鬼退治4
逆茂木の向こうから再び札の連射を行う親父。
逆茂木を迂回して親父に迫る鬼。
それを迎え撃つ式神たち……は、速攻で蹴散らされた。
戦闘は親父の劣勢で再開され、一歩間違えれば即死しかねない、本当の意味での鬼ごっこが始まった。
さっきの攻防を見ていても驚いたが、親父は結構足が速い。
痩せぎすな男がこんなに動けるなんて、人は見かけによらないな。
「大地の防壁よ我を護れ。急急如律令!」
「金の防壁よ我を護れ。急急如律令!」
「金の薄層は広がりて敵を包み隠さん。急急如律令!」
急急如律令便利すぎない?
本来の詠唱だいぶ端折ってるよね。
戦闘中に使うことがあるとは聞いていたが、こんなに連発するものだとは思わなかった。
たしか、陣の発動を早める代わりに威力や効果が下がるはず。
「ガァァアアア!」
まぁ、あの鬼に追われて悠長に詠唱している暇もないか。
戦いというと派手で格好いい場面を想像する人が多い。
俺も陰陽師になったら華麗な戦いを出来るのかなと妄想したものだ。
だが、いま目の前で繰り広げられている戦いは何とも泥臭い。
親父が走って逃げて、その先に設置した陣を起動して追ってくる鬼と距離を取り、札で攻撃してまた逃げる。
その繰り返しだ。命懸けの戦いに華を求めるのは間違っていたか。
それにしたって、鬼の回避力が高すぎる。親父の設置した陣がことごとくノーダメージで終わっていく。
巨大な陣の描かれた紙には特殊な塩が撒かれており、この塩によって人外の敵に罠の存在を視認させないようにできる……らしい。正直半信半疑だった。がっつり見えてるし。
でも、鬼が無防備に罠を踏んでいるあたり、本当なのだろう。
その不可視化された陣が起動する瞬間、なぜか鬼がその場からすぐに退避してしまう。
まるで陣の位置が見えているような……あっ。
「あの鬼、僕たちの視線から陣の位置を把握してる」
「言われてみれば、たまにこっち見てるな……。マジか、強の邪魔しちまった」
鬼には見えずとも、俺達からは丸見えである。
戦いの流れを予想しようとしてついつい視線が向かってしまう。
改めて観察してみれば、親父は鬼から視線を逸らすことなく戦っている。
籾さんと俺の2つの視線から位置を悟られてしまったのかもしれない。
親父、ごめん。
俺達が視線に注意してからは陣による攻撃が鬼に当たり始めた。
もともと頑強な肉体によって耐えられてしまうが、事前に察知されていなければ多少はダメージを負わせることができる。
攻守ともに陣の方が札より高威力なのだ。
「峡部家が始祖、紅葉様よご覧あれ。峡部家当主強が金の祝福を希う。鬼門より来たりし難敵に純なる苦土の洗礼を」
長めの詠唱に加えて印まで結び、せっかく稼いだ距離が詰められてしまった。
この陣は俺も知らない。今日用意したものではなく、事前に用意したものだろう。
陣を中心に地面が海のように揺らぎ、大きな土砂の波が鬼へ襲い掛かった。
回避不可能な範囲攻撃に、鬼はこれまで同様自らのフィジカルでゴリ押ししてきた。
「ガァァァァアアアアアア」
人間には不可能な荒業で土砂を突き抜け、自身の攻撃範囲に獲物を捕らえた。
これまで募りに募った怒りが鬼の拳に乗せられ、親父に迫る。
「親父!」
俺は無意識に右手から触手を伸ばしていた。
鬼の剛腕が人間に当たればタダでは済まない。即死だってありえる。
全速力で鬼と親父の間に割り込もうとした触手は、頭に乗せられた大きな掌によって動きを止めた。
「心配するな。見ろ」
親父は即座に札を操り、簡易結界を張った。
非物質の結界は札だけでお手軽に作れるが、その分脆い。
しかも相手は妖怪ではなく式神。効果は半減以下だ。
「ぐぅっ」
予想通り結界はあっさり破壊され、親父はボウリングのピンのように殴り飛ばされてしまった。
多少緩和できたとはいえ、岩をも砕く拳相手に人間がかなうはずもない。
土煙をあげて転がった親父は生きているだろうか。
俺の頭には未だ籾さんの手が乗っている。これがなければ今すぐ駆け寄っていただろう。
「よく見ろ。お前の親父はまだ負けちゃいない」
籾さんの声を聞き、狭まっていた視界が広がる。
遠く離れたこの場所からでも見て取れた――土煙の向こうにて、右腕を支えに起き上がる親父の顔に浮かぶ、衰えぬ戦意が。
まだ諦めていないのなら、式神との契約に他人が手を出してはいけない。
俺は鬼の首元まで伸ばしていた触手を回収した。
「そういえば、さっき父親のことを親父って呼んだか? 俺の話し方は真似するなよ。麗華さんに怒られちまう」
俺の気を落ち着かせるためか、籾さんはわざとらしくそんなことを言う。
籾さんの気遣いはありがたいが、そんなことよりも、左腕を庇いふらつきながら立ち上がる親父の方が心配だ。
何か対策をしていたのだろう、盾にした左腕が脱力していること以外に外傷は見られない。予想よりも大事なさそうで安心した。
だとしても、なんでこんな無茶を。
籾さんも、いざという時は今じゃないのか?
ことここに至って、俺は根本的な疑問を抱いた。
「ねぇ籾さん。お父さんはどうして鬼と戦ってるの? 鬼がいなくても仕事できるのに」
あんな危険な戦いに、それも避けることができた戦いに、わざわざ臨む必要はあるのだろうか。
今までだって安定した生活を送れていたはず。
俺からすれば、鬼を従えられるメリットよりも、命の危険というデメリットの方が大きすぎるように思う。
親父はなぜ……。
「俺の知る限りでは3つ理由がある。1つは高校時代からの悲願だったから。もう1つは、前衛がいれば個人で活動できるから。最後の1つは、子供に格好悪い所を見せたくないから、かね。聖坊は将来立派な陰陽師になる。父親として、息子の足を引っ張るのだけは嫌だったんだろうよ」
足を引っ張る?
そう言われてもすぐにはピンとこなかった。
だが、陰陽師という家業の特性を思い出せば、籾さんが何を言わんとしているのかは理解できる。
旧態依然とした陰陽師界では、個人の名前より家の名前が先に出てくる。
数世代にわたる実績がその家の評判となり、長年かけた評判も一度の失敗であっという間に失われてしまう。
落ち目になった家の評判を元に戻すには、地道に信頼を回復するか、よほど大きな実績を出さなければならない。
会社の評判と同じだな。
峡部家先代当主――俺の祖父母の顛末を聞いたとき、俺に式神を継承できないことを親父は謝っていた。
そして、成人の儀という呼び名を考慮すると、本来峡部家の当主は鬼を従えて初めて一人前と認められるのではないだろうか。
この予想が正しいとすれば、今までの親父は半人前の状態で働いていたことになる。
結構プライドの高い親父にとって、それはコンプレックスだったに違いない。
鬼を従えている祖父の姿を見て育った親父には、あまりにも高い理想が心の中で聳えていたのだ。
前世の親父は普通のサラリーマンで、俺も全く関係ない仕事に就いたから、失業以外で子供の足を引っ張る可能性に思い至らなかった。
「あの顔は……聖坊、見てろ。何か始まるぞ」
付き合いの長い籾さんは、立ち上がった親父の顔から何か読み取ったようだ。
いつの間にか下を向いていた俺が視線を戻すと、戦況はさらに悪化していた。
もはや走って逃げることも出来ない親父のすぐ傍に、鬼が近づいている。
数歩踏み出せば簡単に親父をぶち転がせる、鬼にとって必殺の間合いで、獲物が逃げられないことを理解してのゆったりとした足取りであった。
札を当てても無傷、陣も大して効かない、親父の肉体は既に満身創痍。
あの辺りには陣も設置されていない。
籾さん、この状況から親父に何が出来ると?
この場の誰よりも先に俺が諦めかけたその瞬間。
「急急如律令」
訓練場が、いや、周辺の山一帯が――光に包まれた。
「ガァァァァアアアアアア!!」
最初に光を放ったのは、親父が飛ばした一枚の札。
それはこの戦いで何度も使われた焔之札で、追い詰められた獲物の苦し紛れの一撃にしか見えなかった。
これまで同様鬼は顔面で受け止め、無傷で終わる――かに思えた。
俺の予想に反し、炎の赤い光に続き、強烈な白い光が鬼の顔面から放たれる。
その光はやがて鬼の全身へ広がり、さらに戦場の大地へと広がった。至近距離で強烈な光を直視した鬼は目を庇いながら後ろへ下がろうとし――動けないことに気が付く。
陣が設置されていないはずの地面から、紙垂が伸びている。
最初に使われた紙垂縛鎖陣が何故ここに?
白い光の海の中で、目を瞑った親父が指笛を鳴らす。
すると、蹴散らされてから姿の見えなかった狛犬が親父の下へ駆け寄ってきた。
その口には鞘に納められた刀が咥えられている。遠目でもなんか強そうな気配を感じる刀だ。
刀を受け取った親父は右手で腰に差し、慣れた手つきで鞘から刀身を抜いた。何か札が貼ってあるように見える。
「お前は優しすぎる。止めを刺せる場面でいつも手を抜いていたな。私の顔を覚えていたのかもしれないが……決闘での手加減は相手への侮辱に等しい」
戦いが始まってから詠唱以外で一度も口を開かなかった親父が、明朗な声で語りだす。
それはまるで、勝利を確信した者の宣言のようで。
「今の私は、あの頃の私とは違う。召喚者として、峡部家当主として、力を示そう」
親父の言葉と同時、訓練場の周囲から光の海が溢れ出し、観戦していた俺達はあまりの眩しさに目を瞑ってしまった。
薄目を開けて周囲を観察すると、訓練場を囲む5つの山の頂から光柱が天へと昇っているのが見えた。
もしかして、いや、もしかしなくとも、山を起点に超巨大な陣を築いたのか?
「聖、よく見なさい。極細霊殺陣と捻転殺之札はこう使う」
親父の声が俺の耳に届いた。
極細霊殺陣――殺意マシマシな名前のわりに補助系の陣である。
札の効果を線状に収束させ、威力を向上させる効果を持つ。
ただ、その効果はそれほど強くなく、捻転殺之札のように強力なものには使えないはず。
親父はその問題を、陣の巨大化によって無理やり克服したようだ。
親父は重いはずの刀を片手で振り上げる。
それはまるで、桃太郎が鬼を退治する場面を再現するようであった。
『侮辱された分、扱き使ってやる。覚悟しろ』
言葉の意味が分からずとも、攻撃の気配は感じ取ったのだろう。
鬼は眼前にいる人間の攻撃に対し、自慢の筋肉を引き締めることで備えようとした。目を庇う状態で腕ごと拘束されている鬼にできる、唯一の抵抗だ。
だが、親父が戦闘中に無駄口を叩くはずもない。
鬼は後ろから無防備な首を斬られ、赤い血をまき散らした。
親父は始めから眼前になどいない。
そこにあるのは地面に置かれたボイスレコーダーだけだ。
強烈な光によって目を潰された鬼は、偽装された声に翻弄され、まともな抵抗も出来ずに急所を切り裂かれた。
捻転殺之札が恐ろしいほどの切れ味を持っていることは俺も知っている。
それが刀の刃に集中したのならば、鬼の頑強な皮膚をもってしても耐えられないようだ。
地図に描き込める規模の巨大な陣を築く苦労は並大抵ではなかったはずだが、それだけの価値はあったといえよう。
結局のところ、親父の戦いは2週間の準備段階で既に終わっていたというわけだ。
親父が勝った。
冷静な印象を抱いていた親父が、まさかこんな豪快な手段で鬼の首を取るとは。
親父は一度振り下ろした刀を再度振りかぶり、ダメ押しの一撃を与えようとしている。
その光景を眺めていた俺は、家族を傷つけやがった鬼に対し『ざまぁみろ』という感情を抱くと共に、ふと、影の妖怪と遭遇した日のことを思い出した。
そして、今まさに止めを刺されようとしている鬼の姿が、なぜだか自分と重なった。
「あっ」
「勝ったな」
突然見知らぬ場所に呼び出され、こちらの話もろくに聞かず戦闘が始まり、敵は戦闘準備済み。しかも、負けたら即服従という理不尽のオンパレードを喰らう。
あれ? 召喚術ってとんでもなく外道な技なのでは?
俺が遭遇した影の妖怪、あれってもしかして妖怪じゃなくて……。
俺が嫌な可能性に思い至ったところで、首を失った鬼の身体が塵となって宙に消えていった。
契約相手の鬼にとどめ刺しちゃったけど、ここからどうするんだろう。