○ 5. 青果店の店主
○ → 他者視点
「よそ者には関わるな」
「よそ者を受け入れちゃなんねえ」
祖父の口癖だった。
ユルバンの両親は、彼が赤ん坊の頃に亡くなった。
何故死んだのか、祖父は尋ねても教えてくれなかった。二度と訊くな、と吐き捨てられた。
訊くな、言われてもっと気になったのだが、祖父の迫力に負け、ユルバンは聞けずじまいだった。
ようやく聞けたのは二十となって成人を迎えてからだ。
祖父が死んだ直後だった。それも、祖父からではない。
教えてくれたのは、父の弟、つまりはユルバンの叔父にあたる男だった。
話は、凄絶だった。
ある日、エプラに三、四人の旅人が訪れた。なんでも、途中で大狼に襲われ、なんとか生き延びたものの水や食糧が尽き、ようやく辿り着いたのがエプラだったそうだ。ユルバンの両親はとても優しく、彼らを暖かく迎え入れた。
だが旅人たちは、恩を仇で返したのだ。
ある日、父は母が見当たらないことに気づいた。町中を探して、ようやく見つけたとき、
旅人たちが、嫌がる母を茂みの中で無理矢理犯していた。
母は涙で顔を濡らし、掠れた声で父の名を呼んでいたらしい。
しばらく呆然としていた父であったが、愛する女を犯されている場面を見て、頭に血が上った。
旅人の一人を殺した。幸か不幸か、ちょうど斧を持っており、それで切り掛かったそうだ。
父が旅人たちと攻防を繰り返している間に母は逃げ出した。
母の姿を見て、祖父は何かを察したらしい。すぐに案内しろと言って、町中の男たちを引き連れて行った。
着いたときには父は生き絶え、下半身を丸出しにした男の死体と共にあった。他の旅人たちは逃げ出していた。旅人というものは、元々戦いに慣れている者の方が多い。返り討ちにされていた。
父の亡骸を見て、母は泣き崩れた。
私が襲われてしまったから。私が逃げたから。声にもならない声で、ずっと叫んでいたらしい。
祖父はすぐにエプラのあるスラン子爵領の領主に連絡を取った。町長でもあった祖父は、自身の息子の死に悲しむよりも、狼藉を働いた旅人たちを捕えることを優先した。
領主のスラン子爵は旅人たちの捜索に尽力し、とうとう捕まえることができた。平民の命を軽んじる貴族が多いなか、二度とこのようなことがないよう領地の警備を強化すると約束してくれた。
だが、犯人が捕まる前に母は自殺した。事件の翌日だった。
『ユルバンを残していくことを赦して』
幼い息子を遺して死ぬよりも、愛する夫を殺されたにも関わらず自分は生きているということの方が母には堪えたらしい。
子爵との約束を取り付けて家に帰ってきた祖父は、息子の嫁が首を吊っているのを発見した。
家には、赤ん坊の泣き声がけたたましく響いていた。
そのときからだったらしい。祖父が「よそ者を町にいれるな」と言い出したのは。
ずっとユルバンには言うなと言われていたという。誰から。祖父から。
「でもお前は、ずっと知りたがっていただろう」
話を聴くうちに、ユルバンは涙を流していた。
叔父は何も言わず、ユルバンの肩をぽんと叩いてひとりにしてくれた。
____誰も、言いたがらないだろう。そんな最期なんか。叔父だって、声が震えていた。
う、あ、と口から漏れ出る声を必死に抑えようとした。
『男が泣くんじゃない。声を上げるなんてもってのほかだ』
祖父はユルバンが泣く度にそう言っていた。
でも、
今日ぐらいはいいんじゃないか。
親代わりの祖父が死んだ。両親の死の真相を知った。母は生まれたばかりの自分を遺して逝った。
「う、ああああああああ__________!」
大声で泣き叫んだ。
きっと町中に響いた。だが、苦情を言ってきた者は誰一人としていなかった。
**
それから十数年経った。
町民は皆、よそから来たものに対して頑なだった。ユルバンもその一人、いやむしろ代表者かもしれない。
ある日、子供が母親に捨てられていた。
まったく泣かない、とても不気味な男の子だった。
誰もその子供に、手を差し伸べようとしなかった。
そいつは草を摘んだり町民から奪ったりして食べ物を得ていた。
ユルバンが継いだ、祖父が町長を叔父に譲って始めた青果店で働かせてくれと頼んできたこともあったが、ユルバンはそれを追い払った。
「お前のようなガキ、置いてやってるだけ感謝してほしいもんなんだがな」
お前のような、人のものを奪うよそ者のガキ。ユルバンが最も嫌う人種のうちの一つだ。
言った直後、胸が軋んだのは気のせいだ。
さらにその数年後、とてつもない美人がエプラに居を構え始めた。
「エルといいます。よろしくお願いします」
姿勢を正して町民一人一人に挨拶をする姿は、美しかった。
よそ者のはずなのに、彼女のことは皆受け入れた。ユルバンもだった。
来てすぐに手芸店の出品者として働き始めた。
あの旅人たちのように悪さをしない。あの子供のように奪わない。それが彼女の姿勢からわかるからだろうか。
そんな彼女が、ある日ユルバンの営む青果店に一人の子供を連れてきた。子供はエルの後ろに隠れていたが、金色の髪がちらりと見えた。
「エルの嬢ちゃんか、どうしたんだ開店前に」
朝早くから店の前で騒いでいる奴がいるなと思って出てきてみれば、エルだった。
「少し、頼みたいことがありまして」
「なんだ、言ってみろ」
エルに背中を押され、子供がユルバンの前に出てくる。緊張していたようだったが、耳元でエルが何かを囁くと体の力が少し抜けていた。
「この子を、雇ってくださいませんか」
ユルバンはその子供を見つめた。エルと同様、とても美しい顔をしていた。こんなガキ、エプラにいたか。
「……誰だ、このガキ」
子供の体が強張った。自分が割と強面なのは自覚していたので、セリフと顔面の圧が我ながら強いのだろうなと思った。
「ルークです。……以前あなたたちが嫌っていた、孤児の少年です」
加えられた説明に、ユルバンはひゅっと息を呑んだ。
「こいつがか!?」
そんなはずはない。あいつはもっと汚れていた。ぼろぼろのゴミみたいな服を着ていた。こんな顔色はよくなかった。もっとガリガリに痩せていた。
だがエルも子供も何も言わない。その無言が、肯定を示していた。
誰か、何か言ってくれ。そう思いながら、ユルバンは自身から口を開いた。
「……お前の髪、そんなきれいな金髪だったんだな。汚れてたから気づかんかった」
なんだそれ。言うに事欠いて、“汚れてた”なんて言わなくてよかっただろうが。もっと言うことがあっただろう。自分の口が恨めしくなった。
子供は何も言わずに首を縦に振った。
こちらを見てはいなかった。
「お前、今はちゃんと眠れてんのか。毒草食べてねえよな。そういう服着たら、それなりに見えんのな」
気になることを矢継ぎ早に問うた。子供は全てに頷き返してきた。余計なことを言った気もする。
「もう、人のもん奪わねえよな」
子供の肩がピクリと動いた。
小さく首が動いたが、肯定か否定かはわからなかった。
恐る恐るといったように子供はエルを見て、それからユルバンに向き直った。
「み」
意を決したような声が、小さな口から響いてきた。
「店のもん盗ったりしてごめん。食べ物とか、奪ってごめんなさい。あんたは俺のもん奪ったりなんかしなかったのに、町の奴らは、みんな俺のもん奪うんだって思って、それで何回も奪って」
声が震えていた。
……こいつも、奪われていたんだ。
町の人々が、ときどき大量の薬草を手にしていることがあった。それどうしたんだ、と訊いても内緒としか帰ってこなかった。あれはこいつが集めていたものだったのか。
本当はずっと気づいていた。
こいつが最初に店に来たとき、自分は何をした。町民から嫌われているとわかっていたこいつが、勇気を出して来たのだろうに、踏み躙った。あのとき吐き捨てた言葉は、こいつに何と伝わったのだろう。
こいつが奪った、奪ったと言っていたが、そうせざるを得なかったのは自分のせいだ。最初に自分がこいつから生きていく術を奪ったのだ。生きるために取った手段が、町民から奪うことだった。
「ほんとうに、ごめんなさい」
子供が頭を下げる。
「ここで、はたらかせてください」
さらに下がった。
やめてくれ。俺なんかに頭を下げるな。お前は何も悪くない。
自分からは言えなかったので、エルにやめさせるよう頼もうとしたが、彼女もユルバンに頭を下げていた。
「お願いします、ユルバンさん」
たのむから!
「……頭を、上げてくれねえか」
子供がそろそろと体を起こす。
たしか、
「ルーク、だったか」
そんないい名を持っていたのか。
子供の、ルークの目が見開かれる。
「お前今、幸せか?」
唐突に尋ねてみたくなった。
ルークは不思議そうな顔をした。だが、すぐに答えは返ってきた。
「うん。リュミエルが俺を拾ってくれたから」
リュミエル、と聞いてエルのことだと思い当たった。だが、
「そうか」
これは自分が言うべきことではない。
ルークは出会ったのだ。己を幸せにしてくれるものに。
ルークが幸せなら、それでいい。
「雇ってやるよ、俺の店で」
明日から来い。それだけ残してユルバンは店の中に戻った。
振り向きざまに呟いた言葉は、ルークたちに聞こえただろうか。
ルークとあの旅人たちとは違う。
旅人たちは与えられたのにそれ以上を求めた。
ルークは与えられないから奪った。与えたとして、それ以上を求めるような子ではない。
ずっと、どこかでわかっていた。
すまなかった。
これから、よろしく。
一応、エプラの場所は
リエルディ王国スラン子爵領エプラ町
です。この設定、またどこかで出すかもしれません。