武家見学1
「走りきったか。見込み通りだ」
ほんの少し呼吸の乱れた俺を見て、御剣様がそんなことをおっしゃる。
途中だけ親父に背負ってもらった可能性もあるだろうに、何を見て判断したのやら。
まぁ、当たってますけど。
「ちょうど訓練を始めたところだ。来い」
挨拶をする間もなく、御剣様は俺達に背を向けて歩き出した。向かう先は母屋の隣にある道場だ。
この後どうすればよいのか、目で親父に問いかける。
「御剣様直々にご案内してくださるようだ。ついて行きなさい」
「うん」
親父と一緒に御剣様の後を追う。
先代当主が時間を割いてくださるあたり、峡部家はかなり期待されているようだ。
俺という将来有望な次期当主が控えていることだし、我が家の未来は明るいな。
道場の入り口をくぐると、そこには30人ほどの大人たちがいた。
外観から予想していた通り、中は板張りで天井もかなり高く、大人が全力で運動しても問題ない広さだ。
長きにわたって訓練に利用されたのか、かなり年季が入っており、入り口付近の床が擦り減っている。
窓が少ないせいで換気が不十分なのだろう、男たちの汗臭い匂いが顔にぶつかってきた。
御剣様の帰還に気付いた幾人かが、その手を止めてこちらを振り向く。
「そのまま続けろ」
「「「おう!」」」
中にいたのは木刀を持った10人の男性と、お札を持った20人ほどの男性だ。
皆お揃いのジャージを着ており、2人組を作って殴り合いをしている。
勿論、ただの殴り合いではない。
一方が木刀や札で攻め、もう一方はお札だけで作れる簡易結界で防御を張っている。
すぐ目の前にいた武士と思しき男性が、大上段から木刀を振り下ろす。
ガンッ
鈍い音をたてて木刀が弾かれた。
半透明な結界には一本の罅が生じており、それが物理性能のある結界であることを示していた。
一方、陰陽師同士で向き合っているところは、木刀の代わりに焔の札や風刃の札が飛び交っていた。
こちらは攻撃を加えられると、結界が溶けるように消えていく。
霊的性能に特化した結界のようだ。
妖怪の攻撃分類に合わせて、結界にも物理結界と霊的結界の2種類がある。
愛用されている結界は家ごとに異なり、片方の性質に寄っていたり、特化型だったりする。
ちなみに、峡部家の簡易結界は中間だ。
物理的防御力もあるし、霊的防御力もある。その分どちらかに特化した強さはないそうだ。
弱点がないととるか、どっちつかずの中途半端ととるか、人によって意見が分かれるところだろう。
俺が一連の流れを見たところで、御剣様が口を開く。
「物理結界に特化している者は武士との矛盾対決。霊的結界に特化している者は陰陽師同士での札のぶつけ合いによる耐久力勝負。室内という限られた空間で、不意打ちを食らった時を想定した訓練だ」
解説までしてくれるとは、至れり尽くせりである。
武士の中でも有名な人物の話を聞ける機会はそうそうあるもんじゃない。
準備万全の状態で本気を出すなら"天岩戸“のような大掛かりな結界を作るだろう。
しかし、人類は妖怪の対処において、基本後手に回る。
準備不足の中、大掛かりな結界を用意する暇はない。室内での遭遇戦や不意打ちにはお札を貼って簡易結界を作り、その身を守ることになる。
と、おんみょーじチャンネルの結界特集でやっていた。
まとめとして、基礎となるお札作りと簡易結界を極めろ、だそうな。
「童もやってみろ。武士の力を体験させてやる」
おぉ、それは是非やってみたい。
妖怪と生身で戦う武士がどれほど強いのか、ずっと興味があった。
「おい、大勝。相手してやれ」
「はっ」
俺の相手に指名されたのは、親父よりも一回り年上の中年男性。
中肉中背で、渋い顔つきが特徴的。
親父もそうだが、訓練とかしている割には体が細い気がする。
少なくとも、御剣様の巨躯と比べたら弱そうに見える。
俺はこんなこともあろうかと用意していた簡易結界の札を3枚取り出し、親父に尋ねた。
「お父さんはいつもどれくらい霊力注ぐの?」
「……鬼に支払う対価と同等量だ」
僅かな思案の後、親父が答えた。
なるほど、ならその倍くらいにしておくか。今日1日でどのくらい消費するかわからないし。
「10数える間に結界を張れ。始め!」
御剣様はそう言ってカウントダウンを始める。
ちょっと待って、いま霊力注ぐから!
「4……3……2……」
俺は札を地面に置き、霊力を励起させて結界を貼った。
ギリギリセーフ。随分急に始めるなぁ。
いや、不意打ちを想定しているんだ、むしろ猶予をくれた方だろう。
「……1……0」
「はぁっ!」
「よろし――」
挨拶するより先に、大勝さんの木刀が襲いかかってきた。
ゴーーン
いつの間にか静まり返っていた道場内に、木がぶつかったとは思えぬ鈍い音が響き渡る。
目にも止まらぬ速さで振り下ろされた木刀は、俺の目の前で結界に阻まれていた。
うっすら見える結界に、綺麗な一本の罅が入っており、輪郭もかなり揺らいでいる。
(こ、怖ーー!)
我が家の結界は効率重視。
空間を狭くすることで結界の密度を上げ、耐久力を上げているそうだ。
つまり、俺の目の前まで木刀が迫ってくるということ。
遅れて危機感を覚えた体が心拍数を上げていく。
あの勢いでぶつかったら2回目の死を体験していたに違いない。そうでなくとも魂が抜けるかと思った。
放心している俺に道場の男たちが駆け寄ってくる。
「おぉ!」
「凄いぞ坊主」
「その歳でもう結界を使いこなしてるのか、いや凄いな」
「その札は自分で作ったのかい? それともお父さんが?」
「強が散々自慢するから期待してたが、期待以上じゃねぇか」
あっ、はい、どうも。
いつもうちの親父がお世話になってます。
自分より大きい人間が一気に近づいてくると圧迫感を感じる。
子供相手ということでかなり気安く話しかけられるのだろう。
いや、同僚の子供が職場に来たら構いたくなるのも当然か。
「お主ら、儂の前で訓練をサボるとはいい度胸だな」
チヤホヤされて嬉しい反面、初対面の相手から賞賛されてどう返すべきか悩ましい。そんな俺にとって、御剣様の注意は渡りに船だった。
一旦解散していただき、1人ずつ来てもらえませんか? ありがとうございます以外の返事を用意したいので。
「ちょっとくらい良いじゃないっすか」
「峡部家の長男ってことは、いずれうちで働くんでしょう? なら、未来の同僚とのコミュニケーションってことで」
「さっき頑張ったんで休憩ください!」
道場に入った時の返事が嘘のように、上司の脅しをフランクに無視している社員たち。
職場の雰囲気がよく分からない。
俺のいた職場はもっとビジネスライクだったからなぁ。とてもではないが上司にこんな口聞けなかった。
「話したければ夕餉の時間にしろ。自分より弱い大人に敬意を払うほど、子供は間抜けではないぞ」
えっ、夕飯もご馳走になるの?
今更ながら、今日のスケジュールを確認し忘れていた。
てっきり、訓練を一通り見て、夕方頃に帰るものだとばかり。
今度の忠告には素直に従うようだ。
「そりゃあまずい。またあとで話そうな、強の息子……聖だったか」
「あっ、はい、今日はよろしくお願いします」
俺は別に強さで人を判断するつもりはない。
そもそも人には個性があって、自分にできないことをできる他者には敬意をもって接するべきだと思う。
勉強ができたり、運動ができたり、仕事ができたり、社会はそういう人たちの支え合いで出来ている。
強さはそれら項目の1つにすぎない。
「死にたくなければ強くなれ! 訓練の成果だけは己を裏切らない!」
「「「おう!」」」
まぁ、陰陽師界隈において“弱い=死”なので、敬意云々関係なく必須項目なのだが。
俺の体験はさっきの1回で終わりらしく、その後しばらく結界の耐久訓練を見学していた。
ただ、離れたところから見ていても得るものはない。
子供の無邪気さを悪用し、俺は親父の同僚たちがどんな結界の札を使っているのか盗み見た。
「あんまり近づくと危ないっすよ」
「お兄さん凄いね。攻撃されても壊れない」
「いやぁ、俺の結界なんて先輩たちと比べたらまだまだ」
謙遜しつつも子供に褒められて嬉しそうである。チョロい。
俺はその隙にお札をチラ見する。
基本の部分は一緒だが、ちょいちょい差異があるようだ。親父曰く、広く知られている陰陽術については家ごとに工夫されていることが多い。
この違いによってどんな変化が生じるのか、後で試してみよう。
さらに続けて人の良さそうな陰陽師を狙い、いくつかの陣を見ることができた。
予想以上の収穫に俺は大満足である。
まさか子供が技術を盗むとは思うまい。
卑怯と言うなかれ、陰陽術の拡散と多様化はこうして生まれたのだ。
刀鍛冶の弟子が師匠の技術を見て盗むのと同様、秘匿されし陰陽術は教えてもらうのではなく、盗み盗まれ密やかに拡散していく。
当然、札の陣を真似するだけでは完全再現出来ないだろう。
いろいろな盗作対策もあると聞く。
俺がホクホク顔を浮かべている後ろで、御剣様が指示を出した。
「内気と霊力がよい塩梅に減ってきたところで、次の訓練だ」
武家見学、思っていたよりもずっと面白いぞ。