兄離れ
「あそびに行ってくる!」
「暗くなる前に帰ってきてくださいね」
最近、弟が友達と遊ぶようになった。
今年から幼稚園に通い始め、交友の輪を広げ始めたのは知っている。休み時間に友達と遊んでいる姿をよく見かけたから。
しかし、それは幼稚園での話で、家ではこれまで通り俺と一緒に遊ぶものだと思っていた。
……最近までは。
「優也は今日も公園に行ったの?」
「いいえ、今日は田中さんの家にお邪魔するようです」
そういってお母様はスマホを取り出し、向こうの親御さんと連絡を取り始めた。
あぁ、だから菓子折り持たせてたのか。
優也はもともと公園でも友達を作っていたようだし、お茶会でだって俺の知らない友達と遊んでいた。
そんなコミュ力高めな弟は、お母様に直談判して一人で遊びに出かけるようになった。
年齢よりも大人びている優也なら心配ないと、ご近所限定で行動の自由を与えられたのだ。
特に公園はすぐ近くにあるため、いくつかのルールを守れば問題ないと判断された。
・事前に遊ぶ場所を伝えること。
・外出するときは必ずキッズスマホを持つこと。
・道路に飛び出さないこと。
・知らない人には近づかないこと。
・何か困ったことがあったらお札を地面に貼ること。
ごくありふれたお約束だ。
きっとクレヨンしんちゃ○も同じ約束してるはず。
最後の1つが最大の安心材料であることは間違いない。
優也は元気よく「うん、やくそくする!」といって、お母様と指切りげんまんしていた。
それからというもの、優也はほとんど毎日外へ遊びに行っている。
……兄を家に置いて。
幼稚園卒業前に、弟が兄離れした。
えっ、ちょっ、早くない?!
兄弟ってもっと一緒に遊ぶものじゃないの?!
夏休みに一緒に虫取りしたり冒険したりするものじゃないの?!
いや、全部アニメやドラマで見たシーンだけど、小学校低学年までは友達より兄弟で遊ぶものだと思っていた。
前世で一人っ子だったうえインドア派な俺は、基本的に外へ遊びに行くという選択肢がない。
ゆえに、弟がまさかこんな早く外の世界へ興味を示すとは思いもしなかった。
「ついこの間まで電車ごっこではしゃいでたじゃん。紙飛行機を一日中飛ばしてたじゃん。えー、もう飽きちゃったのか」
優也の直談判のおかげで、ついでに俺もキッズスマホを買って貰えた。
もはや現代人の必須アイテムとなっているスマホ。これを手に入れたおかげで、調べ物があっても自分で解決できるようになった。
俺はさっそく「弟 兄離れ」で検索する。
「くっ、ペアレンタル機能め」
俺達のスマホには、子供が有害サイトに入らないよう、フィルターが設定されている。
R18サイトでもないのに、検索する時ちょくちょく引っかかってしまうのが不便だ。
とはいえ、今回の検索結果は酷いから妥当かもしれない。
「俺はブラコンじゃないし」
検索結果がそんなものばかりだった。
転生して初めてできた弟なんだ、まだ幼稚園児なんだし、可愛がって当然だろう。
普通は何歳くらいで兄離れするのか知りたかっただけなのに、とんだ疑いを掛けられたものだ。
それからいろいろ調べてみた結果、ある事実にたどり着いた。
「そうだよね。普通兄が先に友達と遊び始めて、弟が寂しがる流れだよね。……まるっきり逆だな」
一般的に小学校低学年くらいで活動圏が広がり、それぞれの道に進み始めるようだ。
家庭の方針や性格によっていろいろ異なるため、この年齢で兄弟が別々に遊ぶという具体的な数字は見当たらなかった。
うちは少し早すぎる気もするが。
俺がスマホを弄っていると、庭で洗濯物を取り込んでいたお母様が居間に戻ってきた。
そして、俺の顔を一目見て尋ねてくる。
「どうかしたのですか?」
「ううん、なんでもない」
何でもないと答えたはずなのに、お母様は慈しむような笑みを浮かべて俺を抱きしめる。
え、突然どうしたの?
「優也が遊びに行って寂しいのでしょう。お母さんには分かりますよ」
な、何故バレた。
これが母親の勘というやつか。
そういえば、前世の母にも隠し事はできなかったっけ。
正直に答えるなら――。
「うん……ちょっと寂しい」
……あの、お母様、ギュッと抱きしめなくても大丈夫です。
さすがに弟の兄離れが原因で慰められるのは恥ずかしいのですが。
初めて経験する類の寂しさに戸惑っているだけですから。
「先生から、聖は幼稚園の人気者だと聞いています。お友達と遊びたい時は言ってくださいね。少し遠くても送りますから」
そういえば、同級生たちと幼稚園の外で遊んだことなかったな。
大人になるにつれ、友達の家へ遊びに行く機会はなくなっていくものだ。
親友と久しぶりに会う時だって、大人になってからは飲み屋ばかり。
プライベート空間を侵害する罪深さを知ったからだろうか。いつの間にか、友達の家に行くという選択肢が俺の中から消えていた。
子供の体に戻ったとはいえ、やっぱり他人の家にお邪魔するのは気が引けるなぁ。
「友達を家に呼んでもいい?」
「ごめんなさい、それは許可できません」
あれ、お母様のことだから笑顔でOK出すと思ってたのに。
加奈ちゃんや要君は遊びに来てるし、何がいけないんだ?
「どうして?」
「お父さんが言うには、我が家は子供にとってよくない場所だそうです。お家で遊んでいるうちに、危ないものに触れてしまうかもしれない、と。だから、遊ぶ時はお外か、お友達の家にしてください」
なるほど、納得した。
我が家にはお札や祭具、墨壺など、子供の興味を引くものが山ほどある。
万が一、友達が親父の仕事部屋に入って怪我でもしたら大変だ。
それならいっそ、陰陽師関係者以外招かない方が安心である。
「ごめんなさい。お友達を招待したかったでしょう?」
「ううん、陰陽術の勉強もあるし、幼稚園で十分に遊んでるからいいや」
幼稚園で外遊びに精を出すのは、ひとえに健康な心身を育むためだ。
コネ作りを兼ねての運動であって、決して幼稚園児との遊びを堪能しているわけではない。ちょっと童心に帰って楽しんだことは否定しないが。
優也に対抗して友達の家へ遊びに行く必要はない……けれど、一度くらい遊びに行った方がいいかもしれないな。
お母様が心配そうな顔でこちらを見ている。
およそ普通の子供らしくない俺だ。お母様を安心させるためにも、陰陽術ばかりじゃなく、1度くらい遊びに出かけるとしよう。
どうせ遊びに行くなら真守君の家だな。
転生してから一番親しくしている友達だし、政治家のお父さんに会えれば儲けものである。
「今度、真守君の家に行ってもいい?」
「庄司さんの家ですね。分かりました。お母さんの方でもお伺いしておきます」
幼稚園児が親しくしていると、親同士も付き合いができるものだ。
モンスターペアレントと聞いていた真守君ママも、実際に会ってみたら噂と違って良い人だった。
俺が一度訪問するくらい許してくれるだろう。
真守君との友好度も十分だし、今から何をして遊ぶか考えておこう。