表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

6

「おお、これは良い」

 夕飯時、父は起きてきて、鶴と名乗る老婆が置いていった荷物を開けて喜んでいた。

「何それ?」

「反物だよ」

 見ると、桐の箱に入ったそれは、綺麗な和柄の生地だった。

「美しい、見事に真っ白だ。いててて」

 父は脇腹を押さえてダイニングに腰掛ける。

「でも今は、食い物の方がありがたかったな」

「鶴さんって誰なの?」

「名乗ったのか? 先生が」

 私は冷凍食品のパスタを電子レンジにかけた。

「先生?」

「歳を取ったんだな、先生も」

 父は嬉しそうでもあり、物憂げでもある表情を浮かべた。

「ああ、強いていうなら、金儲けの先生かな」

「詐欺の先生ってこと?」

「人聞きが悪いぞ」

「ホンモノの仕事のお礼だって」

「そこまで喋ったのか」

 試しに続きの言葉を待ってみたが、父はそれ以上何も言わなかった。

「ねえ、昔さ」

 電子レンジの表示を見ながら私は話題を変えた。

 秒数がカウントダウンしている。

「蛇の夢を見たら、人に話すなって言ってたよね?」

「ん? ああ」

 父はちらりとこちらを見て頷いた。

「蛇の夢は他人(ひと)に感染るからな。それがどうした?」

「それって、なんていうか、今でも有効なの?」

「有効って?」

「子供騙しじゃなくて、今でも気をつけていた方がいいかってこと」

 父は鼻で笑った。

「んー、まあ、そうだな。帰ってきたら手を洗え、くらいのことだ」

「よくわからないけど。他人に感染るってどういうこと?」

「蛇は(じゃ)、ヨコシマなもの。恐怖、不安、人がもともと持っている負を刺激する。だから感染る、ように見える。厳密には煽って回る。要らぬ心配をな。初めは夢。単なる夢。脳内のバーチャルな映像。だが夢を見たという現象が残る。人のメモリに記録として残る。質量のない情報だ。現実には何の影響もないはず。しかし、数人が見るとどうだ? 蛇の夢の話を聞いたという人が、同じように蛇の夢を見る。すると、大勢の人が同じ夢を見た、という現象が残る。情報に色がつく。実態を帯びてくる。現実になって押し寄せてくるような錯覚をする。それがまた不安や恐怖を煽る。大きな流れをつくる。そしてどこかのタイミングで、情報が質量をもち始める。質量をもつものを、情報が操るようになるんだ。すると思いもよらなかったところで、誰かが実害を被ーー」

 電子音が鳴る。

 カウントダウンがゼロになる。

 用意していたフォークがふいにキッチンの床に落ちて音を立てた。

 私は拾い上げて、水でゆすいだ。

「できたよ」

「聞いてたか?」

「同時に蛇の夢を見た人がいたら?」

「ん?」

「同時に見たら、それは感染ったとはいえないでしょう?」

 父は天井を見る。

 少し考えて、口をひらく。

「動物園に遠足で行けば、複数の子どもがライオンの夢を見るだろう」

 私はダイニングテーブルに大皿を二つ運んだ。

「話だけが刺激じゃない。同じようなものを見たんだ、きっと」

 そう言って父がテレビをつける。

 ワイドショーでは、女子中学生の自殺について、にわかに報道されていた。

「どれだけの人にどれだけの影響があるか、ちょっと人間のオツムには難しすぎて、想像できないな」

「ウェルテル効果……」

「難しい言葉を知っているじゃないか。そういう方面のことにばかり興味を向けるなよ」

「そういうわけじゃ」

「知ってるか。『若きウェルテルの悩み』の著したゲーテだが、多くの読者がその小説を模して自殺したのに反して、本人は自身の失恋の傷を、表現し拡散することで癒すことができた」

 フォークを渡すや否や、父は巻かずに麺を口へ運んだ。

「話半分。この世で一番大事なことだ」

「一番はお金じゃないの?」

 父は笑った。

「前言撤回。一番大事なのは、笑うことだ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ