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初仕事


 親父の召喚したねずみ2匹が、小さく開けた扉の隙間から部屋へ侵入した。

 しばらくして、即席結界の中で視界を共有している親父が1つ頷く。中の安全を確認できたようだ。

 親父が先頭に立ち、俺達は遂に現場へ突入する。


 部屋に入って最初に目に付いたのは、壁に飾られている絵画だった。

 大きな窓から差し込む朝日が照明替わりとなり、いくつも並ぶ絵画を照らし出している。

 絵画といっても、堅苦しい風景画や、何を描いているのか不明な抽象画ではない。

 芸術に疎い俺が一目見ただけでも、その絵の価値が伝わってくるものである。


(あぁ、そういうことか。これは確かに、燃やしたくないな)


 飾られている絵画のモチーフはすべて真守君の家族である。

 その中には以前、幼稚園で俺に見せてくれた水族館の絵もあるではないか。

 壁を横断する絵画の列は、いわば真守君の絵日記であり、幼稚園時代の思い出が鮮やかに描かれている。

 絵日記の一番古いページは、入口から一番遠くにある、日の当たりづらい部屋の角にあった。


(これが、今回のターゲット)


 平和な庄司家に入り込んだ妖怪が憑りついたのは、真守君が初めて描いたという絵である。

 俺は妖怪を――否、絵画を見て、真守君が燃やすのを嫌がった理由に納得した。

 妖怪が憑りついたという絵画にも当然、真守君の家族が描かれている。

 最新の絵と比べると断然拙いが、リビングで家族団欒を過ごす光景が描かれていると一目でわかった。

 真守君ママとパパ、歳の離れたお兄ちゃんが笑顔でこちらを向いている。


 この絵が燃えるということは、幸せな思い出を燃やしてしまうということ。

 それは何とも縁起が悪いし、気分が悪いだろう。


(真守君ママも残念がるわけだ)


 息子が初めて描いた絵がこれほど素敵なものだったら、そりゃあ残しておきたくなる。


 今思い返せば、俺の前世の両親もそうだった。

 遺品整理の時、押入れの手前側に置いてあった段ボール箱には、俺の子供の頃の品が幾つも保管されていた。

 何度も取り出しては眺めたのだろう、段ボールはボロボロだった。

 恥ずかしいやらむず痒いやら、別れの時に枯れたと思った涙が、さらに溢れ出した。


 俺に絵を見せる時、真守君がはにかみながら教えてくれた。


『ママが褒めてくれた』


 真守君にとっても、真守君ママにとっても、子供であるこの瞬間の思い出こそが大切なのだ。

 同じ絵を描いたところで、取り戻せるものではない。


 親友のために、ここは一肌脱ぐとしよう。


 プロ(予定)として、顧客の要望に応えてみせよう。

 俺のイメージするプロというのは、周囲よりも一段高い技術を持って、素人には不可能と思われる仕事を華麗にこなしてみせる職人だ。

 やはり、逸話となるような業績を残してこそ、周囲が一目置く業界の第一人者を名乗れるだろう。

 そうして日本中の誰もが知る有名人になれたら、今度こそ悔いなく死ねる。


 俺たちが部屋へ侵入したことで、妖怪は自らの存在意義を発揮し始めた。

 取り付いた絵を歪ませ、それをみた人間に不快感を与えようとするのだ。

 すると当然、完成されていたはずの庄子家の幸せな光景が崩れ去ってしまう。

 妖怪はどうすれば人間が不快に思うか心得ているようで、真守君ママの顔は不気味に膨れ上がり、パパとお兄ちゃんは体のパーツをバラバラにされて宙を漂い始める。

 暖かな配色は混ざり合って濁りだし、背景のリビングは泥沼へと変貌してしまった。


 おーおー、よくもやってくれたな低級め。

 そんなもん見せたら俺の親友が悲しむだろうが。

 お前の行動は陰気を増やすどころか、陰陽師のやる気に燃料を注ぐ愚策中の愚策だ。


脅威度2(2)で間違いない。予定通り準備を行う」


「分かった」


 俺が新たな試みに挑戦するか否かは関係なく、セオリー通りの準備は必要となる。

 扉の外で取り出しておいた耐火素材のシートを広げ、その上に予め用意していた陣の描かれた大判紙を敷く。

 この陣に霊力を注げば非物質の結界が張られ、内から外への霊的干渉を軽減できるのだ。


 そう、この結界は妖怪を閉じ込めるための檻である。


 陰陽師として才能のある者ならば、この非物質の結界を視認することは可能だ。

 結界の構築を確認した親父は、手に持った(かぎ)付きの棒を器用に操り、壁に飾られた絵画を吊り上げた。


 パタン


 俺たちの早業を前に、妖怪は何の抵抗も出来ず捕まった。

 家で何度も練習した成果である。


 予想外の反撃がないことに小さく安堵していると、親父が目配せしてきた。


(何か試すなら今だ)


 そんなメッセージを受け取った俺は、早速右手から触手を伸ばしてみた。



 これから俺がやろうとしていることは、普通の人が不可能と判断した試みである。

 真守君同様、美術品を惜しむ依頼人は当然いただろう。

 なのに、妖怪から美術品を護った事例は読んだことがない。


 絵画に限らず、低級妖怪は美術品に取り付くことが多い。

 奴らは美術品を依代とし、その身を保持しているのだ。

 つまり、美術品そのものとなった妖怪はほぼノータイムで干渉してくる。文字通り、我が身なのだから。


 この不条理を打ち破るには、2つの手段が考えられる。


・妖怪より早く美術品を保護する。

・妖怪を美術品から引き剥がす。


 我ながら凡庸な発想力である。

 まぁ、多少奇抜な作戦だとしても、俺が5分で考えたアイデアなどとっくの昔に試されているに決まってる。


 ならば、俺が工夫すべきなのは方法ではなく手段だ。


 七五三での出来事を機に、俺は親父に色々秘密を話している。

 霊力の精錬を始めとして、不思議生物と裏世界の存在、身体強化と触手の能力についても話し合った。

 俺がこれまで体験してきたことは一般的なのか否か、いい加減知りたかったのだ。

 峡部家の繁栄という観点で考えても、親父と技術を共有すべきなのは明白だ。


 さて、その結果分かったことは……。


“俺の体験してきた全ては、およそ普通の陰陽師とは縁のないイレギュラーな出来事である”


 ということだった。


 特に触手については、親父曰く『わけがわからない』とのこと。

 普通、霊力を空気中に放出したら霧散するらしい。しかし、俺はそれを凝集して意のままに操っている。

 一般的に、霊力そのものが物理的効果を齎すことはないらしい。しかし、俺は触手で高いところにある祭具を下ろしたり、零したジュースを拭くためにティッシュを取ったりできる。

 なんなら離れた場所の音を聞いたり、不思議生物を掴むこともできる。


 そのくせ霊力と同じで視認できないため、何もない空間から突如ツンツンしてくる触手に親父は翻弄されていた。


「………!?」


 触手で肩を叩かれた親父は目を見開き、落ち着きなく辺りを見渡していた。

 目の前でブラブラさせているのに、気が付いた様子はなかった。


 凡人な俺が過去の偉人たちを超えるには、これくらい奇抜な手を使わなければ不可能だろう。


 まな板の上の鯉となった妖怪は意味もなく絵を歪ませるばかり。

 今こそチャンスだ。

 俺は触手を伸ばし、恐る恐る絵に触れてみた。


(良かったぁぁぁ! 反撃とか来なかった!)


 不思議生物相手に油断してダメージを喰らったことは記憶に新しい。

 今回はしっかり重霊素で覆っているが、妖怪に対して通用するかは不明である。

 不明であるからこそ、可能性が詰まっているわけだが。


 予想外の反撃がいつ来るともしれない。

 俺としては早く決着をつけたいところ。


 床に置かれた絵にピトっと触手の先端をつけた状態で止まっていた俺は、恐る恐る触手を動かしていく。絵画のガラス面を撫でる感じで。

 こうすることで何ができるかは分からない。

 なんか都合よく妖怪が飛び出てきたり、触手で絡めとれないかなー、と期待しての行動だ。


(ん?)


 触手から伝わる感覚に意識を集中させていると、何か知っている反応を感じた。

 これは……なんだっけ……えーと。

 すごく希薄な思い出なんだけど、間違いなくこの感覚をどこかで体感している。

 加速する思考の中、俺は遂に過去の思い出から記憶を手繰り寄せた。


(あっ、縁日の金魚すくいだ)


 ポイを水面につけた瞬間逃げ惑う金魚の挙動、それに似た感覚が絵画から伝わってきた。

 もしかして、絵画の中の妖怪が触手から逃げているんじゃ?


 試しに触手を素早く動かしてみれば、中の妖怪は絵画という水槽の中を全力で逃げていく。

 勝った……!

 俺は運のいいことに初手で正解にたどり着けたようだ。


 逃げる妖怪を全力で追いかけ、ついに触手が妖怪を捉えた。


(逃がすか!)


 妖怪を()(つか)んだ瞬間、俺は触手を引き上げた。気分は金魚すくいというより釣りである。しかも追尾機能付きルアー使用中。


(真守君の絵から……出てこい!)


 ほんの僅かな抵抗の後、絵に引きこもっていた妖怪が姿を現す。


 触手に掴まっているのは、黒い靄のような塊。

 脅威度2は存在自体が不安定な妖怪で、大抵は輪郭(りんかく)曖昧(あいまい)な霧状の外見であると書いてあった。

 事例集で見た図解の通りだ。


(後は焔之札で焼却処――)


 俺は奇策が通じたことに内心歓喜しつつ、冷静に次の手を考えていた。

だが、懐から札を取り出したところで予想外の事態に陥った。


 シュワァァ


 霧が晴れるような感じで、妖怪が消えてしまったのだ。

 触手で霧を掴むという不思議な感覚が、いつの間にか失われている。

 姿が見えなくなったのではなく、目の前からいなくなった?!

 まずい、これはまずい!


「お父さん、逃げられた! どうしよう!」


 何故だ、どうして逃げられた。

 妖怪は結界の中にいたはずなのに、触手で掴んでいたのに、俺の見ている前でその姿を消した。

 いったいどこに逃げたんだ?!


 慌てて周囲を見渡す俺は、親父から返事が返って来ないことに気が付かなかった。


「落ち着け。……懐に入れている札を見せなさい」


 いや、こんな時に何を? と戸惑う俺の上衣をめくった親父は、内ポケットに入れてあった御守りを取り出した。

 部屋へ突入する前に霊力を注いだ御守りだ。

 低級とはいえ、妖怪は総じて陰気や穢れをばらまく存在である。

 妖怪に接近する可能性があるときには、空気清浄機代わりの御守りを装備する。危険地帯での防毒マスクみたいなものだ。


 で、それがどうかした?

 そんなことよりも逃げた妖怪を探さないと。


「妖怪は退治された」


「まだ何もしてないけど」


「この御守りで祓われたようだ」


 いやいや、御守りにそんな機能ないでしょう。

 指南書にも書いてなかったし。妖怪の接近を躊躇わせる効果があるだけで、退治するほどの力はないはず。


「お前の御守りは霊力が漏れている。その霊力が妖怪に作用した……かもしれん」


 そういえば前にもそんなこと言われたっけ。

 え、でも霊力そのものには妖怪を倒す力がないと思ってたんだけど。

 うーん、陰陽術はそもそもの技術が謎だから、論理的に考えるだけ無駄か?

 触手という前例もあるし。


「妖怪が逃げた可能性は?」


「妖怪が退治された場合、あのように塵となって消える。結界を破る力もなし。逃げた可能性はない」


 そ、そうか……良かった。

 初仕事で失敗とか、陰陽師人生に傷がついてしまうところだった。

 安堵する俺に親父が尋ねてくる。


「触手か?」


「うん」


 親父はそれだけ聞いてなにやら考え込んでいた。

 それも仕方あるまい。

 だって、見事絵画を傷つけることなく妖怪退治に成功したのだから。

 前代未聞、なかなかの快挙である。


 妖怪を取り除いたので、歪んでいた絵も元通り。

 幸せそうな家族の思い出を無事に守ることができた。

 真守君に良い報告ができそうで何よりである。


 文句なしの初仕事成功といえよう。

 ご満悦な俺へ、親父が告げる。


「今回の仕事は、誰にも話さないように。特に、絵を護ったことは」


 えっ、誰かに言いふらしたくてたまらないんだけど。


 そんな気持ちも浮かんだが、直前の問いを思えば当然の指示だった。

 どうやって妖怪の悪あがきから絵を護ったのか、説明しようとしたら俺の触手(ひみつ)をばらすことになる。

 『峡部家の秘術だ』とゴリ押すことも出来るが、組織の力で圧力を掛けられたらどこまで抗えるか分からない。

 そのうえ、同様の依頼が舞い込んだ時、触手を使えない親父は俺を連れ出すことになる。

 当主ができないのに幼稚園児ができる……要らぬ注目を集めてしまいそうだ。


 俺が成人してバリバリ働けるようになってからなら問題あるまい。

 それまでは、技術漏洩に繋がるようなことは控えるべきだ。


「うん、分かった」


「……よろしい」


 親父の考えに納得したから元気よく返事したのに、なんだよその間は。


 かくして、俺の初仕事はひっそりと幕を閉じた。


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