鬼退治3
籾さんは立会人としての役割を終え、そそくさとこちらへ戻ってくる。
その間も成人の儀は続いており、鬼と相対している親父が問いかけた。
「我が式神として従うか?」
「ガァァァァ」
交渉決裂するの早っ!
鬼が何を言っているのかさっぱり分からないが、『誰が従うかボケ』と思っているのだけは分かる。
そりゃそうだ、いきなり召喚されて「式神になれ」なんて言われて、大人しく命令に従う奴がいるはずもない。
親父が不器用すぎるから戦闘になるのであって、ちゃんと交渉すれば力量を試す必要ないのでは?
最初に動いたのは鬼である。
岩塊のような右拳を振り上げ、何もない空間へ殴りかかった。
空振りするかと思われたその拳は、陣の境界線で何かにぶつかり、ガラスが割れるような音を響かせる。それと同時に、召喚陣を描いた紙が大きく破れてしまった。
邪魔な壁を破壊した鬼は召喚陣の外へ足を踏み出す。
召喚陣に備わる檻の役割が失われたことを確認し、親父は即座に踵を返した。予定通り天岩戸の中へ逃げ込むのだ。
当然鬼も親父を追って天岩戸へ向かう。
しかし、その行く手を阻むものがいた。
「グゥワウルルルゥ」
犬型の式神が鬼の脚に噛みつき、その歩みを止めたのだ。
狛犬と呼ばれるこの式神は、神社や寺院で見かける像にとてもよく似ている。ただ、そのサイズは中型犬程度と小さく、牙は人間界においてまともな食生活が送れないレベルで鋭く尖っている。
親父が契約している唯一の戦闘向き式神とのことで、今回初めてその姿を見た。
これまでは報酬支払用の陣に霊力を注いでいただけだから、直接会ったことがないのだ。
「ッキャーーーー」
次に仕掛けたのは白毛のニホンザルに似た式神。
鬼の縮れた髪にしがみついて必死に注意を引こうとしている。
この式神は白猿と呼ばれており、普段は人間の命令を理解できる賢い監視係として召喚するらしい。
「ケーーン!」
さらに鬼の頭へ雉が襲い掛かった。
この雉は鳴女と呼ばれていた。由来は知らない。普段は上空からの偵察を担っているという。
目を狙ってくる鬱陶しい敵を追い払おうとして鬼が足を止めたから、思いのほか役に立っている。
猿と雉は戦闘に向いていない。
それでも召喚したのは、天岩戸同様伝承の再現によって縁起を担ぎ、鬼退治成功率アップを期待してのことである。陰陽術において“縁起”は結構大事だったりするのだ。
一方で、鬼を追い払うと言われている柊鰯は効果がないらしい。
そもそも、鬼や狛犬に似ているというだけで、この場にいる式神たちは本物の鬼や狛犬ではない。初めて召喚した人間が勝手にそう呼んでいるだけなのだ。
伝承で悪鬼が苦手としている柊鰯を見せられたところで、そっくりさんには何の意味も無いに決まっている。
「――封――」
式神たちが時間を稼いだおかげで、親父は無事に天岩戸へたどり着いた。
巨大な岩によってすぐさま入り口は閉ざされ、戦場の側面から観戦している俺達には親父の姿が見えなくなってしまった。
しかし、洞窟の中で親父が何をしているのかはすぐさま分かった。
洞窟の外に並べられた札がふわりと浮かび上がったから。
「ガァァァァ!」
式神たちの妨害を受け、癇癪を起こした鬼が大暴れを始めた。
必死にしがみついていた式神たちは巻き込まれないようその場を離れ、距離を取る。
地面を伝わり、離れて観戦している俺たちのところまでその衝撃が伝わってきた。外見に違わぬパワーの持ち主である。
邪魔者がいなくなり、鬼が天岩戸へ再び歩き出したところで、鬼の足元から光が浮かび上がる。
それは地面に隠された“紙垂縛鎖陣”の起動を意味した。
「グゥゥアァァ」
陣の外縁から長大な3枚の紙垂が飛び出し、雷光の速さで鬼の脚と胴体を縛り上げる。
さしもの鬼でもその縛りから逃れることは出来ず、動きを止めた。
その隙に接近する10枚の札。
鬼の目に向かって飛来し、避ける間もなく轟音と共に爆ぜた。
霊力をシンプルに燃料として扱う“焔之札”が火を噴いたのだ。
「うまくいったな」
「すごいね。あれで鬼を倒せるの?」
「いや、あの程度じゃ倒せないが、これが幾重に続けば話は違う」
初っ端から敵へ背を向けた親父だが、それは逃げるためではない。
安全な場所から確実に攻撃を行うためのポジショニングなのだ。
天岩戸の前には何十何百の札が設置されており、それらには既に親父の霊力が込められている。
札を動かせる距離は人によって違うが、親父は結構遠くまで飛ばせるそうで、安全地帯から延々と攻撃できるというわけだ。
「あのネズミたちは何をしているの?」
「鬼の位置をお前の親父に伝えてるんだ。召喚術師には式神の感覚がなんとなくわかるらしいが、距離感とかを正確に知るには1匹じゃ足りない。ああやって囲むことで、札を飛ばす方向を確認してるんだな」
親父と付き合いの長い籾さんは、俺も知らないような召喚術の知識を持っていた。
実況は俺、解説は籾さんでお送りします。
「確かに、全部当たってる。でも、あんまり効いてないね」
「相手は妖怪じゃないからな、効きが悪いのは当然だ。それでもいつもよりずっと効いてるぞ。今回はかなり予算奮発したみたいだな」
鬼の腕によってかなりの数が防がれるも、100枚爆発したあたりで顔に微かな火傷が付き始めた。
これでいつもより効いてるとか、過去の戦闘ではノーダメージだったんじゃないか。
そもそも、爆発してもほぼ無傷の鬼の皮膚が異常である。
なるほど、これが式神として味方になったら頼もしい。
時間と手間のかかる天岩戸を築くより、こいつを前衛にしてその背に守ってもらう方がコスパが良い。
でも、拘束系の陰陽術でここまで無力化されているのを見るに、万能というわけでもなさそうだ。いや、逆か?
「紙垂縛鎖陣って強力なんだね」
足止めに便利とは聞いていたが、まさかこれほどとは。
注連縄に垂らされたり、御幣につけられている紙垂は、その名の通り紙で作られている。
いくら専門店の道具とはいえ、紙じゃ千切られるのではと思っていた俺の予想をはるかに上回る拘束力をみせている。
「そりゃあ、祝福された最高級品使ったらどんな陰陽術も強力になるだろ」
ん?
祝福された最高級品?
それってまさか、店売りされていないあの祝福の祭具?!
おんみょーじチャンネルでやってた!
人類の味方をする一部の神が、祭事を通して祝福を授けるという。
我が家の神棚に飾ってある護符もそのひとつだ。
祝福を受けた道具は総じて凄まじい力を持っており、大変高い価値を持つ。
当然、神様がそうほいほい祝福を授けるはずもなく、その希少性も相まってとんでもなく高価な代物である。
よく見ればあの紙垂、神聖な光を放っているような……。
「籾さん籾さん、奮発した予算っていくらくらいかな?」
「あー、いくらだろうな。って、子供が気にすることじゃねぇ。親父の雄姿をちゃんと見てやれ」
いや、金額が気になってそれどころじゃないんですが。
霊獣の卵の時に5000万出した男が奮発したら、いったいいくら使うのか、俺には想像もつかない。
それにここ数分の間、紙垂に動きを止められた鬼が延々と爆撃を喰らっているだけで、戦闘風景は代り映えしない。ダメージも小さいし、金をかけている割には地味な光景である。
派手さを求めているわけではないが、なんというか、このままで本当に勝てるのか疑問だ。
決め手に欠けるというか……。
「ガァァァァアアアアアア」
それからさらに10分ほど一方的な攻撃が続くも、ついに鬼の抵抗が拘束力を上回った。
込めた霊力がほとんど消費されてしまい、神の祝福があっても維持できなくなったのだ。
紙垂を荒々しく破り、鬼がついに自由を手に入れた。
召喚されて早々散々な目に遭った鬼は怒り心頭といったご様子。
式神たちがちょっかいを掛けるも、意に介すことなく天岩戸へ接近する。
これまでの戦いで親父は鬼に負け続けている。
過去の戦闘でも当然、親父は結界の中で強力な部類に入る天岩戸を使ってきたに違いない。
岩塊としか表現のしようがない天岩戸から、鬼はどうやって親父を引きずり出したのだろうか……。
ドガン バギャッ
入り口を塞ぐ大岩へ殴りかかり、みるみるうちに破壊していく鬼。
予想以上に脳筋な手段だった。
おいおい、天岩戸を力づくで破壊するとか、ルール違反だろう。
天照大御神もびっくりの力技だぞ。
「すげぇ、3発耐えた!」
「あれでも耐えてる方なの? もう崩されそ……」
5発目のパンチで大岩が砕かれた。
それと同時、洞窟が自壊するように崩れていく。
自ら陣を破壊したのだろう、開かれた退路から親父が飛び出してきた。
「ガァ!」
「はっ、はっ、くっ、はっ」
安全圏を失った親父は鬼に追いかけられながら札を飛ばし続ける。
懐にしまわれていた何種類もの札が鬼の顔面を襲い続けるも、己の頑強さを頼りに鬼は止まることなく前進し続ける。
足の長さが違うせいであっという間に距離を詰められ、観戦を続ける俺は肝を冷やす。
あと少しで腕が届きそうになったその時、親父は不意にしゃがみ込んだ。
そこはちょうど俺が見学し始めた場所。
逆茂木陣が刻まれた大地に手をつき、親父は短く詠唱した。
「大地よ、我が敵の進攻を食い止めよ! 急急如律令!」
鬼の足元から先の尖った丸太が次々発生し、鬼の巨体をして後ろに下がらせた。
鬼を串刺しにすることこそ叶わなかったが、陰陽師にとって命に等しい距離を手に入れられたのだから、値千金である。
そうこうしているうちに式神たちが親父の傍に集まってくる。
大地から突き出た逆茂木を挟み、第2ラウンドが始まろうとしていた。
準備を見学した限りでは、残りの仕掛けで一方的に攻撃できる状況を作り出すのは難しいように思われる。
親父、大丈夫か?