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第五話 穏やかな日和(ひより)のはじまり。





 蒼彩(あおい)の力は、疑いようもなく本物だった。

 ……が、その力を行使する事だけが結華を守る事ではないのだと、蒼彩自らが付け加え二人に説明した。


 いわく、

「私が持っている最大の武器は、この知識だからね。……今回の一件のように、きっとこれから先も結華ちゃんには色んな存在が接触しようとするだろう。その時、キミには私の力を頼りにして欲しいんだ。

 勿論、だからといって神様の力が不要になるわけじゃない。むしろ、使わざるを得ない場面はこれから増えていくだろうね。……ここまでは大丈夫かな?」

 とのこと。

 その言葉に、結華は首を縦に振らざるを得ない。

 それを確認すると、蒼彩は更に言葉を付け加える。

「それから、キミ自身最低限自分の身は自分で守れるようになるべきだろう。……既にその指導を任せる人物は決めてある、明日学校へ行けば嫌でも分かるさ」

「はぁ……指導、ですか?」

「うん、指導。……修行、稽古と言っても良いかな。……まぁ、とにかくそんな感じで。また何かあったらさっきの連絡先に連絡してよ」

 と、半ば強制的に話を打ち切ると、蒼彩はふわぁ、と大きなあくびをする。

「……ごめん、今日は慣れない早起きで疲れちゃって。……あ、それから二人とも、これからは私の事を蒼彩って呼んでくれると嬉しいな。こんな私と睡蓮の花では、あまりにギャップがひどいからね」


 等々……。

 何故、どうして……具体的に、と聞きたいことが山ほどあるであろう二人の表情を交互に確認するも、眠たい目を擦り蒼彩はくるりと背を向ける。 

「とりあえず、後の事はその()に任せるとするよ。さっきも言った通り、用があれば電話でお願い。……なるべく、朝以外の時間で」

 さようなら、の代わりに手のひらをパタパタさせる蒼彩。

 と、その背から、「睡れ――蒼彩さん!」と叫ぶような肇の声が響く。

 その声に彼女が振り返り、その視線を交錯させるより早く、肇は言葉を続けていく。

「どうして――結華なんですか」

 それは、彼にとってもっとも純粋な疑問だった。

 昨日の一件に、今日出た三つの影。明らかな超常たち。

 そんな存在に触れる事など、これまで一度として無かったのだ。そう……()()()()()()()()()()()

「それは、()(てい)に言えば彼女が特別な存在だからだよ」

「いや、そんな事は……! だって、こんな事、今までは一度だって――」

 ……一度だって、無かったんだ。そう続けようとした彼の言葉は、無情にも蒼彩の放った一言に砕かれる事となる。

「そう、今までは……ね。事情が変わっただろう? よりにもよって神様との約束事を書き換えたんだ、それも……法外なやり方でね。……キミが一番よくわかっているんじゃないのかな? ――依本(よりもと)(はじめ)君」

 蒼彩は肇の奥底にある心を覗き込むように、ジッとその目を見据える。

「? それってどういう――うわっ!?」

 結華は隣から口を挟もうとし、しかしその言葉は肇の「――行こう」の一言にかき消されてしまう。

 その柔らかな手を握る彼の手は、何かに怯えているようだった。


「分かっていたよ。……やっぱり、()()()()()()()()()()()んだ……!」


 小さく震える彼の手を、しっかりと力を込めて握る結華。


――大丈夫だよ、わたしはここにいるよ。


 それが彼に伝わるよう、願いを込めた指先であった。




 翌々日、月曜日の朝。

 梅雨明け週初めの天候は快晴で、肇が結華を迎えに行く頃には既に(せみ)の大合唱が始まっていた。


()っついな……」

 ため息混じりに家のチャイムを鳴らす。

 しばらくで「おはよう、肇君。少し待っていてくれ」と、聞き慣れた中年男性の返事が返ってきた。それは、土曜の朝は不在にしていた彼女の父の声であった。

「はーい」

 いつも通りに軽い返事をして、肇はしばし待つことにする。


 その視界の端に映る坂を越えた先に、彼らの通う学校――風海東(かざみひがし)高校は在る。


 これからあの坂を歩くのだと考えると肇は憂鬱(ゆううつ)だったが、そんな彼の心情とは裏腹に、たまに視界を横切る生徒達の声色は明るく眩しい。

 錆びたガードレールに、塗装の剥がれた道路標識。

 けたたましい蝉の合唱に、常に視界に入る緑色。

 それから生徒達の明るい声と、朝を告げる鳥の鳴き声。

 空の青と、ここまで来てもなお(かお)る潮風。

 そんな田舎町の朝は、しかしその季節と時間を彩る要素に事欠かなかった。


『良い朝じゃの』

「まぁ、否定はしないよ。……それで、なんで一昨日は姿を見せなかったんだ?」

 肇は一昨日、超常の専門家である睡蓮寺(すいれんじ)蒼彩(あおい)が力を振るった例の廃ホテルでの出来事を思い返す。

 ……いくら結華を守るために保険のアイテムを身に付けさせていたとはいえ、彼女のピンチには変わりなかった。

 肇には、蒼彩と同じように結華を守る、と宣言した彼――獣の神、()長月勇槍(ながつきいさやり)之御狐(のみこ)がその時姿を見せなかった事実が気がかりだったのだ。

『……アオイ、と言ったかの。あの女子(おなご)

 肇は首肯する。


 睡蓮寺蒼彩。

 長く艶やかな栗毛の髪に、スラリと伸びたモデルのような長身。目鼻立ちの良い整った顔立ち。

 そして、そんな彼女の正体は、肇にとって恩人である及雲(おいくも)牡丹(ぼたん)の弟子。超常の専門家。

『……まぁ、儂にも考えがあっての。彼奴(あやつ)の実力を測りたかったというのもある』

「神様のお眼鏡にはかなった?」

『そうじゃな。……そもそも、足りぬようならあの場で飛び出しておったよ。文句のつけようもあるまい』

「そっか……」

 と、素っ気ない返事をしつつも肇は内心ホッと胸を撫で下ろす。


 その時、見計らったように玄関の扉がガチャリと開いた。


 涼しげな夏のセーラー服に袖を通した彼女は、今日も雪の肌。

 セミロングの黒髪に、しなやかな女性らしい肢体。

「おはよう~、肇くん。と、……ノミコさんも、いるのかな?」

 伊坂実(いさかみ)結華(ゆいか)

 二日連続でその身を悪霊に狙われた、(くだん)の少女。

 そんな彼女だが、今日もその白い歯を覗かせ肇に笑顔を向ける。雪の肌は朝日を浴びると、景色の中に溶けてしまいそうな儚さを感じさせた。

「おはよう。……あぁ、声だけは聞こえるし、多分傍にいるよ」

『心配せずとも儂はいつもおるぞ』

「おぉ、ほんとだ。……じゃ、行こっか」

「あぁ」

 肇が首肯するのを確認すると、結華は「行ってきまーす」と父に言い残し、坂に向かい歩き始める。

 

 こうして、二人の穏やかな一日は始まった。




 それから歩幅を揃えて登校した二人だが、結局教室の前に到着するまでいつものそれと変わりなく、肇と結華は互いに顔を見合わせ首を傾げた。

「ま……まぁ、教室に入れば何か分かるのかもしれないし、僕はこれで」

 蒼彩の言葉が事実であるならそろそろ何か変化があっても良い頃合いなのだが……。

「あっ、うん! また後でね~!」

 肇は隣の教室へ、結華は眼前の教室のドアを開ける。

 朝の教室は活気に溢れていて、生徒達の賑やかな話し声が結華を出迎えた。


「あっ、おはよう結華!」

 まず最初に彼女の視界に飛び込んできたのは、中学からの友人である女子、雛沢菜子(ひなさわなこ)が元気よく手を振る姿。

 その手にはいつも通り可愛らしいシュシュを付けていて、彼女の動きに合わせて美しい弧を宙に描いていた。

「おはよ~、なーちゃん」

 思わず表情をほころばせ、結華は彼女の隣の席に座る。

 隣の菜子は所謂(いわゆる)窓際席で、そのふわりとしたロングの茶髪は日の光をバックに目映く輝いていた。

「ねぇ結華結華」

「なんだねなーちゃん氏ぃ」

 軽口を叩きながらテキパキと筆記具を机の上に広げる結華。

 本日の一限目は現代文で、小テストの心配よりも眠気の心配が勝る。この場の誰にとっても恐らくそれは同じで、故にこれだけ空気が弛緩(しかん)しているという事なのだろう。

「今日も()()と一緒に登校してきたの~?」

 バッグを仕舞ったのを確認し、菜子は結華の手を軽く引く。「んぐぅ」とおかしな声が聞こえたが、構わず自らの膝の上に彼女を迎えた。

「んー、肇くんのことぉ?」

「そうそ、ずっと仲良しじゃん。いい加減くっついたりしないの?」

「ひょんふぁふぉふぉ、ひゃへふぇひょ~」

 もちもちもちもち。柔らかな結華の頬を弄ぶ菜子。

「ごめんごめん、これじゃ喋れないわ」

 と、謝りつつも反省する様子もなく菜子は微笑む。

 そんな彼女の姿に、結華は「む~」と赤くなった頬をさすり、顔を整えて。

「…………実はもう、結構進んでたりぃ……」

 と、意味ありげに言葉を返した。

 その言葉に、彼女の顔を覗き込んでいた菜子はその目を大きく見開く。

 その目は中学時代と変わらない美しいブラウンで、アイシャドーやら何やらでそのチャームポイントがより際立っていた。

 このクラス一のオシャレ女子でもある彼女は、いつでも〝可愛さ〟に隙がないのだ。

「……え、マジ?」

「ふふふふ、さぁどうだろうねぇ…………」

「まったく、この()はぁ……!」


 結華の思わせぶりな態度に火がついた菜子の手は止まることを知らず、その後結華は彼女のくすぐり地獄を始業時間ギリギリまであじわう事になったのであった……。


――あれ、結局何もかもいつも通り?


 と、始業のチャイムと共に、再び内心首を傾げる結華。


 結局一限目が始まろうともその疑問は解消されること無く、真剣な表情を浮かべたつもりで彼女はまどろみに落ちてしまう。

 そんな彼女をシャーペンの先でつついて菜子が起こすところまでが、いつも通りというわけである。


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