4.ここで、はたらかせてください
ルークは体調が良くなり、寝台から起き上がれるようになった頃。
リュミエルが手をぱんっと合わせて言い放った。
「もうちょっとしたら働けるようになるわね!」
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「いーやーだー!」
「仕方がないでしょう。奪わないなら買うしかない。買うにはお金が必要。お金は稼がなければならない。私の言うことを信じるのではなかったの?」
「リュミエルが言うことは信じてるけど、でもやだ!」
ジタバタと暴れて逃げ出そうとするルークの腕を、リュミエルは掴んで放すまいとする。その細く柔い手にはどれほどの力があるのだろうか。
朝早く、エプラ唯一の青果店の前まで来ていた。前に、ルークが働くことを拒否された店だ。
「働き手を探しているお店がここしかないのよ」
「前に『お前なんか働かせるか』つった奴だぞ、どうせ頼んだって雇ってなんかくんねえさ!俺だってこんなとこで働きたくないよ!」
鮮明に思い出す。
『お前のようなガキ、置いてやってるだけ感謝してほしいもんなんだがな』
たしかにそう言われた。
ルークは、以前のリュミエルに拾われる前とは違う。涙を流せるようになった。屋根のあるところに住んでいる。毒草なんてもう食べていないし、人から奪ってもいない。リュミエルが作ってくれたご飯を食べている。服もリュミエルが縫ってくれた綺麗なものを着ている。
お前のような。そう言われることは、ないのかもしれない。
以前は以前、今は今。でも、なかなか割り切れない。
ここ数日、似たようなやり取りを繰り返している。働け。いやだ。その繰り返しである。
昨日まではリュミエルの方が折れてくれていたのに、今日は違うのか。無理矢理家から引っ張ってこられた。
リュミエルが困ったように眉根を寄せる。ルークの腕を掴む力が、ふっと弱くなった。
その瞬間ルークは逃げようとした。だが、ぎっと戸が開く音がして、ピタッと止まった。
「おい、店の前で騒ぐんじゃねえ」
店主が中から出てきた。
ルークの体が強張った。
『お前のようなガキ、置いてやってるだけ感謝してほしいもんなんだがな』
その言葉が、頭の中でこだまする。
ルークはリュミエルの後ろに隠れた。
「おはようございます、ユルバンさん」
「エルの嬢ちゃんか、どうしたんだ開店前に」
“エル”って誰のことだろう、と疑問に思ったが、すぐにリュミエルのことだとわかった。
店主の名はユルバンというらしい。
そして、ユルバンとリュミエルは知り合いだったようだ。
「少し、頼みたいことがありまして」
「なんだ、言ってみろ」
ルークの手が、そっと引かれる。
大丈夫だから。耳元で囁かれた。
体の強張りが、少し緩んだ。
「この子を、雇ってくださいませんか」
ユルバンは、ルークをじろりと見た。
「……誰だ、このガキ」
ルークは息を呑む。
『お前のようなガキ』
再び体が強張った。
「ルークです。……以前あなたたちが嫌っていた、孤児の少年です」
リュミエルが答えると、ひゅっという声が聞こえた。今度はユルバンが息を呑んだようだった。
「こいつがか!?」
ルークたちの間に、沈黙が訪れた。
どっちでもいいから、何か言ってくれ。ルークは切に願った。
最初に沈黙を破ったのは、ユルバンだった。
「……お前の髪、そんなにきれいな金髪だったんだな」
汚れてたから気づかんかった、と言った。
ルークは何も言わずに頷いた。
「お前、今はちゃんと眠れてんのか」
「毒草、食べてねえよな」
「そういう服着たら、それなりに見えんのな」
「もう、人のもん奪わねえよな」
すべてに頷いた。
最後の問いに、そういえばルークが集めた薬草をユルバンが横取りしたことはないな、と思い出した。
__ここがいい。
働かなければならないのなら。働くのなら。
お前のようなガキ。そう言われたのは忘れられないが、自分から奪って行かなかった人のところがいい。
リュミエルの方を見ると、微笑んで“どうぞ”とでも言うように首を動かした。
ルークは、意を決して口を開いた。
「み、店のもん盗ったりしてごめん。食べ物とか、奪ってごめんなさい。あんたは俺のもん奪ったりなんかしなかったのに、」
声が震えた。
ユルバンの反応が気になるが、目を向けられなかった。
「町の奴らは、みんな俺のもん奪うんだって思って、それで何回も奪って」
ぐっと頭を下げる。
「ほんとうに、ごめんなさい。__ここで、はたらかせてください」
おねがいします、と頭をさらに下げた。
「お願いします、ユルバンさん」
隣で、リュミエルも頭を下げてくれていた。
「……頭を、上げてくれねえか」
その言葉に、ルークはそろそろと上半身を起こす。
「ルーク、だったか」
ルークは目を見開いた。
名を、呼んでくれた。
「お前今、幸せか?」
質問の意図がわからない。だが、これだけは自信をもって言える。
「うん。リュミエルが俺を拾ってくれたから」
一呼吸おいて、そうか、と返ってきた。
「雇ってやるよ、俺の店で」
明日から来い。それだけ残してユルバンは店の中に戻って行った。
一度振り返って何かを呟いていたけれど、それはルークには届かなかった。