第二話 あの日の少女が現在(いま)に至るまで。
◇
――夢を、見ている。
……それは、少年にとって遠い過去の記憶。
見慣れた彼女はあの日の幼い少女の姿で、少年のもとへと駆けてくる。
その頬を伝っていたのは、一筋の雫。
――そんな少女に、少年はかける言葉が見つからない。
二人が出会ったのは、いわゆる、物心がついた時から……というやつで、親どうしの仲が良いこともあり、暇を見つけては共に遊ぶ毎日だった。
そんな毎日に変化があったのは、何年かに一度だという大寒波が町を襲っていた、凍える一二月。二人は小学五年生。
母に外出を禁止され、少年が退屈しのぎに少女の家へ電話をかけようとしていた、まさにその時の事だった。
突如として電子音を響かせ始めた自宅の固定電話に、急ぎ受話器を手に取る少年の母。
「はい……はい……それは……そんな……グスッ……はい……はい……」
何度もその場で力なく頷くと、母は涙ぐみ声を震わせ始める。
その様子を横で見ていたあの日の少年は、幼いながらもそれが悪い報せなのだと、その場で理解してしまうのだった。
……後に聞いた話だ。
少女――伊坂実結華の母は以前から重度の病を患っていたらしく、町が白く染まったあの日、眠るようにその息を引き取ったらしい。
少年――依本肇にとってその人物はいつでもよく笑う明るい女性で、だからその現実を受け入れることは中々出来なかった。
それは、勿論その娘である結華も同じ……いや、それ以上で、葬儀を終えても彼女の心は、中々現実に戻ってくることはなかった。
……小さな自分に、出来る事はあまりない。
それでも、と自分の手のひらを見つめ、幼き肇は意を決する。
それから、肇は毎日結華の家へ行き、中々かつての明るい表情を見せてくれない幼馴染と共に時間を過ごした。
それは、以前のように楽しいだけの時間では決してなく、話に花が咲くことなど一度としてなかった。
……が、今彼女の傍にいる事こそが自分の使命なのだと、肇は自分に言い聞かせそれを続けた。
長く続いたそれも、ある日小さな変化を見せることになる。
「……なんで、この人は戦ってるの?」
見るとなしに見ていたそれは、日曜朝の特撮番組。
画面の向こう側にいる仮面の男を見つめ、体育座りをしていた結華がポツリと呟いたのだ。
「なんでって、それは……うーん……ヒーローだから……?」
「ヒーローだったら戦わなくちゃいけないの? こんなに辛そうなのに」
その表情こそ見えないが、仮面の男は苦しげな息遣いと共に肩を上下させつつも怪人と戦う。
「だって、それは……」
……結華より多少はこういった番組の知識がある肇は、真剣な面持ちでしばし思案する。
なにせ、結華がまともに口を利くことなど、彼女が親を亡くして以降本当に久しぶりの事なのだ。
「ここでこの人が諦めちゃったりしたら、信じてる人たちが困るだろ」
「ふぅん。困るって?」
「そりゃ……皆怪人とかに襲われちゃうわけだし。誰だって日常が壊れるのは嫌だろ?」
「うん……それ……よく分かるよ……」
結華は表情を崩さない。
しかしその言葉に、「今の発言はよくなかっただろうか」と肇は内心頭を抱えてしまうのだった。
特撮番組を見ていた結華は、その言葉は淡々としていながらも興味はあるらしく、番組が終わると肇の服の袖を引っ張る。
「これ……ほかの話は見れない?」
再び思案する肇。
居間で新聞を読んでいた彼女の父に相談すると、彼は頷き二人を近くの書店に連れ出した。
以前からすると縮小しているとはいえ、全国チェーンの書店では未だにレンタルDVDの取り扱いがある。
肇のアドバイスを受け、前シリーズの特撮DVDを10本弱借りることにした結華。
「……僕が言うのもアレなんだけど」
「なに?」
「一度にこんなに借りて大丈夫か? 途中で飽きたりしない?」
「……まぁ、他にすることもないし」
「それもそうか」
いつもより、少しだけ多めの会話。
その些細な変化が、肇には嬉しかった。
それから数日をかけて、結果として結華はその特撮シリーズ全五十話をまるまる完走する事になる。
「……よしっ」
「んぁ? あぁ……終わったのか」
眠たい目を擦る肇。
既に窓の外は暗闇の中で、日付が変わりかけていた。
「ねぇ肇くん、わたし決めたよ」
「…………結華?」
「わたしも、戦う」
その視線の先にあるエンドロールに、結華はわずかに口角を上げる。
その目にはかつてのような昏さはなく、代わりに真っ直ぐ前だけを見つめていた。
◇
……母が他界して、もう六年になる。
アラーム音に目を覚ます土曜の朝。
ふわぁ、と小さくあくびをすると、もぞもぞと布団を抜け出し目を擦る雪の肌の少女。
部屋着のまま階下に降り、顔と口の中を念入りに洗う。
寝癖を直し身だしなみを整え、キッチンへと向かう。
「お父さん、今日は確か夜帰りだよねぇ」
一人呟き、平日と同じく昼食もまとめて作ることに決める少女、結華。
母を亡くし、画面の向こうの英雄に心を動かされてからというもの、結華は伊坂実家の家事全般を進んでやるようになった。
朝五時には起床し、食事の支度を済ませ、洗濯機を回し……と、手際よくそれらをこなす結華。
一般的に見ればかなり家庭的で頑張り屋なその毎日も、しかし彼女にとっては苦にならない。……それが自分のすべき事なのだと、少女はよく理解していたのだ。
――だって。わたしが家事しないと、お父さん困っちゃうだろうし。
朝食の味見をすると、口角を上げる結華。
……母の代わりをしているだけ……なのかもしれない。
が、それでも良いと結華は自信を持って言えるのだ。
なぜなら彼女が大好きな伊坂実結華は、世話焼きで、お節介で、戦うべき場所から決して逃げない女子なのだから。
朝食の香りに目を覚ました父が居間に姿を現す午前六時。
「――おはよう、結華」
「おはよう、お父さん」
文字に起こしてしまえば、なんて事ない普通の日々。
そうして、今日も爽やかな一日が始まるのだった。




