼女を可憐(かれん)(いろど)る。

「うん……今日は本屋さんに寄ってたから。えっと……結華ちゃんと依本くん……? 珍しいね」

 少女の名は、安瀬山月(あせやまつき)

 安瀬山蛍の妹で、地元の風海原(かざみはら)中学に通う一四歳。

 妹とは言ってもその口調は姉と大きく異なりかなり落ち着いていて、どちらかといえばそれは、父伶哉の印象に近い。

 姉との共通点といえばその小麦色の肌と黒髪くらいのもので、確かな膨らみがあるとはいえその胸部は姉の迫力にはまだまだ及ばない発展途上だ。

「あぁ、実はこれは――」


 それから父、伶哉の説明を一通り聞き終えると、事情を察したらしい月はその小さな口を静かに開いた。

「なんというか、ウチの人たち多分こういうの向いてなくて、なんかごめんなさい……」

「いやいや、何も月ちゃんが謝らなくても」

 苦笑いを浮かべ軽く頭を下げる年下に、結華はたじたじだ。

「ただ、言葉にしてちゃんとした説明を受けたいなら、そういうのは私向きだと思います」

「え、月ちゃんが?」

「はい、私だって――神主の娘なんですよ? 結華ちゃん」

 彼女は微笑んで、その手を高く天に伸ばす。その指先に、間髪入れず()()が出現する。

 オレンジの光に照らされて爛々(らんらん)と輝くそれは、高速回転する三つの結界だった。

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