第七話 彼は果たしてどちらか。
◇
結局、蛍が指導するのだという稽古に対する不安感は拭えなかったが、無情にも時間は過ぎ去っていき、その日の放課後。
結華、肇、そして件の褐色乙女、蛍の全員が揃ったところで、三人は彼女の父が神主を務めるという例の神社に向かうことにした。
その道中の山道では既にヒグラシがその鳴き声を響かせていて、オレンジの世界を儚く彩っていた。
三人の足音はバラバラで、息の合った結華肇ペアから蛍一人だけはみ出しバタバタと忙しない。そんなやかましい沈黙を破ったのは、蛍だった。
「あ! 依本くんにくっついてるのって、もしかして……」
「あれ、見えてるのか?」
肇の隣を指さす蛍の表情は明るい。そう、それはまるで幼い子どもが小動物を見つけた時のような……。
『なんじゃ小娘、その手は……』
「あっ、いやこれはその! 無意識! 無意識なので!」
挨拶をすっ飛ばして、肇の隣をぴょんぴょん、と歩いていた小さな獣に手を伸ばす。
天つ神、夜長月勇槍之御狐。……もとい、ノミコ。
縦に伸びた大きなきつね色の長耳が特徴的な半人半獣。
そんな、ぬいぐるみの様な彼の姿がたまらないのか。蛍はそのまま、そのもふもふ頭を撫でてしまう。「わぁ~、うわぁ~」と謎に感嘆の声を漏らすおまけ付きだ。
『これ、やめんか…………』
ノミコは面倒そうにその小麦色の手をどけようとするが、蛍は構わずその感触を確かめ続ける。……その後方で結華がうんうん、と頷いているのは、気のせいだろうか。
「……この子が例の、悪霊を祓ったっていう神様?」
『だからやめろと……』
「そうそう、名前はその……長くて覚えづらいから、わたしと肇くんはノミコさんって呼んでるよ」
もふもふもふもふ。
一向に終わる気配のないその行為に、遂に『やめんかー!』と声を荒げたノミコは忽然と姿を消す。
「え……あれ……!?」
先ほどまで確かに彼がいたその場所には既に何もなく、空を切った蛍の手は行き場を失いその姿勢を崩す。
突然の出来事に蛍が呆気にとられていると、その様子を見ていた肇は「……嫌われちゃったかもな」と愉し気に口角を上げた。
閑話休題。
それから先の道中、参道が見えてきたところでノミコは再度姿を現し一つの警告を出した。……ただし、蛍からは微妙に距離を取り肇の陰に隠れながら。
『結華は本能的に彼奴の異常さに気づいておったが、儂から見てもアレは少々常軌を逸しておる。精々気をつけることじゃな』
「? ヤツって……凰院のことか?」
『そう、あの白いやつじゃ』
凰院玲那。
長身痩躯ながらも男らしい肉体を持つ、白髪のキザ男。
その何もかもが胡散臭く、その結華が嫌悪している例の転校生。
「でも、気をつけるって、どうやって?」
『なに、警戒を怠るなと言っておるだけじゃ。ヤツに気を許さなければそれで良い』
「凰院って……凰院玲那くんのこと?」
と、横から口を挟んだのは蛍だ。彼女は玲那とは別クラスのため、彼女がこの話題に食いつくのは肇には意外に思えた。
「そうだけど……あれ、安瀬山って知りあいだったり?」
「いや、そうじゃないんだけど! お昼以降クラスで話題になってたし、わたしも凰院くんのこと覗きに行ったりしてみたから」
『…………で、巫女娘。お前から見て彼奴はどうじゃった?』
参道の石段を軽快に駆け上がると、見下ろす形で質問を投げかけるノミコ。
夕日を背中側から受け、その輪郭を黄金色に光らせたそれは、正に神のようだった。
――いや、そもそもこの小さいの、神なんだよな。
と、目の前に見える光景に、肇は内心ツッコむ。
……そう。どれだけ愛らしい見た目をしていようが、彼という存在は間違いようもなく神そのもので、彼自身そう振る舞っているのだ。
「えっ、巫女娘ってわたし!?」
『……他に巫女はおらんじゃろうが』
「いや、それはそう! なんだけど……ま、まぁ良いかな! ……なんか、響きが可愛いし」
うん、うん! と一人勝手に納得し怪獣の足音を響かせる蛍。
『…………それで、さっきの答えを聞かせてくれるかの?』
「あっ、ごめんなさい! 凰院くんの印象? だよね! 本人は隠してるつもりなんだろうけど、多分あの人、〝こっち側〟なんじゃないかなって思ったよ! だから覗きもすぐ止めたんだ」
『――ふん、答え合わせの必要がなくなったわい。その言葉を聞けて安心したわ』
「……え、こっち側って? なんのことだ?」
何一つピンと来ない肇。横にいる結華も二人の会話についていけてないのか、二人は顔を見合わせ首を傾げた。
『あれだけ練り上げられた神力じゃ。恐らくは何かしらの超常の専門家、それも主に知識で対策を講じる牡丹や蒼彩とも違う、実力行使型の人間じゃろう』
「ちょっ……ちょっと待ってくれ! えーっと、実力行使型って……?」
『ちょうど、この間のホテルの一件が分かりやすいの。恐らく彼奴は、超常と直接相対する者じゃ』
ぴょん、とその場で跳躍し空中で宙で見事な回し蹴りをしてみせるノミコ。
肇の中で、不揃いだったピースが揃った感覚がした。
「あれ、それじゃあ、転校してきた理由って……」
――カチリ。
かつて神と契りを交わした少女、伊坂実結華。
そして先日の一件と、専門家である蒼彩からの警鐘。
……そう、彼女は確かに言ったのだ。これから先、狐神、夜長月勇槍之御狐の力が必要になると。
冷静に考えてみれば分かる。ただの悪霊払い程度であれば、神の手を煩わせるまでもないはずだ。
ならば当然、その時がどこかでやって来るという事で……。
『想像に難くないの、将来的に魑魅魍魎の〝器〟となり脅威となる可能性を孕んでおる結華を直接消しに来た、あるいは脅威そのものから結華を守りに来たか……そんなところじゃろう』
ノミコの言葉は客観的事実のみを述べていて、故に結華は固唾を飲み、頭では理解しつつも言葉を返した。
「消す……って……?」
『その命を奪う。……殺す、という事じゃ』
その言葉に、結華は次の一歩が踏み出せずその場に立ち尽くしてしまう。
小さく震える彼女の手はひどく湿っていて、突然吹いた一陣の風は、開戦の狼煙を上げているかのようだった。
◇
修行……もとい、結華にこれからつける稽古に関して一通りの説明を蛍の父から受けた二人は、すっかり日が傾いてきたためそのまま帰路につく事にした。
石段を踏む硬い音を参道に響かせながら、二人は無言で歩いて行く。
ノミコはというとその石段を踏むのが面倒らしく、例によってつい先程姿を消したところだ。
故に今この場にあるのは二人の足音のみで、来るときとは真逆に、あたりは静けさに包まれていた。無言の時はしかし肇にとって苦しいものではなく、むしろ口角を上げて彼女の隣に並んで歩いて行く。
話を聞くに、結華を狙ってこれから先悪霊よりも強大な何かが現れる様だが、今下を向いていても仕方がない。
肇に出来ることがあるとすれば、それは周りを頼り前を見ていることだけなのだ。
そしてそれがいかにシンプルながらも重要であるかを、彼は既に痛いほど思い知っている。
――自分の身を引き裂いてくれた方が、どんなに楽だろうか。
肇は絶望に打ちひしがれたあの日を思い出す。今となっては遠い過去の出来事。けれど決して記憶の隅に追いやってはならない、自らの責任と過ち。
……そう。あんな地獄は、二度と繰り返してはならないのだ。
「――結華」
肇はボソリと沈黙を破る。
「なぁに?」
結華の返事は、どこか上の空。ノミコの話を聞いてからというもの、ずっと彼女はこの調子だ。
「凰院の話、今しても大丈夫か?」
まさかの言葉に、結華は一瞬言葉に詰まる。なにせその人物は、今では結華にとって脅威になるかもしれない人物で、それも正体不明なのだ。
「…………別に、いいけど」
「ノミコはああ言ってたけど、実は僕、あいつをそこまで疑っていないんだ」
「……それはどうして?」
「上手く言葉に出来ない……ん、だけど……なんていうか……凰院は絶対そういうのじゃないって感じたんだよ。僕が初めて凰院を見たとき、あいつ凄く哀しそうな目をしていたから」
肇は今のこの感情を言い表す言葉を、しかし持ち合わせていない。
彼はそれを自分で見ることは出来ずとも、どういう状況下でなってしまうものなのか、知りすぎている。……だから、頭が理解するよりも先に彼は凰院玲那の警戒を解いたし、決してあの場を立ち去ろうとはしなかった。
彼自身それは間違いだとも思っていない。これは、確信に近かった。
「わたしのことなんか、殺しに来ないって?」
「……あぁ。少なくとも、今はそうだろう……と、思う。……それに、ほら、神様が言ってるのはあくまで可能性の話だろ? 心配しすぎても仕方ないって」
肇は結華の目を真っ直ぐ見据え、その言葉は客観的に見て論拠に欠けるもどこか芯がある。
そんな彼の姿に、結華は薄く微笑むと言葉を返した。
「そっ……か。……なんか、最近の肇くんって、たまにわたしよりずっと大人に見えちゃうよ」
「……まぁ、背伸びしちゃうお年頃だしな」
「……なにそれ、ヘンなの」
二人揃ってフフッと口角を上げる。
ようやく、重々しい空気がいつもの雰囲気に戻り始めた。
「まぁ、本当にそうなるように頑張るよ……っと!」
いつの間にやら参道は景色の彼方で、見慣れた住宅地に肇は駆け出す。
「とにかく、僕は凰院のこと、変な喋り方の転校生としか思ってないから! それに、何かあればノミコもいる! 知恵が足りないなら蒼彩さんだっている! きっと大丈夫だ!」
こんな時間にも関わらず大きな声で手を広げる肇の姿に、遂に吹き出してしまう結華。
……結華は知っている。
これは、ただの脳天気でも、まして単なる慰めでもない。
彼女の心の中にある沢山の思い出たちが、彼の言葉を受け入れているのだから。
それは疑いようもなく、結華の心は確実に晴れていく。
――わたし、この人が好きで本当に良かった。
「ありがとう……」
感謝の言葉をボソリと呟いて、結華は彼の方へと駆けていく。
……これからのために、自分には何が出来るだろうか。
前を向くと、少しだけ世界が明るくなったように結華には思えた。




