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一頻り、血の掃除を終えた。
私はどっと疲れてしまって、父が眠っているのを確認して、自分も自室のベッドに寝そべった。
掃除の間も、香織からのメッセージはしばらく続いた。
和田奈緒子。
一年ほど前、いじめが原因で不登校になり、家からもほとんど出られない、いわゆる引きこもりの状態となっていた。
友人である香織はたびたび本人と連絡をとっていたのを知っている。
聞けば、精神科に通院していたが、鬱病やPTSD、社交不安障害、双極性障害などと診断名が転々としていて、治療がうまくいかず、なかなか良くならなかったらしい。
私は、奈緒子が自殺したのは、てっきり自宅でのことだと思っていた。
香織から聞いて驚いたのだが、飛び降りたのは学校の屋上からだという。
それも、今日。
皆が朝のホームルームを受けているあいだに。
『誰かが望遠で撮った写真が回ってて、ちょっとだけ見ちゃった』
うちの校舎は南棟と北棟の二つがあって、渡り廊下で繋がっている。
教室は北棟に集まっていて、南向きに窓があり、中庭と南棟を眺めることができる。
奈緒子が飛び降りたのは南棟からで、中庭とは反対側で見つかった。
アスファルトに頭を打って、即死だったという。
『屋上のフェンスにね、髪の毛がいっぱい、絡まってたの』
『どういうこと?』
『髪の毛が、ほんとにいっぱい、根本から抜けてフェンスに絡まってたの。頭の皮膚までくっついてたのもあった』
『え』
『不思議でしょ。よくわからないの。わざわざ、自分の髪を大量に引っこ抜いて、フェンスに結んでから、飛び降りたのかな。でも、そんなことできる?』
『いや、できないと思うけど』
『誰かと喋ってる声を聞いたって人もいて』
『他にも、人がいたってこと?』
『そう。屋上に、一人じゃなかったかもしれない』
『余計、恐いよ』
『殺人だとしたら、やばいよね』
『うん』
『でも、一番びっくりしたのは』
『何?』
『笑ってたの、奈緒子』
笑顔。
アスファルトの上に仰向けで寝そべり、潰れた頭から血を流している。
生気を失った白い肌。
乱れた髪の隙間から、輝きのない瞳がのぞく。
もう動かない少女が。
ーー歯を剥き出しにして笑っている。
『想像しちゃったよ』
『写真は見ない方がいいよ』
『誰が写真なんて回すの。不謹慎』
『ね』
『そういえば、蛇の夢の話は?』
『ああ。そう、昨日、奈緒子と久しぶりに電話してね?』
『うん』
香織からの次の文がなかなかこない。
『あれ』
『どうした?』
『んー、忘れちゃった。色々聞いた気がするんだけど』
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
重たい体を持ち上げて玄関へ出向く。
「ラビット運輸でーす」
配送業者の集荷だった。
先ほど呼んでいたものだ。
玄関のドアを開ける。
このとき、つい癖で覗き穴を一瞬窺ってしまう。
作業着を着た男の人が、手持ち無沙汰そうに汚れた天井を見上げていた。
「お預かりしまーす」
業者に小包を渡した。
複写になっている手書きの送り状を貼り付けている。
「ワレモノ」のシールもうちにストックがあって、貼り付け済みだ。
中身は私たちが「鈴守り」と呼んでいる、焼き物の鈴である。
私が手作りしたもので、とぐろを巻いた蛇の形をしている。
よく神社や観光地の民芸品を扱う店で売っているような、動物をデフォルメしたデザインのものだ。
家庭内手工業。
土をこねて、造形し、中身をくり抜いて、その中に小さな、新聞紙に包んだ土の玉を入れる。それらを焼くと、紙は灰になり、陶器の中で固まった玉が転がり、意外にも綺麗な音が鳴る。
父はこれを私から一つ三千円で買う。
私は材料費と労力を払う。
父なりに、私に経済活動の勉強を私にさせようという意図があるらしい。
何ら霊的な効力はない。
中学生が作ったガラクタを、客にはひとつ3万円で売っていることになる。
良心的だろう、父は笑っていた。
お小遣い稼ぎにはなるので、私にとってはありがたかった。
ご祈祷の真似事でも、父から一万円の給金がある。
でも、こちらは好きな仕事ではないので、気分的には収支マイナスだ。
集荷の人が去ったので、ドアを閉めようとした。
そのとき。
遠くから女がこちらをじっと見ていることに気がついた。