プロローグ
人は、常に戦闘している。
人は、常に見えない敵を呼び起こしている。
人は、常に安全を確認している。
扉の向こうに誰もいないことを確認できた一瞬だけ、安心して眠りにつくことができる。
***
「我々は、こう定義します」
壇上の胡散臭い男は嗄れ声で言った。
「霊とは。
理不尽であること。
逃げられないこと。
不可解であること。
そして、祓えること」
黄土色のツイード生地、紳士風のスーツ姿。
「白蛇霊祓事務所では、この四要件に一つでも該当しない存在は、我々が対処すべき『霊』ではないとし、いかなるご依頼もお断りしております」
口髭が輪郭を隠し、ただぽっかりと空いた穴から息と声が漏れている。
「裏を返せば、今までお引き受けした事案は解決実績100%、ということです」
セミナー室に集められた生徒兼依頼希望者は、息を呑んだ。
「これからお一人ずつ別室で、ご相談内容をお伺いさせていただきます。その委細によって、我々が対処すべき『霊』なのか、はたまたそうではないのか、判断させていただきます」
聴衆は前のめりで、今にも椅子から立ち上がりそうになるのを必死で我慢している。
「その際、成功報酬のお話もさせていただきますが、皆様、ご事情あってのことですから、ご苦労痛み入りまして、今回限り、めいっぱい奉仕させていただきました。大特価、用意しております。後ほど、お楽しみに」
にわかに歓声が上がった。
***
こうして人から騙し取った金で、飯を食って、生きている。
食わせてもらっている身からして、文句を言える筋合いじゃない。
父は、依頼人が心底ハッピーになって帰ってゆくのだから、それでいいじゃないか、と言う。
そういうファンタジーを売って、買い手がついたから金をもらっている、ただそれだけのこと。
人生の何らかの問題を、霊のせいにしたい人。
話し相手がただ欲しいだけで、霊なんてどうでもいい人。
そういう人が求めるものを提示しているだけ。
「それでは、商談成立ということで」
父が、金額の書かれた書類に依頼人から判をもらったところで立ち上がった。
「ご依頼、承ります」
そう言って振り返る。
「悲巫女さま、お願い致します」
父は、私の前に跪き、頭を下げた。
私は、父の言葉で目を覚ましたように、頭を上げる。
眼前に垂れる黒いベールを、おもむろにたくし上げる。
たった今、契約書にサインをした依頼主が、ソファから腰を浮かして、私の顔を覗き込んでいる。
目が合う。
「ああ……悲巫女さま……!」
恍惚とした表情。
「なんとお美しい……」
「お祓いください」
父とのままごと。
拙い寸劇。
幼い頃には、楽しくて仕方がなかったことだ。
同じことをしているはずなのに。
今は。
「首を垂れなさい」
十五匹の蛇の抜け殻を束ねた祓串。
昨日、一匹足したばかりだ。
十八になったら、何をしよう。
私はどう生きればいいのだろう。