運動会
最近の小学校は運動会を5月に開催するところが増えているらしい。
“スポーツの秋”のイメージが強い俺としては違和感を覚える。
だが、地球温暖化の影響か、近年の秋は残暑厳しい季節となっており、熱中症対策や台風回避などを考慮してのことなので、これも時代の変化なのだろう。
入学して1ヵ月ちょっと経った今日、思った以上に早くその日はやって来た。
「「宣誓! 僕たち、私たちは、スポーツマンシップにのっとり、正々堂々、練習の成果を発揮し、仲間と力を合わせ、最後まで頑張りぬくことを、誓います!」」
あぁ、この定型句が懐かしい。子供の頃を思い出した。
昔の自分は「開会式とか入場行進とか、そもそも運動会とか面倒くさい」としか思っていなかった。
根本的に運動が苦手だったため、運動会に対して否定的な感情しかなかったのだ。
開会式が終わり、1年3組のテントへ戻って来ると、とある男子が威勢よく叫ぶ。
「1位取ろうぜ!」
彼はクラスの中心的人物で、何かと声が大きい男子だ。
具体的に何の1位を目指すのかよく分からないが、とりあえず叫びたかったのだろう。
運動会の浮かれた雰囲気を誰よりも楽しんでいる。
前世では斜に構えて、運動会で盛り上がる連中を「バカみたい」と思いながら隅でやり過ごしていた。
だが、せっかくの2度目の人生、楽しまなきゃ損だろう。
「そうだね。皆で楽しみながら、1位を目指そう。運動苦手な人は無理せずに応援を頑張ってね」
クラス全体に声を掛けるという、およそ俺らしくない行動。
前世なら絶対にできなかったことだが、今の俺のクラス内ポジションなら可能だ。
突然何言ってんのこいつ、みたいな空気にはなっていない……みたいだな。
俺の後に会話が続いている……よかったぁ。
彼らほどハイテンションにはなれないが、俺は俺なりに運動会を楽しもう。
1年生の種目は80m徒競走と玉入れ、それに低学年紅白リレーだ。
このうち、俺が出場するのは徒競走と、低学年紅白リレー。
運動が苦手だった前世なら、迷うことなく玉入れを選んでいた。
そして、足の速い子が選抜される低学年紅白リレーでは、候補にすら上がらなかったはず。
だがしかし、今の俺にはイレギュラーとの戦いで習得した身体強化がある。苦手分野から一転、運動は陰陽術に次ぐ得意分野となっていた。
体力測定の日、陰陽術を使うのはズルでないかと頭をよぎったが、すぐに否定した。親から貰った身体と環境、それから運も含めて全て実力である。
むしろ持てる技術全てを駆使してこそ全力といえよう。
「次の競技は1年生の徒競走です」
アナウンスと共に入場すれば、さっそく競技が始まる。
体力測定のタイムを参考に、同じくらいの速さの生徒が集まって競争する。
俺の出番はラスト、1年生の中で1番速いグループだ。
一緒に走る子供たちは皆んなやんちゃそうな顔をしている。前世の俺だったら、そっと距離を取るタイプだな。
やはり、足の速さという明確な結果が出る長所を持つと、自己肯定感が上がりやすいのだろうか。全校生徒と保護者の注目を浴びているというのに、彼らは全然緊張していない。
「位置について!」
だがしかし、運動大好きやんちゃ坊主など、チート技術を習得した俺の敵ではない。
クラウチングスタート以外でスタート地点に立つ時、両腕はどんな感じに構えればいいのか……なんてことをスタート直前に悩むくらいには余裕がある。
「よーい」
パンッ
2歩進んだ段階で全員を置き去りにし、俺の独壇場が始まった。
そして速攻で終わった。
10mくらい差が開いてのゴールだ。
圧勝である。
とはいえ、小学1年生の狭い歩幅では大した距離は稼げない。観客から見て、かなり微笑ましい勝負だっただろう。
身体強化を加味して小学3年生と同レベルといったところか。
まぁ、圧倒的差でゴールしているのだから、他の子供たちからしたら十分チートだな。
体育の授業でも無双していたので、クラスの中では1番足が速いと認知されていたが、今日この日をもって学校中に知れ渡ったわけだ。
あぁ、この注目を浴びる感覚……悪くない。
初めこそ慣れなかったが、大きな緊張感と羞恥心の中に、いつしか僅かながらの心地よさを感じ始めてきた。
これが名誉欲か。
(あれ? 思ったよりこっちを見てる人少ないような)
一年生の競技は微笑ましくあれど、盛り上がりに欠ける。
そのせいか、2〜6年生たちは友達とのおしゃべりに夢中で、こっちを見ていない。
俺に注目しているのは1年生とその親、そして教師くらいなものだ。
だが、次の出場競技「低学年紅白リレー」はそうはいかない。
1・2学年を紅白に分け、各クラスから足の速い男女2人ずつを選出し、16人1チームで走る競技。1年生の徒競争と比べたら注目度は段違いに高い。
低・中・高学年紅白リレーと6年生クラス対抗リレーの2大競技を前に、まずは腹ごしらえの時間だ。
昼休憩に入り、各々自由行動が認められた。
俺は隣のクラスの加奈ちゃんと合流し、何度もカメラ目線を送った保護者席へと向かう。
おっ、いたいた。
保護者席のすぐ近く、校庭の木陰にビニールシートを敷き、お母様と裕子さんがお弁当を広げている。
本日の主役の登場に、保護者たちが笑顔を浮かべた。
「見てたぞ」
「格好良かったですよ!」
「お兄ちゃん速ーい」
家族が賞賛の言葉と共に出迎えてくれる。
すぐそばで加奈ちゃんも同じような言葉をかけられていた。
加奈ちゃんも徒競走で1位だったから。
籾さんは娘のイベント皆勤賞なので言うまでもないが、驚いたことに今回はうちの親父も応援に来ている。幼稚園の時は来れなかったのに。
鬼を従えてから、親父は以前より休みを取るようになった。
戦闘力=キャリアアップしたことで、あくせく働かなくて良くなったのかもしれない。
自己鍛錬のためという、もう1つの理由もあるのだが。
「お腹空いた」
「聖の好きなおかずをいっぱい作りましたから、たくさん食べてくださいね」
美味しそうな香りにつられ、代謝の良い身体が腹の虫を鳴かせる。
外で食べるご飯はなぜこんなにおいしいのか。さらに、運動会のお弁当というプレミア感まで加わって、家族でピクニックへ行ったときよりも幸せを感じられる。
俺が紙皿の焼きそばを食べきったところで、裕子さんが話しかけてきた。
「加奈ちゃんを連れてきてくれてありがとね。見てたわよ、足速いのね!」
「聖坊は勉強だけじゃなくて運動も得意なんだな。ぶっちぎりの1位でゴールしてたぞ」
ここでいう勉強とは、陰陽術のことを指している。
勉強得意なタイプは運動苦手という、ステレオタイプを想像していたに違いない。
俺の素の身体能力は多分平均だから、籾さんの予想は当たっている。
「小学校に上がって、また何か教わったのか?」
「ううん、特には。いつも通り勉強してるだけ」
遠回しに、親父から身体強化に似た陰陽術でも教わったのか、と聞いてくる籾さん。
幼稚園の運動会でも全力疾走していたが、あまりに短距離過ぎて俺の実力が伝わっていなかったようだ。
籾さんからすれば、突然俺の足が速くなったように見えるだろう。当然の疑問だ。
殿部家に峡部家の秘術を探る気はないから、きっと俺の陰陽術指導がどれだけ進んでいるのか、単純に気になったのだろう。
「……要は自分のペースで頑張ろうな」
「……?」
お父さんの膝の上で唐揚げを頬張る要君は、何を言われたのかよく分かっていない様子。
籾さん、俺を参考に指導するつもりだったのか?
要君が可哀想だからやめて差し上げて。
皆が驚いているのに対し、親父だけは平然としている。
それもそのはず。
親父はただ1人、俺が霊力ドーピングしていることを知っているのだから。
七五三の後のこと。
身体強化について親父に話したところ、案の定、武家の内気や武僧の秘術に似ていると言われた。
既にある技術とはいえ、それを子供が再現できたという事実は驚愕に値するらしいが。
本来は長く辛い修行を経て習得する、正しく秘術と呼ぶに相応しい高度な技術なのだとか。
不思議生物を模倣して会得した、なんて言われても納得できないようだ。
『なぜ……。いや、危機的状況から……。ならば、他の陰陽師も……』
まぁ、俺も命懸けの戦いをしたわけだし、秘術の1つや2つ覚醒してもおかしくないんじゃないか。
そもそも、陰陽術関連に合理性を求める方が間違っている。
結局親父は、どうして俺が身体強化を習得できたのか理解するのを諦め、殊勝な態度で教えを乞うてきた。
もともと親父にだけは共有するつもりだったので、その他の技術と合わせてコツを伝えている。一向に習得する気配は見られないが。
「ごちそうさまでした」
美味しいお弁当でチャージ完了。
運動会の醍醐味の1つ、堪能しました。
「午後も頑張ってくださいね」
「応援している」
お昼ご飯の後は、いよいよ低学年紅白リレーだ。
家族の声援を背に、グラウンドへ入場する。
走順は1年女子の後に男子、その後2年生で、俺は1年男子の最後である。
2年のアンカーほどではないが、まぁまぁ目立つポジションだ。
あっ、始まった。
他クラスの1年女子がグラウンドを駆け抜け、半周したところでバトンを渡す。
我ら白組はこの時点で少し遅れていた。
次の女子がバトンパスをミスしてしまい、さらに差が開く。
そこからは一定の差をつけられたまま、大きな展開もなくリレーは続く。
1年男子が巻き返そうと奮闘するも、相手チームの男子もクラス代表だけあって同レベルなので、結局差は縮まらない。
観客からすれば、これは2年生に賭けるしかないと判断する場面だろう。
そんな状況の中、俺にバトンが渡された。
1年生女子によって開いた差を埋めるべく、バトンパスの段階で練習量の差を発揮する。前世で嫌々やらされた練習も、意外と体が覚えているものだ。
10m先にいる赤組の背中に追いつき――追い抜く。
「「抜かれるぞ! 赤組負けるな!」」
「む~り~」
ごめんな少年、俺も白組の看板背負ってるから負けられないんだ。
差を縮めるどころか、巻き返した上に5m差をつけてバトンを繋いだ俺に、観客たちの歓声が届いた。
予想外のどんでん返しに盛り上がっているようだ。
少し乱れた息を整えながら、歓声にこたえるように小さく手を振ってみる。
あ、これ楽しい。
勉強とは違い、運動に関しては常に全力を出している。
前世では運動関係で褒められた覚えがないので、この賞賛は素直に嬉しい。
なるほど、これは自己肯定感も上がるわ。
育ち盛りな俺はこれからメキメキ身長が伸び、身体が出来上がってくるだろう。その時はさらに身体能力が上がり、全校生徒の注目を集めるに違いない。
中学校に進学して部活動に所属すれば、学生にとって一大イベントと言える中総体が待っている。
今以上の注目を浴び、大勢の前でトロフィーを貰ったら……一体どれほどの達成感を得られるのだろうか。
今から将来が楽しみだ。
俺はこの日ようやく、前世から引き摺っていた運動に対する苦手意識を払拭することができた。
「これだけ動けるなら、連れて行っても問題ない……か」
帰り際、なんか親父から不穏な独り言が聞こえてきたんだが……。
おい、今度はどこに連れて行くつもりだ?