7
翌日は休校になった。
「屋上で話し声を聞いたって人はね」
香織がストローを咥えながら言う。
「奈緒子が誰かに『やめて』とか『離して』って、言っているのを聞いたんだって」
ビルの立ち並ぶ大通り。
三車線もある広い道路が、大量に車を運んでいる。
喧騒とは反対側に道を二、三入る。
裏路地。
『白蛇霊祓事務所』の文字がある。
雑居ビルで、看板を掲げるのはうちだけ。
他の階はすべて空欄だ。
「相手の声は聞いてないってこと?」
窓際にある机に行儀悪く腰掛けて、二人はダベる。
「もしかしたら独り言だったのかも」
香織はおもむろに取り出した携帯電話の画面を、例の飛び降り現場の写真に切り替えた。
「見て。この髪の毛」
「貰ってきたの? 画像」
怪訝な顔をしても香織は携帯端末を引っ込めず、私に見せつけた。
フェンスがそれなりにアップで写っている。
望遠で撮ったことが、周囲とのピントの合わなさからわかった。
緑色の金網。
そこに、髪が絡まっている。
「絡まってる、というより、巻き付いてる?」
「そうなの」
それはさながら、夏休みの宿題で育てた朝顔の蔓のようだった。
支柱にしがみつくように成長した蔓のように、髪はひし形の連続した網をしっかり掴んでいるように見えた。
「まるで落っこちるのを拒否してるみたい」
そのとき、携帯電話が鳴った。
相手は父だった。
「わりい、茜。杉田のばあさんが」
「?」
***
父としたことが、鈴守りの追加注文を受けて発送までしたものの、入金確認を怠っていたらしい。
代金は振り込まれておらず、電話をかけても出ないので、住所はすぐ近くだから、様子を見てきてほしいとのことだった。
古い民家。
塀と狭い庭を通り過ぎて玄関へ。
インターホンを押すも、中から応答は無かった。
「ねえ、あれそうじゃない?」
「ちょっと」
香織が縁側から中を覗いていて、指した先には、ソファーがあった。
背もたれがこちらを向いていて、その上に人の頭が見切れている。
白髪まじりの頭頂部だった。
「寝ちゃってるのかな、あ、開いてる」
「……」
とても嫌な予感がした。
縁側の窓は鍵が開いていて、香織はずけずけと押し入った。
「お邪魔しまーす」
「杉田さん」
反応してくれ、と祈りながら声をかけた。
室内は水を打ったように静かだった。
ソファに近づくと、老婆がソファの背もたれに頭の重さを預けているのがわかった。
天井を見上げる形である。
その口が大きく開いているのも見えた。
さらに近づくと、目も、見開いていることがわかった。
「きゃああああああ」
香織は悲鳴をあげた。
「救急車」
私は三桁の番号を押した。
聞かれたことに答えながら、視覚だけは現場を必死に観察していた。
明かりはついていない。
ソファの前には低いテーブルがあって、白い皿とティーポット、ティーカップが置かれている。
小さな桐の箱は、茶葉だろうか。
皿には、きな粉がのっていた。
天井を見上げる老婆の口の奥には、何かが詰まっていた。
餅か。
きな粉まみれの塊が老婆の狭い口腔を完全に塞いでいた。
しかし。
それよりも奇妙だったのは、髪だ。
老婆の白髪混じりの髪の毛が、四方から口の中に入り込んでいた。
餅と思しき白い塊にも、びっしりと絡みついている。
頬、顎の下から伸びた髪が、口の中に這って潜り込んでいるようだった。
父に伝えると「面倒なことになった」と言った。