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第三話 見知らぬ大きな彼女は突然に。




 どれだけ荒唐(こうとう)()(けい)な出来事があろうが、必ず次の日はやってくる。


 アラームの心配が要らない穏やかな休日の朝、いつもの如く目を覚ました(はじめ)

 ふわぁ、と小さなあくびと共にベッド脇のカーテンを開け放つと、昨日の雨が嘘のような、眩いばかりの日の光が室内に降り注いだ。

 それと共に、彼の上で猫のように丸まっていた獣も目を覚ます。

『のじゃぁ~……』

 昨晩は大活躍を決めた当の本人も、人間と同じく布団が恋しいのか、肇の掛け布団を掴んで離さない。

 二本の長耳が目立つそのきつね色の頭を撫でると、指通りの良い柔らかな感触が肇に伝わった。

「おぉ、これは中々……と、いかんいかん」

 肇はその魅惑の感触に時間を忘れそうになるも、今日は部屋でゆっくりしている場合ではない事を思い出し、手を離す。

 というのも、昨晩の一件は彼の手助けもあり一応解決したとはいえ、肝心の悪霊の目的が不明であり、まだ手放しで喜べる状況ではないのだ。

 ……むしろ問題はこれからで、今日は(くだん)の少女、伊坂実(いさかみ)結華(ゆいか)の自宅に集まる約束をしているわけだ。

「ごめん神様、そろそろ布団を出たいんだけど……」

『んん、あと五分……』

「いやほんと、そろそろ起きないと。結華が待ってるからさ」

『んん、のじゃぁ……』

 最後に小さく独特の鳴き声をあげると、獣は突如として肇の視界から姿を消す。


 まさに、狐に化かされた、とでも言おうか。

 先ほどまで彼がいたはずのその場所には何もなく。

 後に残ったのは、赤子のように温かなその温度と、お日様のような穏やかな香りのみだった。




 その後、身支度を整え自宅を出るとそのまま伊坂実家へと向かう肇。

 歩いてすぐのその場所には、呆気なく到着し結華と対面する事になる……はずだった。


 その道中、彼が見かけたのはジーンズ姿の若い女性。

 腰のあたりまで伸びた艶やかな栗毛に、モデルのように美しいメリハリの良い体つき。

 モデルのよう……というのは何もその豊満な胸部のみを指すのではなく、むしろ肇はその身長の高さにこそ驚き目を離せなくなってしまっていた。


――190くらいはあるんじゃないか……そもそもこんな女性(ひと)、この町にいたっけ?


 彼が一人(いぶか)しみつつ彼女を見上げていると、その視線に気づいたのか、悠然(ゆうぜん)と肇の方へと近づいてくる彼女。

「おやおや。初対面の女性をそんなにジッと見つめるのは、あまりマナーが良くないんじゃないのかな? ――少年」

 近くで見るとよく分かるその整った目鼻立ちと甘い香りに、肇は視線を逸らしてしまう。

 そんな彼の姿が面白いのか、彼女はクスリと上品に笑うと、その場で伸びをしてその豊満の胸部をこれでもかと――。

「おやおや少年、マナー違反二回目だね。目線を逸らしたかと思えば胸を見たりと……ふむ、なんともキミは等身大の高校生だな、嫌いではないよ」

「いや、その……あなたみたいな人、あんまりこの町では見ないもので」

 と、赤面しつつなんとか肇は言い訳をする。

「ふむ、それはそうだろう。私自身自分の派手さは理解しているつもりだ」

「はぁ」

 まだ涼しい朝の時間帯とはいえ、真夏に屋外で話していると汗が噴き出す。

 肇は頬を伝う一筋の汗を拭うと、ふぅ、と小さくため息をこぼした。……と、ここで一つの疑問が浮かぶ。


――あれ? 僕、自分が高校生だなんて言ったか……?


「……さて。やはり朝は苦手だな、いい加減本題に入るとしよう」

「本題……?」

「そう、本題。目的だと言っても良いね。実は私、ちょっと探してる家があってね、この辺りだって聞いてるんだけど……」

「はぁ」

「――伊坂実(いさかみ)という人の家なんだけど、知らないかな?」

 腰に手を当て、彼女は口角を上げる。

 その背に朝日を浴び夏のそよ風に艶やかな栗毛をなびかせる彼女の姿は、なんとも神々(こうごう)しかった。




 肇が家のチャイムを鳴らすと、程なくして玄関のドアを開け、少女がその姿を見せた。

「あ……あれ?」

 と、肇の隣に佇む栗毛の美女に目を(しばたた)かせる少女。


 少女、伊坂実結華は肇と件の神様の三人という事で油断していたのだろうか。

 その恰好はラフな薄手の部屋着で、いつもはよく整っているその黒髪は少々寝癖が残っている。


 ……と、そんな自分の姿が恥ずかしくなったのか、彼女は頬をほんのり赤く染め、そのセミロングの頭髪を細い指先で()かし始めた。

 それを見ていた栗毛の彼女は、口角を上げると結華に手を伸ばす。

「はじめましてだね、結華ちゃん。私の名前は睡蓮寺蒼彩(すいれんじあおい)

「は、はぁ……えっと……肇くん、この人は一体……?」

 その手を返し握手をするという事は勿論なく、寝癖を直しつつも視線を隣の肇に移し、ドアを少し閉める結華。

「おや残念、警戒されてしまったか」

 あっさりと手を引っ込めジーンズのポケットに戻す女性……もとい、蒼彩。

「……いや、それは僕が聞きたいくらいなんだけど。えっと――」

 と、肇がなんとか彼女の説明をしようと試みていたその時、無機質な電子音が鳴り響く。

 その音の正体は、生足を(のぞ)かせる結華のズボンポケットの中……彼女の携帯端末の着信音だった。

「おや、説明の必要が無くなってしまったようだね」

「……誰からなんだ?」

 肇の言葉に、結華は恐る恐るその端末の画面を確認する。

 そこに在ったのは、伊坂実の親戚たちから異端扱いされている、一人の女性の名前だった。

「……牡丹(ぼたん)叔母(おば)さん」

 その言葉に、肇の全身が総毛立(そうけだ)つ。


 及雲(おいくも)牡丹(ぼたん)

 端末越しでもよく分かる、特徴的なガラ声の中年女性。

 六月の末、永遠にも思えた悪夢の日々を終わらせるのに大きく貢献した、肇にとっての恩人。

 その恩人は、親戚から異端扱いされているのも頷ける仕事を生業(なりわい)としている。


 及雲牡丹。

 煙草(タバコ)の煙のように掴みどころのない彼女は、超常の専門家だったのだ。



 電話口での牡丹との会話は端的だったらしく、通話を終えた結華が呆気に取られていると、それを見かねた蒼彩は再びその口を開いた。


「……あの人にも困ったものだよ。いつもどこか言葉が足りないんだ。――それじゃ、改めて私から」

 真っ直ぐ結華の目を見据えると、蒼彩は小さく息を吸い言葉を続ける。

「私の名前は睡蓮寺蒼彩、超常の専門家。牡丹さんの一番弟子というやつだよ」

「牡丹叔母さんの……? それじゃ、本当に?」

 蒼彩の言葉に、結華は不安げに部屋着の端をキュッと握る。

「あぁ、本当だとも。――結華ちゃん、私にキミを守る手助けをさせてほしい」

 蒼彩はその場に(ひざまず)くと、白くしなやかな結華の片手を握る。


 雪の肌の黒髪の乙女に、背の高い栗毛の女性。

 朝日を浴びた二人の姿は、物語の中の姫とその騎士さながらであった。




 その後は、結華の部屋にて、昨日の一件に関する話し合いをする事と相成った。


 大体の事情は既に知っていたのか、牡丹の弟子だと名乗る彼女――蒼彩(あおい)は、「やはり、アレは結華ちゃん関連だったか」と一人納得すると、二人に頭を下げる。

「……すまない。本来なら海原然(みはらぜん)町で起こる()()()()()()には私が対処すべきなんだが、対応が遅れてしまった」

「いや、いやいやそんな! 顔を上げてください、その……睡蓮寺(すいれんじ)さん」

 そんな彼女の姿に結華はたじたじだ。

「……ただ、その……言い訳をさせてもらうと、私は今別件で動いていてね、それどころではなかったのさ」

「……そんなんで、いざという時結華を守れるんですか?」

 と、いつもは穏やかな肇は静かな怒りをぶつける。

 ……確かに、彼女は結華に対し正しい姿勢で正しい謝罪をしたが、肇にはどうもそれが形だけのものに思えてならなかったのだ。

「キミの怒りはもっともだ、依本(よりもと)(はじめ)くん。……が、ならば私も反論させてもらうが、昨日の一件、キミは果たして彼女を守るために何か出来たのかな?」

「それは……」

 蒼彩の言葉に、肇は返す言葉が見つからない。

 結華が(うごめ)きに襲われた昨日の一件、肇に出来る事は何一つとしてなかった。

 助からなかったのだ。……そう、神の力無しには。

「出来やしないさ、キミはただの素人なのだからね。……悪いね、別に責めているわけではないよ。これはただの確認」

「確認って、なんのですか……?」

「アレをやったのが神様で間違いないのかっていう、その確認だよ」

 聞き返す肇に、蒼彩はさも当然の事のように答える。


――この人は一体、どこまで事情を知っているんだ。


 と、緊張感からゴクリと喉を鳴らす肇の手に、柔らかな感触が伝わる。

「結華……?」

 雪のように白くしなやかなそれの正体は、結華の手のひらだった。

 結華は蒼彩をキッと睨むと、穏やかな口調ながらもその言葉に怒りを含ませる。

「……肇くんがわたしを守れないなんて、なんで出会ったばかりの貴女に言われなきゃいけないんですか」

「おや、結華ちゃん本人に怒りをぶつけられるとは意外だな。……いや、そうでもないか。なにせ、キミは既に彼に一度救われているのだから」

 全てを見知っているかのような蒼彩の言葉に、結華はその目を大きく見開く。

 肇の反応も同じで、室内はシンと静まり返ってしまう。

 時間にして十秒にも満たないだろう、短い沈黙。

 

 その沈黙を破ったのは、愉し気に笑みを浮かべる蒼彩だった。


「……しかし、ああいった実戦において彼が力になれないのは事実だろう? 私は事実確認をしているまでだ」

「……多分、睡蓮寺さんの言う通り、僕にはなんの力もありません」

「ちょっ、肇くん!?」

「でもそれは、僕に出来る事はなにもないという証明にはなりません。……教えてください、睡蓮寺さん。――貴女は結華を守るために、何が出来るっていうんですか?」

 自らの非力を認めつつも、肇は蒼彩の目を真っ直ぐ見据える。


 ……自分は弱い。自分一人で出来る事はあまりに少ない。

 彼は、知りすぎるほどにその事実をよく知っていたのだ。



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