御祈祷
受付の看板を見て、俺は渋面を浮かべずにいられなかった。
智夫雄張之冨合様へしっかり感謝の気持ちを持っているつもりだが、初穂料10万円……。
10万円か……。
「ご予約の峡部様ですね。お待ちしておりました」
「これを」
親父が懐から取り出した封筒は、明らかに諭吉10人分の厚みではない。
厚さ1cmということは、多分100万円入っている。
嘘だろ、一番高いコースの10万円だと思っていたが、特別な御祈祷はその遥か上をいくのか。
世知辛いこの世の中、稼げるところで稼がないと大きい神社を維持できないのだろう。
それは理解できるけど、七五三で100万円かぁ……。
前世の金銭感覚は一生抜けそうにないや……。
親父が受付を済ませ、俺達は拝殿の中へ入る。
中を通る際、10組ほどの家族が若い神職の執り行う御祈祷に参加しているのが見えた。
一般家庭に転生していたら俺もあの中に混ざっていたのだろうが、陰陽師の家系に生まれた者は特別な御祈祷に参加することとなる。
彼らの横を静かに通り過ぎ、“関係者以外立ち入り禁止”の立て看板の向こうへ進む。
「峡部殿、お待ちしておりました。さぁ、こちらへ」
俺達を出迎えてくれたのは神職の男性。
見た目は40代後半といったところか、身に纏う無地に紫色の袴や佇まいからベテラン感が漂う。
親父は面識があるようで、ビジネス的な挨拶を交わしつつ神職の後ろをついて行く。
地域で一番大きな神社だけあって、かなり広い敷地を有しており、それに比例するように建物内も広い。
日本全体として見ればマイナーな神様だが、俺の予想より篤い信仰を集めているようだ。
「こちらです。儀式が始まるまで、中でお待ちください」
案内された先は拝殿の奥、幣殿と呼ばれる場所だった。
構造的には繋がっているものの、ほぼ別の建物となっている。
幣殿は、神霊の依り代となる御幣を奉る建物であり、神事の際に神職だけが入ることを許される。
そんな、本来部外者が入ることを許されないこの場所に、俺達父子は足を踏み入れていた。
部屋に入って最初に抱いた感想は「密教の集会が開かれそうな場所」だ。
そもそもここは、移動した感覚的に「幣殿の裏側に作られた秘密の部屋」っぽい位置なのだ。それだけで十分怪しい。
窓もない簡素な部屋に畳の匂いが籠り、薄暗いせいで余計に怪しい雰囲気が漂っている。
いや、どちらかというと厳かな雰囲気というべきか。なんだか落ち着かない。
我が家の寝室と同じく、外の光が入らない一室を四隅の行灯が照らしている。
最奥に智夫雄張之冨合様らしき女神像があり、その周囲には御幣を中心に米俵や反物などの御幣物が並ぶ。
昔ながらの捧げものの山、といった風情である。
それらの手前に座布団が敷かれていて、3組の親子が先に座っていた。
「失礼する」
先に集まっていた親子に倣って、俺達も座布団に腰を下ろした。
隣に座っている子供の顔を見てみれば、なんと知り合いではないか。
安倍家の懇親会で目を付けた才能がありそうな子の1人である。
たしか名前は……そら君……だったような……。
「久しぶり。元気だった?」
「……」
あ、この顔は俺のこと覚えてないな。
俺も君の名前うろ覚えだからおあいこだね。
「先日はどうも」
「こちらこそ、その節はお世話になりました。あれから調子はいかがですかな」
子の後ろに座る親達も世間話に興じている。
親父はここへ来る途中、更衣室を借りてスーツから陰陽師の正装に着替えていた。それは他の父親たちも同じようで、狩衣姿の男が集まって話す様子はなんとも見慣れない光景である。
俺は俺で推定そら君とどうやって会話しようか悩んでいると、予約していた最後の1組が来てしまった。
ここまで案内してくれた神職が御祈祷の最終準備を始める。その後ろで年季の入った巫女装束の女性が、儀式の流れを簡単に説明してくれた。
ついに準備が整ったようだ。
神職が女神像に拝礼し、俺たちの方へ向き直って語り始める。
「この場に集いし5人の幼子が、今日この日を無事に迎えられましたこと、心よりお慶び申し上げます。現世の安寧秩序を守る陽の子らはいつの時代も宝であり、貴君らの誕生を全ての民が歓迎するでしょう。この慶事を祝しまして――」
神職の長い挨拶を要約すれば「生まれてきてくれてありがとう。これからも健やかに成長することを祈ってるよ。遅くなったけど神様に挨拶をしようか」といった内容だ。
遅くなったというのは多分、3歳参りのことを言っているのだろう。
平安時代、3歳まで髪の毛を剃ることで健康な頭髪を得られると信じられており、ようやく伸ばし始める「髪置の儀」が起源となった3歳のお参り。
それに反するように、生まれてからずっと髪を伸ばし続ける陰陽師の家系は、3歳で七五三詣をしない。
その代わり、5歳の男児と7歳の女児は、特別な御祈祷を受け、特別な捧げものをお供えする。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原に、御禊祓へ給ひし時に――」
まずは神主さんが祓詞を奏上する。
神様へご挨拶する前に、お祓いをして罪穢を祓い清めなければならない。
神職が御幣を左右に振り、鬼退治でも活躍した紙垂が揺れてカサカサと音を立てる。
薄暗い部屋の中に神職の声と紙垂の鳴らす音が響き、いよいよ儀式っぽくなってきた。
続けて祝詞を奏上する。
「~~~~~~~~」
えっ、声小さい!
さっきまで奏上していた祓詞は部屋全体に響き渡っていたのに、本命の祝詞が始まった瞬間、呟くような声にボリュームダウンした。
もしかして、陰陽師でいうところの秘伝や秘術に関わるものなのだろうか。
神道については簡単にしか教わっていないから、詳しい所は分からない。
ただ、儀式は粛々と進んでいるらしく、神職が傍に用意していた玉串を手に取った。
「峡部 聖 殿」
「はい」
子供達が飽き始めた頃、事前説明通り参加している子供の名前が呼ばれた。
元気よく返事をした俺は前へ出て、神職から捧げものである玉串を受け取り、恭しく神前にお供えする。
親父の指導によって、この辺りの所作は完璧だ。
神に関わる儀式は失礼のないよう、しっかりと行わなければならない。
――神は実在するのだから。
前世では、神が存在するとは思っていなかった。
八百万の神がいると聞いて米を残さず食べ、都合のいい時だけ神頼みし、元旦に家族とお寺で初詣をして、12月24日にはクリスマスを祝う。
そんな、無宗教とか言いながら雑多な宗教をイベントに利用する、ある意味日本人らしい信仰心しか持っていなかった。
だが、峡部家に生まれた俺は様々な経験を経て、神の実在を信じるようになった。
姿こそ現さないものの、人類に祝福や預言を授けてくれる上位存在として、陰陽師界では確かにその存在を認識されている。
そもそも、不思議生物然り、幽霊然り、存在しないと思っていたものが道端を歩いていたりするのだ。
これまで見えていなかっただけで、神様がどこかにいたとしてもおかしくはない。
俺だけでなく、他の子供達も親からみっちり教わったのだろう。拙いながらも正しい所作で玉串をお供えしている。
親父曰く「智夫雄張之冨合様を始めとした神々は、人の子の多少の無礼など気になさらない」とのことだが、こういうのは気持ちの問題だ。
さて、ここまでは普通の七五三である。
拝殿で見た子供達も同じ儀式を受けているだろう。
だが、ここからは少し違う。
陰陽師の家系に生まれた子供にとっては、この後の奉納こそが本命だ。