第二章 書の庭へ 2-8
湊が閉じ込められた蔵の中で出会った少年・鳩弥。
その出会いがどこか騒がしく、どこか切なく、そしてときに笑いを誘うものになるとは、本人たちもまだ知らぬことでしょう。前節から続くドタバタ劇の結末や、いかに——。
やや落ち込み気味だった湊に、ちょっぴり光が差し込む、そんな一節になっていれば幸いです。
「袋のねずみ」は、小麦色に焼けた肌に、ぼさぼさの髪、泥にまみれた衣と、いかにもみすぼらしい恰好の男の子だった。だがその顔には、そんな身なりにそぐわぬ、生き生きとした表情があった。
??「あんちゃんも閉じ込められちゃったね。ざまーねーの!」
湊「あのな、お前。今の状況わかってんのか?名前は?」
??「おいらか?おいらは——」
その少年は鳩弥と名乗った。
鳩——人里に姿を現せば穀物を荒らし、フンをまき散らすことで疎まれることもある鳥。 けれど一方で、二十里先からでもまっすぐ帰ってくる、帰巣本能に優れた賢い鳥でもある。 その名に、なにか意味があるのだろうか?
もっともそこまで考察できるほど、湊は大人びてはいないが。
鳩弥「あんちゃんは?」
湊「泥棒に名乗る名前はねぇよ……それよりお前、父ちゃんと母ちゃんは?」
道休に尻を蹴られやや気が立ってはいたが、口調を少し和らげて湊は尋ねた。予感がどこか胸の奥でちくりと疼いたからだ。
鳩弥「おいら、捨てられちまったんだ!」
これまた朗らかな表情で、まるで自分がしくじったかのようにそう語った。
鳩弥「でも半分、おいらが家出したようなもんだけどな!」
湊「……そうか……それは気の毒だな……。」
ぽつりと湊は漏らした。盗人を閉じ込めたはずが、なぜだか手柄を得た気がしない。あろうことか、干し柿の罪までこの子に擦りつけようとしていた自分を思うと、気持ちは沈んでいくばかりだった。
湊「なぁ、お前。何か盗ったりはしてねぇよな……?」
気まずそうに俯きながら、そう問いかけた。
鳩弥「…………。」
気付くと鳩弥は湊ではなく別のものをじっと見つめて黙りこくっていた。その視線の先には蔵の梁に吊るされた干し柿があった。
「ぐうぅぅうう…」
その腹の音は、口で語る言葉よりも雄弁であった。
程なくして、蔵の外から人の声がした。
「こちらです、こちら。あの蔵です……」
ギィ……と、戸が開けられる。差し込む陽光に目を細める二人。西日がすでに傾き始めていた。湊は目を細めたまま、そっと鳩弥の手を引いた。そのまま、ゆっくりと戸口へと姿を現す。
そこに立っていたのは、静覚ともう二人の僧。そして、したり顔の道休であった。
静覚「あなたが、“ねずみ小僧”ですか。童とは聞いておりましたが、いやはや……まさかこんなに幼子だったとは。」
語りかける口調は柔らかい。しかしその眼差しには、油断ならぬ静けさが宿っていた。
鳩弥は、蔵のあちこちから食料をくすねるすばしっこい“鼠”として、境内で密かに知られていたのだという。
鳩弥「…………。」
さすがの鳩弥も、この状況では心細そうに湊の後ろに隠れた。
静覚「それにしても、あなたにしては大手柄ですね、道休。」
道休「いや〜、お褒めいただき光栄の極み!これもすべて、私の観察眼と知略の賜物でして!」
鼻高々に胸を張る道休。そして湊に目配せして、にやりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
湊「!…道休てめぇ、よくもお俺の尻を!」
唸るように睨みつける湊を、静覚が制する。
静覚「和光、口を慎みなさい。……あなたには泥棒の手引きをした容疑がかかっているのですよ!」
湊「……!へっ!?」
その反応は当然である。自分にも泥棒逮捕の手柄があるはずなのに、あろうことか泥棒の共犯者として疑われているのだから。
湊は訳も分からないまま、鳩弥と一緒にお付きの僧に両手を押さえられてしまう。
湊「はぁっ!? ちょ、ちょっと待て、——おい道休!」
道休「いやぁ。私もがっかりです!…まさかうちの僧に…こんな悪事を働くものが居るなんて!」
わざとらしく鼻をすするような素振りをみせつつ、そう嘆く道休。
湊「おい、話と違うだろ!だって俺は……!」
しかしこの状況、協力者であったはずの道休がこう証言しては、もはや湊の無実を証明できる者はいない。前科のある鳩弥にもそれは不可能である。
「なんだ、なんだ?」「何事だ?」
この騒ぎを聞きつけて、さらに数名が集まってきた。そこには源敬の姿もあった。
源敬「和光!何してるの?——これは一体!?」
湊「いや……ちが、俺は何も……!」
だが湊の声は、蔵の前に集まりはじめた人々のざわめきにかき消される。
道休「皆さん!お聞きください!なんとまさか、うちの小僧が泥棒と共犯して、あろうことか干し柿を盗み食いしたのです!」
ざわ……と空気がざわめいた。
干し柿――たかが、されど、である。
冬の寒さをしのぐため、秋のうちから丁寧に干しあげられた貴重な保存食。手癖の悪さより、その干し柿に手をつけたという事実の方が、場合によっては重く見られることもある。
湊「ま、待て、道休!おい!お前が俺を見張り役に閉じ込めたんだろ!?」
鳩弥「(あんちゃん…なんか、おかしな事に………。これ、どうすんだ?)」
鳩弥はなおも押し黙ったまま。湊の隣で、薄汚れた小さな手をぎゅっと握り締めている。その時だった。
静覚「ふむ、ねずみさんにはひとまずお縄についてもらうとして——」
静覚は落ち着いた口調で続けた。
静覚「あなたの申し開きを聞かねばなりません。落ち着いて話しなさい。和光」
湊「だから、俺は——」
声が詰まる。
言い訳は山ほどある。だが、結局のところ自分がサボっていなければ、こんな事態にはなっていなかった。干し柿を巡って、たとえ一言でも誤解を招くようなやりとりをしたことも確かだ。さっきまで強がっていたその少年も、今は不安そうにこちらを見上げていた。
そのとき、そっと肩に手が置かれる。
源敬「……落ち着いて、和光。何があったかをきちんと話すんだ。君ならできる。」
湊「……源敬…。」
小さく息を吸い、湊はこくりと頷いた。
静覚の正面に向き直り、張り詰めた空気の中、ぽつりぽつりと口を開く――
湊は、自身の言い分を正直に打ち明けた。
静覚「ふむ。話が食い違っておりますな、道休。あなたも干し柿を食したと、彼は申しておりますが?」
道休「とんだ戯言にございます。そんな与太話、耳を貸すまでもありませんぞ。」
湊「ぐぬぬ……(あのやろ……後でぜってぇ覚えとけよ)」
また震え出した肩を、理性で抑え込んだ。源敬も手をそっと差し伸べている。
静覚「いずれにせよ。和光、残念ですがあなたには何らかの罰を与えねばなりませぬな。」
道休「でしたら、ぜひ私にお任せを。ちょうど明後日の住吉詣に、小姓が一人足らなかったところでしてな………」
その二人のやり取りのさなか、源敬がふと湊の方を向いた。
源敬「和光、君が干し柿を食べたことは間違いないんだね?」
湊「……そうだよ」
源敬「…それじゃ、やっぱり変だ。」
その一言に、場の空気がぴんと張った。
道休「変?何がだね、源敬君?」
源敬「道休さん。和光の話から推察すると、あなたはつまり、この子たちが蔵に入ったのを確認してから閉じ込めた、ということですね。」
道休「おぅ、そうさ。蔵の見張りをしていたら、妙にこそこそしている小僧がいて、そこのチビを招き入れてたんだ。泥棒の何らかの証拠だけ残して、自分も干し柿にありつこうとしたんだろう。悪知恵の働くガキんちょだぜ、まったく。」
源敬「そう。そして、同時にあなたはその二人が“干し柿を食べた”とも証言している。これは和光も認めていますから十中八九”真実“であると考えられます。」
湊「……だから何だよ?」
静覚「ふむ、なるほど。そういうことですか。」
その時、源敬と静覚は無言で道休を見やった。
道休「え、何?」
そこに、意外な人物がズバリと真相をつく。
鳩弥「あ!そういやこのおっちゃん!戻ってきたとき、おいらたちが干し柿を食ったって言ってたぞ!蔵の中は見てないのに!」
そしてほんの少し間を置いて、
源敬「そ、そう!つまり道休さん、あなたは閉じ込めた後の蔵内の真実を、見てもいないのに言い当てていた、とうことです!」
道休「っ!しまった!!……………………っは!」
道休「ああああっ!!しくじったああああ!!」
道休は頭を抱え、蔵の前で大絶叫した。
静覚「はっはっはっはっはっはっ!これは小童たちに、まんまとしてやられましたな、道休!」
静覚は腹をかかえて笑い、肩を揺らしている。
源敬「あはははっ、君、なかなかやるじゃないか!」
鳩弥「へ…へへ」
湊「そうか……そういうことか!たしかに変だと思ったんだよ!ざまーみろ、道休!あっはっはっは!」
さっきまで張り詰めていた空気は、鳩弥の一言で一気に和らいだ。笑い声が広がり、場がひとしきり賑やかになる。その後、静覚が鳩弥の前に立ち、やわらかく膝を折った。
静覚「いやぁ、君にはたっぷり笑わせてもらいました。ですがそれはそれとして、取り調べはきちんと受けてもらいますからね。」
鳩弥「あ……は、はぃ。」
そこへ、蔵の中を調べていた僧のひとりが戻ってくる。
僧「静覚さま。干し柿ですが、どうやら先日、津田家から納められた贈答品だったようで……。帳簿に記される前のものでした。」
静覚「そうでしたか。ですが二人の証言では食べた柿の数は一致しているので、そこは間違いないかと。そうですよね?和光?」
湊「あっ………………あの、静覚、さま」
湊は道休の嘘がばれて一瞬上機嫌になったかと思えば、また罰が悪そうな重い口調にもどっていた。
源敬「……和光?」
湊「…三個、です、全部で。……俺、二個、食べちゃいました……」
静覚はわずかに目を見開くと、そっと鳩弥の方へ視線を移した。彼はおろおろと目を泳がせ、口元のあたりには白く細かな粉がかすかに光っていた。
静覚「……なるほど。あなたを信じましょう。ただしその罰はきちんと受けてもらいますね。」
湊「………はい…」
項垂れる湊を、鳩弥はじっと見つめ続けた。
そんな二人の様子を見て、静覚と源敬は目を合わせ、どちらからともなく微笑んだ。
その後、湊と鳩弥は二人そろって、お説教部屋へと連行された。
ふと振り返ると、道休もまた静覚にがみがみと叱られ、ぺこぺこと頭を下げている。
湊「(へっ、いい気味だぜ、生臭坊主!)」
小声でそうつぶやき、湊は再び前を向いた。
鳩弥「あ、あんがとな、あんちゃん。……おいら……」
湊「別に。俺が食ったんだからさ。お前は何も気にすんな。」
鳩弥「……う、うん。でもさ」
湊「ん?」
鳩弥はちらりと後ろを振り返り、静覚と道休の様子を見て、ぽつりとこぼした。
鳩弥「なんで、あのおっちゃん、あんなウソついたんだろ?」
湊「さあな。俺をからかいたかっただけじゃねぇの?」
そう言ってはみたものの、湊の胸にも釈然としない思いが残っていた。
あの嘘に、果たして意味はあったのか。作戦はすでに成功していた。あとは鳩弥ひとりに罪を被せて終わるはずだった。それなのに、どうして。気まぐれか、それとも——
その答えは出ぬまま、湊は空を見上げた。
湊「……それにしても今日は、色々あったなぁ」
西の空は赤く染まり、寺の屋根の向こうに静かに日が沈んでいった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
第2章・第8節では、鳩弥というキャラクターの登場に加え、道休というクセ者の存在感がじわじわと増してきました。
次節ではガラッと場面が変わり、物語の世界がより深まることでしょう。明かされる“道休の嘘”の理由、そして新たなキャラクターの登場にもご期待ください。
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