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第十一話 可愛い子には可愛い子を添えよ。




 その時安瀬山蛍(あせやまほたる)が感じていたのは、己の無力感だった。


 あれから蛍がしばらく家の前で待っていると、玄関の端に立てかけた傘はそのままに、結華がその姿を現す。

 その足取りは、ゆっくりと無気力で、生気(せいき)の無いものだった。

 彼女が一歩進む度その艶やかな黒髪を雫が伝い、地面へと落ちる。

 濡れたセーラーはその向こう側の色を淡く覗かせる。

 そんな、色白の肌にずぶ濡れの黒髪少女という姿は絵になりすぎていて、浮かび上がる彼女のしなやかな輪郭(りんかく)彫刻(ちょうこく)のように美しい。

 事実、蛍はすぐに声をかけるはずが、その光景から目を離せなくなってしまっていた。

「……あっ、どうしたの結華ちゃ――」

 ……と、どうにか気持ちを現実に戻し慌てて心配の声を掛けようとして、しかし蛍は言葉に詰まってしまう。近くで見る彼女は目元を赤く()らしていて、その瞳は黒々と濁りきっていたのだ。

「蛍ちゃん……」

「と、とりあえず傘、傘の中に入って! 風邪引いちゃうよ!」

 その肩を掴み、蛍は半ば強引に濡れた彼女を傘の中に入れる。

 今の結華はされるがままという感じで、勢いそのままに蛍の体にもたれてしまう。蛍の豊満な乳房(ちぶさ)に顔を(うず)める形だ。

「蛍ちゃん……あのね……なーちゃん――寝たきりなんだって…………」

「えっ…………?」

 思ってもいない一言に、雨傘を離してしまう蛍。彼女の指先を滑ったそれは、空気を掴みスローモーションの様にゆったり宙を舞う。

「昨日の夜から……ずっと、目……閉じたまま、意識が戻ってないん、だって…………」

 重力に従い、遂にそれがカンと無機質な音を立て地面に激突する。

 彼女の言葉に蛍は沈黙したまま、しかしそんな無言の中ザーザーとノイズのような音の合唱が始まる。

 狙い澄ましたかのように、その雨脚(あまあし)は強まり始めていた。



 こういった状況で、かける言葉を蛍は持ち合わせていない。

 彼女は妹の月ほど思慮深(しりょぶか)くはないし、何より細かなことに気を配るのが大の苦手なのだ。


 その時安瀬山蛍が感じていたのは、己の無力感だった。


 何とか彼女を元気づけたいが、今どんな(なぐさ)めの言葉を(つむ)いでもきっと彼女はそれを拒絶してしまう。

「…………」

 咄嗟(とっさ)に抱き留めた彼女の体温は驚くほど冷たく、その細くしなやかな手を小刻みに震わせている。

 …………悔しいが、蛍には今の彼女のメンタルを()やすことは出来ない。しかし、人より高めの自分の体温で、少しでも彼女を温めることが出来るのなら――。

「……蛍、ちゃん?」

 結華の小さな肩から手を離し、蛍は彼女を強く抱きしめる。

 こうして触れて改めて実感出来た二人の体格差は中々のもので、その細い体を壊してしまわないか蛍は内心不安になってしまう。

 ……なにせ、眼前の彼女からは今にもポッキリと折れてしまいそうな危うさを感じてしまうのだ。

「…………えっと、結華ちゃん! きょ、今日は、その……えっと、ごめん! 上手く言葉に出来なくって。わたし……あんまり頭が回るほうじゃないから。でもね――」

 そう一気に胸の内を明かし、ようやく小さく息を吸う蛍。その全身は、既に結華同様雨でびしょ濡れだった。

「でもね――今の結華ちゃんを一人にはしておけないって、そう思うし。しちゃいけないって……感じるの! だから、今日は……その、依本(よりもと)くんを頼るわけにもいかないから、だから……えっと、その……今日は――ずっと一緒にいようよ、結華ちゃん」

 ようやく長台詞(ながぜりふ)の着地点が決まり、蛍ははぁ、と一気に息を吐く。

「…………お泊まり、ってこと?」

 そんな蛍に対し、しかし結華の台詞は端的だ。端的で、無駄がない。

 しかし、それは先程までの気だるげで陰鬱(いんうつ)とした声では無く、ほんの少しの変化ではあるが、その声には確かに覇気(はき)が戻りつつあった。

「…………の、つもりなんだけど。駄目、かな? ウチで一緒にって、思ったんだけど……」

「駄目」

「うぐぅ」

「……って言っても、多分拒否出来ないんだよね?」

 言葉と共に、蛍の体をゆっくりと元に戻す結華。反対どうしを向いていたその視線が、ようやく交差する。

「……いいよ。でも……わたし余所(よそ)には泊まれないよ?」

「えっ、で……でも、月ちゃんとかと、いたほうが……」

「ほら、お父さん一人に出来ないし。……()()()()()、蛍ちゃんも知ってるよね?」

「あ、その……ごめん」

 結華の言葉は端的で、蛍はすぐに目を伏せてしまう。


――どうしてこう、わたしは考えが及ばないのだろう。


 そう蛍は内心で自分を強く責め立てた。

「それに、わたし……今は月ちゃんじゃなくて、蛍ちゃんの言葉が、聞きたいし」

「えっ?」


――わたしで、良いの?


 思わず蛍は顔を上げる。

「ごめん、友達にこんなに気を(つか)わせて。……わたし、サイアクだった。でも……ごめん、ほんとに今だけで良いから――寄りかからせて、蛍ちゃん」

 結華の頬を一筋の雫が伝う。

 ……いや、実際には雨水に紛れてそんな姿が見えるはずもないのだが、確かに蛍の目には静かに涙を流す彼女の姿が映っていた。



 ◆


 果たして、その日蛍は伊坂実家へ一泊する事と相成った。

 まずは両親の許可が問題になってくるところではあるが、そこはどちらの親も二つ返事で了承したため結局問題にすらならなかった。

 むしろ問題はその後で、伊坂実家に向かうにしても蛍は一旦荷物をまとめなければならないのだが、ここ雛沢(ひなさわ)家からのルート的にどうしても遠回りになってしまうのである。

 何より今は、二人揃ってずぶ濡れという、この状況が良くないのだ。

 

 それから短い話し合いの末、蛍の父伶哉(りょうや)は結論を言い渡す。

『ひとまず、二人はそのまま結華ちゃんの家に向かって下さい。荷物は月にまとめさせて、家まで私が送り届けましょう。車なら二人が着く頃に間に合う塩梅(あんばい)です』

「ごめんなさい、お父さん……」

 携帯端末のスピーカーはそのままに、蛍はその場でペコリと頭を下げる。

『この大切な時期にどうしても泊まりたいとお前が言うんだ、ただ事で無い事くらい私にも分かる。……必要なら私たちにも手伝わせなさい、そのための家族なのだから』

「お父さん……ありがとう……。あ! 月ちゃんも!」

 思い出したかのようにしんみりとした空気を破壊してしまう蛍。

 その声はいつものボリュームで、不意を突かれた伶哉は『うおっ』と小さく声を漏らした。

『……ちょっとお姉ちゃーん、私はオマケってことー? 今急いで荷物まとめてるんですけど』 

 と、短い沈黙の末に聞こえてきたのは、落ち着いてはいるものの、あどけなさが残る可愛らしい女子の声。ジト目姿が想像に難くないその声の主は、妹の安瀬山月である。

「ごめんほんとにありがと! 月ちゃんもありがと~! 助かるよ~!」

『うわぁっ、お姉ちゃん声大きいんだからもっと抑えてっていつも……』


 閑話休題。

 家族特有の他愛ない話に花が咲いたその後、二人は予定通り場所を移すことにした。



 伊坂実家に着くと家の前には既に一台のバンが停まっていて、見るなりバシャバシャと、眼前の水たまりを気にも留めず駆け出す蛍。

 今の彼女を一言で言い表すとするなら、【一七歳児、安瀬山蛍】といったところだろうか。

「もう! お姉ちゃんバカじゃないの!?」

 と、文句を言いつつも助手席のドアを開け、荷物の入ったリュックを蛍に手渡す制服姿の月。

 蛍の健康的な手がそれを掴むのを確認すると、すぐさまドアを閉じる。

 雨は未だ降り続いていて、その軽い衝撃で小さな雨粒がパラパラと宙を舞った。

 少々の間を置いて、雨が降り込まない程度に車の窓を開けたのは、先程から無言で運転席に腰掛けている中年男性……もとい、二人の父伶哉だ。

「いやー、月ちゃん達見えて嬉しかったから、つい……」

「犬か! あといい加減自分の体型を客観視して! もうお姉ちゃんすんごいんだから! あんなに揺らして、まったく……」

 事実こうして怒られ(ただし妹から)シュンとしているあたり、先程の表現はあながち間違いでもないだろう。その身体的特徴はさておき。

「えっと、それから――結華ちゃん」

 と、今度は遅れてやって来た彼女に声を掛ける月。

 突然の声に結華は少々動揺しつつも、「な……なに?」とどうにか声を出した。

「こんなお姉ちゃんですけど! 多分……今日は結華ちゃんの心配してくれてるだけだと思うんで、多少の事には目を(つむ)ってあげて下さいね」

「ちょっと月ちゃん!?」

「うん。……ふふ、分かってるから、大丈夫だよ」

 動揺する蛍の手を握り、結華は月に微笑(ほほえ)みかける。そんな彼女の姿に、月は「良かった。それじゃ、お願いしますね」とだけ続け一方的に車の窓を閉めてしまう。

 

 呼び止める蛍の声も虚しく、バンはそのまま元来た方向へと走り出し、赤いランプの軌跡を雨の中に描くのだった。 

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