○ 6.大嫌いな人
「ユルバン!」
ジュストが大きな音を立てて戸を開けると、従兄が椅子に座っていた。ドアベルがけたたましく鳴る。
「……まだ開店前なんだがなあ」
苦笑しているが、鍵は開いていた。従兄は自分が来ることを予想していたのだ。
「何の用だ?」
……わかっているくせに、どうして尋ねる。
「あの孤児を雇ったと聞いた。本当か?」
エプラには六年程前から孤児が住み着いている。町民はよそ者を嫌う傾向が強く、その孤児も町の外から来たので嫌われていた。従兄は、その最たるものであったはずだ。ジュストも町長という立場にありながら、外の人間には嫌悪感がある。
なのに、一体どうして。
___ユルバンが自分の店で孤児を雇い始めた。
噂を聞きつけ、ジュストは急いで従兄が営む青果店へやって来た。
「本当だよ」
従兄は静かに首肯する。
「どういう風の吹き回しだ。ずっと嫌っていただろう」
ジュストが尋ねると、従兄は穏やかな笑みを浮かべた。
なんだ、その、
__自分だけわかったような表情は。
ジュストは心の奥に、昔抱いていた感情が二十年ぶりに思い起こされているのを感じた。
**
ジュストは生まれたときから従兄のユルバンが大嫌いだった。
世には年下が可愛がられるという謎の法則があるらしい。だが、祖父に可愛がられるのはいつもユルバンだった。
思い違いでなければ、父もジュストよりユルバンを構っていた。
「ユルバンには両親がいないから、おじいちゃんがユルバンの親代わりなんだ」
父にはそう諭されたが、簡単に納得できるものではない。自分だって、可愛がられたかった。
「なんでお前ばかりじいちゃんや父さんに可愛がられるんだ!」
ユルバンに直接文句を言ったこともある。彼はいつも、悲しそうに微笑むだけだ。
その自分だけわかっているような顔が、ジュストを余計惨めにさせた。
ユルバンが二十歳、ジュストが十八歳のとき、祖父が亡くなった。最期、大嫌いな従兄の名を呼びながら抱きしめていた。ジュストのことは、名を呼んだだけであったのに。
こんなときまで、ユルバンばかり。ジュストは唇を噛んだ。
「ユルバン」
ジュストが呼びかけると、祖父の身体に覆い被さっていたユルバンがゆっくりと振り向いた。泣いてはいなかった。
「お前、悲しくないのか」
尋ねると、悲しい、と小さく返ってきた。
ならばなぜ泣かない。
身内が死んだら、泣くものではないのか。自分の頬には涙が伝っている。自分よりも可愛がられていたお前が、なぜ泣かない。
「泣けねえよ」
その声は、何かを我慢しているみたいで。
ジュストの方が余計に泣きたくなった。
「ユルバン、お前は兄さんと義姉さんが死んだ理由を知りたがっていたな」
父が徐に口を開いた。
そういえば、ユルバンが祖父や父に「どうして父さんと母さんは死んだの」と尋ねるのを見かけたことがある。祖父は「二度と訊くな」と吐き捨て、父は「すまん」と言って逃げていた。このときばかりはユルバンに対し、ザマァ見やがれと思ったものである。
「ああ、誰も教えちゃあくんなかったからな」
「教えてやる」
父が始めた話を聞いて、ジュストは吐きそうになった。ユルバンは唇を噛み締めて、静かに涙を流していた。ユルバンが泣いているところを初めて見た。
誰も、ユルバンを構うはずだ。酷いやり方で両親を殺された少年を、可哀想がっていたのだ。
祖父に口止めされていたのだと説明した父は、ジュストを連れてその場を去った。
直後、ユルバンの泣き叫ぶ声が辺りに響いた。長い長い、獣の咆哮のような、哀しい声だった。
「父さん」
横を歩く父の背中に呼びかけると、父は何も言うなと言わんばかりにジュストの頭を撫でた。
父に頭を撫でられるのは自分だけだったと、今更ながらに思い出す。
「……可哀想だからではないぞ」
父が溢した言葉を理解したのは、数日後ユルバンと話したときだ。
「どうしてじいちゃんはお前ばかりに構っていたんだ」
子供の頃にぶつけた問いを、もう一度ぶつけてみた。
ユルバンはまた、悲しげに笑った。
「そりゃ、じいちゃんは俺の親代わりだったからじゃねえかな。じいちゃんと俺は父と子で、じいちゃんとジュストは祖父と孫だったからじゃねえの」
それは、ジュストの胸にストンと入ってきた。
自分の子供への態度と孫への態度。違うのは当然じゃないか。
父に関してもそうだ。自分は子供で、ユルバンは甥で。
自分への接し方とユルバンへのそれが違うから、それがジュストには特別に見えた。
それだけだった。
ユルバンが可哀想だからではない。
そもそも、“可哀想”とは一体何なのだろう。それについての答えは、二十年経った今でもわからない。
「……ごめん」
「何がだ?」
ユルバンを嫌いだという感情は、もう小さくなっていた。
小さくなったはずだった。
**
「俺はルークを雇うことにした。それだけだ」
孤児の名はルークというのか。
いや、そんなことはどうだっていい。
「だからっ、なんで急に……っ!」
あれだけ孤児を嫌っていたはずのユルバンが、なぜ雇うことにしたのだ。
ジュストが気になるのはその一点。
だが、ユルバンは穏やかな笑みを浮かべるだけ。
その顔を見ると“嫌い”という感情を思い出す。
どうして、何も話してくれない。話してくれないことが歯痒い。いつも自分ばかりがわかったような顔をして。
__ああ、そうか。自分がなぜここまでユルバンを嫌うのか、ジュストは今更ながらに理解した。
祖父に自分よりも可愛がられていたからだけではない。
ユルバンは何も話してくれないから。
自分は何も知らないから。
だから、嫌になる。
これまでも、今回も。
話してほしい。
一人で納得しないで。一人で抱えないで。
独りで泣かないで。
ジュストは、彼は、
からん……。
ジュストの後ろで、静かにドアベルが音を立てた。
「よぉ、ルーク」
ユルバンが体を傾ける。ジュストもゆっくりと振り向いた。
戸口には、鮮やかな金色の髪と瞳を持った美しい少年がいた。
「えっと……こんにちは?」
ユルバンとジュストを交互に見て、こてんと首を傾げている。その喉からは声変わり前の少年特有の、高くて可愛らしい声が紡ぎ出される。
「ルーク。上で準備して、ちょっと待ってろ」
「わかった」
少年が横を通り過ぎ、奥の階段を登っていく。
その金色が、眩しい。ジュストは目を細めた。
「……まさか、彼が?」
思わず溢れた言葉に、ユルバンがゆるりと頷く。
信じられない。
あの孤児は、もっと汚れていた。もっと痩せこけていた。孤児の瞳はいつも虚ろで、少し仄暗さを纏っていた。
『こんにちは?』
__人を、あんな純粋な瞳で見る子ではなかった。
「ああ、あいつがルークだ」
「……………………見違えたな」
言えるのはそれだけだ。
ジュストはユルバンの顔を見つめ、ユルバンは目線を少し下げ、何も言わなかった。
「ユルバンおじさん、まだー?」
階上から、少年の声が聞こえてくる。
「もうちょいだ!」
「わかったー」
「………“ユルバンおじさん”……!?」
従兄が想定外の呼ばれ方をしていた。
「お前のことだから、“店主”とでも呼ばせているのかと思っていた」
言葉遣いがぞんざいに見えて、実は割と線引きをしっかりとしているユルバンである。
「いや、就業時間中はそうなんだがな。俺が親戚とかの子供から“おじさん”って呼ばれるのに憧れてたんだよ」
ジュストの子供達はユルバンに懐いているが、“ユルバン”と名前で呼んでいたように思う。町の子供らも、よくて“ユルバンさん”、悪ガキだと“おっちゃん”“オヤジ”などと呼ばれている。
それらを笑って受け入れていたが、そうか。“おじさん”呼びに憧れていたのか。
……初耳である。
成人して二十年、生まれた時からなら四十年前後一緒にいるのに、全く知らなかった。
ジュストは小さく溜息を吐く。……これだから、
ユルバンは何も話してくれない。
ジュストは彼について多くのことを知らない。従兄弟なのに。
そんなところが嫌いだ。
もっと話してほしい。
頼ってほしい。
ジュストは、自分が思うよりもずっとユルバンが嫌いで、それ以上に、
_____愛している。