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5

 視線。


 アパートの敷地の外だ。

 建物の隣を流れる川のその先。

 小さな橋を渡った向こう岸にある歩道に、女は立っていた。


 じっとこちらを見ている。

 大人の女性だ。

 髪が長い。

 赤い服を着ている。

 ーーこちらに手を振っている。


「あのぉ」


 突然耳元で老婆の声がした。

 私は飛び跳ねるほど驚いた。


「こちらに、仁宗(じんそう)さんはいらっしゃいますか?」

 閉めようとしていたドアのすぐ裏に、小柄な老婆が、いつの間にか立っていたようだ。

「いえ、あの」

 耳元で声がしたように感じたのは錯覚で、想定外に近くで人の声がしたので、そう思ったらしい。

「えっと、失礼ですが、どちら様ですか?」

 仁宗というのは、父の名前だった。

「先ほどご一緒した(つる)です」

 先ほど……。

 ホンモノの仕事のことか?

「鶴さん?」

 聞いたことのない名前だ。

「あの、すみません、父は今……」

「あなたが娘さんね、可愛らしい」

「え? ああ、どうも」

「いいの。これを、仁宗さんに渡して」

 老婆は、大きな風呂敷包みを私に差し出した。

 受け取ると、かなりの重量だった。

 歳のわりに力持ち?

 いや、それにしたって重すぎる。

 風呂敷は何か平べったい箱を包んでいるようだった。

「ほんの気持ちだけお礼です。それじゃあ」

 そう言って踵を返し去っていく。

「あ、あの!」

 老婆は振り向く。

 美しい着物の帯が目に留まった。

 鶴が舞っている。

 河を飛び越えて。

「さっき父と一緒だったって、その、ホンモノの仕事、ですか?」

老婆は一瞬驚いた顔をしたが、すぐ笑顔になって、

「ふふ、あまり調子に乗って喋るなって、子供達に言われてるの」

「父は何をしているんですか?」

 老婆は目を細めるだけだった。

「大丈夫。皆があなたのことを想っているわ」

 そう言って老婆は去った。

 下駄の小気味いい足音が、外階段を軽快に降りていく。


 ふと我に帰り、川の向こうの赤い女を探す。

 しかし、女は姿を消していた。


 「待って!」


 老婆を追いかけて階段を降りる。

 エントランスを通り抜けて、建物の前の道路に出た。

 しかし、道の左右どちらを見ても、すでに老婆の姿はなかった。


 冷たい風が吹いても、しばらくその場から動くことができなかった。

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