第十五話 持つ者たちの戯れ。
◇
ここ数日、件の女子高生伊坂実結華は怪奇現象に期末テストにと忙しく過ごしていたらしい。……もっとも、テストの方に関してはどちらかといえば彼が主に苦労していた様だが。
「ふぅむ、ここは何か手土産の一つでも持っていってあげるとするか」
一糸まとわぬ姿で、一仕事終えた彼女――睡蓮寺蒼彩は小さくあくびをする。
ここは海原然町東に位置するビジネスホテルの一室。
窓の外は既にすっかり明るくなっていて、蒼彩が部屋のデジタル時計を確認すると、時刻は十四時を過ぎた辺り。彼女の修行の事を考えるなら、そろそろ動き始めた方が良さそうだ。
一人納得すると、蒼彩は部屋のシャワー室へ向かう。
シングルサイズのベッドの上に脱ぎ捨てられていたのは、昨晩彼女が着ていた黒のレース下着と靴下で、一瞬視界に入るも視線を戻しそのまま彼女は汗を流すことにする。
つい先程、いつもよりも早めに目を覚ましその後の結華の状況を把握したばかりの彼女は、自分一人の事に関してだけはかなりテキトーだったのだ。
身支度を済ませ、着慣れたジーンズ姿でホテルの外に出ると、目映いばかりの日の光が蒼彩の肌を灼いた。
「暑っつ……テラス様にももう少し加減というものを知って欲しいね」
等と一人文句を言いつつも、彼女はひとまず目的地のショッピングモールへ向かうことにする。ここからそう離れていない場所に位置しているため、伊坂実家まではほぼロスタイム無しで行ける計算だ。
それから買い物を済ませた蒼彩は、手土産を片手に伊坂実家へ向かい歩を進める。
外は相変わらず強い日差しで、蝉の声がけたたましく響いていたが、少しの時間とはいえ建物の中で涼めたので気分的には少し余裕があった。
「この夏は暑いね……海水浴を挟んでみるのもアリかな」
……まぁ、そもそも相当無理をしないと泳げる時間に起きれないのだが。
と内心ツッコミ、蒼彩は額の汗を手の甲で拭う。こういう時ばかりは、自分の髪の長さを呪いたくなってしまう彼女である。
「……おや?」
――と、錆びたガードレールの脇を過ぎ、緑が目立つ田舎道に入ったところで、道の真ん中に一人の男子が佇んでいる事に気がつく。
「キミ、大丈夫か――」
大丈夫かい、と声を掛けようとして、そこで蒼彩は異変に気づく。
例の神、夜長月勇槍之御狐を住まわせる男子高生――依本肇と同じ、風海東高校の制服を着た、一人の男子生徒。
その男子は、蒼彩にとってまったくの初対面で。
蒼彩よりやや低い程度の長身に、細身ながらも筋肉質な逞しい色白の肉体。
ポニーテールに束ねたロングの白髪に、その首を隠す季節外れの黒いインナー。
そして美しいブラウンの瞳は、しかし初対面の彼女を真っ直ぐ睨み付けている。
「……おやおや、何か私に用でもあるのかな? 私はキミのことを見るのは、まったくの初めてなのだけれど」
「〝程度〟を識るために眠い目を擦ってここまで来たんだ、悪く思うなよ」
それはどういう意味なんだい、と返す間もなく、素早い動きで男子が右手の人差し指と中指を合わせて真っ直ぐ立てると、蒼彩の足下目掛け不可視の力が加わる。
――なんて練度の業だ。
一歩前に進もうとするも、彼女の足は地面に張り付けられたかの様な重さがあり、ビクともしない。彼女の頬を、一筋の汗が伝い地面へと落ちていく。
「私も朝は苦手なんだよ。苦手どうしここは平和的解決というわけにはいかないかな。……このお土産、結華ちゃんに持って行かないといけないんだよ」
「駄目だな。……少なくとも、お前がその力の一片を見せるまでは続けさせてもらうぞ」
彼の言葉は高圧的で、しかし恨みや憎しみからその力を振るっている様には見えない。……程度を識る、か。
「…………どうにも、キミ相手だといくら取り繕っても意味が無いみたいだね。……一分だけ――お姉さんが遊んであげるね」
「悪いな。……今その力を使うのは不本意だろうが、俺は自分の体で確かめたい性質なんでな」
「……驚いたな。キミ……どこまで見えてるの?」
「……さぁな。今は未だ、アイツほど陰陽に極地に近づいちゃいないんだ。俺は俺に出来る事をやっている。……それで良いだろ?」
「なるほど、キミの事が少しずつ分かり始めたよ。……名前を聞かせてくれる?」
「――凰院玲那」
「やっぱり、凰院の子か。……私は睡蓮寺蒼彩」
自己紹介も程々に、蒼彩は目に見えない足下のソレに指先で触れる。
パキィンと何かが砕ける音が響き、自由を手にしたその足で彼女は大地を踏みしめた。
「――今日は短い付き合いだけど、よろしくね」
玲那と名乗った少年の頬を冷たい汗が伝い地面へと落ちていく。
遂にその一雫が地面へ激突したその瞬間が、開戦の狼煙と相成った。
◇
――なんて青空だ。やっぱり日中に張り切るものじゃないな。
と、爽やかな気持ちで地べたに横になる玲那。
勝負は一瞬……というより、勝負にすらならなかったように思えたが、蒼彩は一分きっかり玲那と業と業の撃ち合いを繰り広げると、何事も無かったかのようにその場を去って行った。
その去り際はあまりに美しく、日の光をバックに栗毛の髪を靡かせ一歩一歩しっかり歩いて行く姿は映画のワンシーンの様だった。
「あー、疲れた疲れた」
程よい倦怠感とようやく落ち着いてきた夏の気温に、玲那は一瞬微睡んでしまいそうになる。
細かな痣等は服の下にあるかもしれないが、見た目上傷一つ無いあたりかなり手加減されていたという事だろう。……まさに、完敗である。
ふぅ、と玲那が小さくため息を零すと、制服の胸ポケットの中が小さく振動する。携帯端末の着信……では勿論ない。
「あー……出ろ、『邪好』」
その言葉と共に、彼はポケットの中の札に念を込める。するとその手のひらサイズの紙から黄色い輝きが溢れ、横たわる彼の横にソレが着地した。
『ぴぎゃはははは!』
ソレは、玲那の膝ほどもない、小さなサイズの黄色い小人だった。
ただしその額には血のように赤い角が二本生えていて、出てくるなり大きく開けて笑うその口内からは肉食動物の如く鋭い歯を覗かせている。
小型ながら立派な角と牙を持ち、オマケに黒い縞模様の入ったヒラヒラのパンツは、絵本の中のソレと完全に姿が一致する。
鬼。小鬼。黄鬼。
その小さな生き物を言い表すとすれば、この辺りが妥当である。
『ぴぎゃっは、オイご主人よォ、ボコボコじゃねェかオイ、さっきのマブいねーちゃん、追わないのかい?』
「追わねぇって。……勝てねぇよ、あんなの」
『ぴぎゃはははは! 完敗ってワケか。……デ? なんでさっき、この邪好サマを呼びださなかったンだ? アンタ一人じゃ限界があンだろ』
耳元で彼を睨む小鬼に、玲那はゆっくりと体を起こし制服に付いた砂を払う。いつもは白く輝いているが、一戦終えたシャツは汗と砂汚れで台無しになっていた。
「…………だから前から言ってるだろこの馬鹿。お前らを使うのにはいくつか〝制約〟があるんだよ。まして今回の相手はただの……か、どうかはそもかくとして。悪霊でもなんでもない人間で、相手してもらったのも俺の都合だ。許されるわけないんだよ」
『ンだよつまんねーナ。こんナんで俺様たちの活躍ノ場は来ルのかヨ?』
小鬼はポンポコポンポコと、その幼児のように丸々とした腹部を拳で叩き音を鳴らす。それは、退屈している時の彼の癖だ。
「そこは心配ない。なにせこの町には、〝器〟として完全に仕上がった女がいるんだ。……それもこのレベルとなると数百年ぶり……今まで動いてなかったヤツらも必ず動く。邪好達にはその時嫌でも働いてもらうさ」
『確かに……』
小鬼……もとい、邪好はその場でスンと鼻を鳴らす。彼らの嗅覚は、人間のソレとは異なるものを感知出来るのだ。
その嗅覚が今、一人の少女を捉える。その濃厚な匂いに、鬼はゴクリと喉を鳴らした。
『……確かに、ウマそうなノが一人。しかもこレは、若い女かァ!?』
「………あぁ。間違いなく極上の〝餌〟……だろ?」
玲那は口角を上げる。
『ぴぎゃははは! オイご主人! せいぜい〝陰〟に堕ちネーようにナ。でないと俺様たちは……きっトその女ヲ食っちマうゼ』
「……分かってるさ」
睨みを利かせる邪好の額に、玲那は「……戻れ」と手元の札を当てる。すると再び黄色い光が溢れ、その光に包まれた小鬼は札の中へと戻っていった。
……蝉の鳴き声が嫌に大きく聞こえる。そんな、嫌な午後が始まった。




