御守りの後始末
市里が項垂れる後ろで、強と籾が話している。
「なぁ、お前の妖怪が出たって話、どこ情報だ」
緊急妖怪対策課の声はスピーカー機能で共有されていた。
籾は、やはり自分の感覚が正しかったと自信を取り戻すと共に、親友の珍しい勘違いに疑問を抱いた。
そもそも、夜中に訪問して来た時の鬼気迫る様子から、よほどの確信を抱いていることは察していたのだ。
慌てて殿部家の車に乗り込んだため、その確信を尋ねる暇はなかったが。
「聖が、嫌な予感がすると言った」
「……お前、それだけで俺を叩き起こしたのか? 明日は朝一で仕事あるんだぜ」
「いや、聖は私よりも霊感が強い。あの時渡した御守りが……」
「御守り?」
強はそこで言葉を切り、再び瞑想に入った。
召喚陣を通して一匹のネズミ型式神に指示が下る。
これまで美代の病室前で待機していたネズミが、矮躯に見合わない腕力でスライド式のドアを開け、するりと中へ忍び込んだ。
中に妖怪がいるということもなく、義理の母は静かに眠っている。
妖怪はこの部屋に来ていない。
殺人型の妖怪が襲撃したのならば、部屋中真っ赤な血で染まっていることだろう。
何も起こっていない平穏な病室。
しかし、だとするとおかしなものがある。
「カーテンが切られている」
ネズミから伝わってくるぼんやりとした光景。
並の召喚術使いならば気が付かない小さな切れ目だが、強はその鋭利な切断面を見逃さなかった。
「ついて来てくれ」
「少しは説明しろ」
念のために妖怪がいないか確認してくると告げ、2人は別行動をとった。
夜勤の病院関係者に許可を取り、美代の病室へ忍び込む。
「こりゃあ、居たな」
病室に入った瞬間、微かな腐臭が籾の鼻腔を襲った。
本体を前にした時とは比べ物にならないほど微かなものだが、悪い意味でフレッシュなこの感じは、少し前までここに妖怪がいたことを知らせてくれる。
「退治されたようだ」
「なんだ、撃退用の陣でも隠してたのか?」
妖怪の残り香がありながら、病室の患者が無事ということはそれしか考えられない。
残る可能性としては、流れの陰陽師がたまたま駆け付けたなど、ありえないものだけだ。
「いや、守護の御守りだ」
「あれは妖怪を倒すようなもんじゃないだろ」
強の隣に並んだ籾は、ベッドの上に散らばる切断された御守りを見た。
それはカーテンにつけられた切断面と同じものである。
既に御守りとしての効果すら残っていない。つまり、強の作った御守り以外の何かが妖怪を退治したということ。
心当たりはひとつしかない。
「……私が撃退用の陣を用意していたことにする」
「さっきからお前ひとりで納得して、俺には何が何だか分からねぇんだが……分かった。妖怪は退治されたみてぇだし、そういうことにしておいてやる。後でちゃんと説明しろよ」
2人の現場調査、および証言によって、今回の報告書は以下のようにまとめられた。
・原因は担当陰陽師の陰気霧散効果範囲が足りなかったため。
・きっかけは不明、脅威度3の妖怪が病院上空に発生。
・最初のターゲットは発生地点から最も近い病室の患者。
・峡部家が親族のために設置しておいた陣によって退治された。
・被害者0、目撃者1。
・病院経営陣と担当陰陽師には後日、陰陽庁の指導が入る。
殿部家の証言もあり、この事件の調査は簡易的なもので終わった。
もともと病院での低級妖怪発生は珍しくもない。
妖怪の発生件数は近年増加しており、全く被害の出なかった事件に人員を割けなかった、という事情もある。
美代の精神的負荷を除けば、今回の一件で被害を受けたのはただ1人。
脅威度3の妖怪にあっさり結界を破られたへっぽこ陰陽師、という不名誉な烙印を押された男だけだ。
『今回の事故に対する改善案を提出していただけますか』
『契約時には病院全域をカバーできるとおっしゃっていましたが、なぜこのような事態に』
『結果的に被害が小さかったからよかったものの、この責任をどうとってくださるのでしょうか』
「って、大勢で俺を囲んでネチネチネチネチ詰ってくるんですよ! 俺がこの案件から逃げられないのを知ってて!」
その男は酒を飲みながら泣いていた。
かなりプライドの高いこの男、酒の力をかりてようやく涙を流せている。
世間一般の責任を取る=辞職、というパターンが多いが、陰陽師界ではそれは推奨されていない。
どれだけ対策していても妖怪が発生する時は発生する。
ならば、その時の反省を活かし、より経験を積んだ陰陽師に引き続き仕事を任せた方が、人類にとって益となる。
いつの世も戦いを生業とする業界は人員が足りない。陰陽師界は遥か昔からこの手の失敗に対して寛容なのであった。
しかし、失敗した人間に対して世間の風当たりが強いことに違いはない。
陰陽庁と関東陰陽師会、クライアントである病院経営陣、方々への後始末で彼はここしばらく慌しい日々を過ごしていた。
ようやくひと段落ついたところで、そんな彼の家を訪ねる者がいた。
「まぁまぁ、被害者が出なかっただけ良かったじゃねぇか。辛いことは飲んで忘れろ」
同じ結界術を継承する家系の先輩として、殿部が酒を片手に様子を見に来たのだ。
事情があったとはいえ、虚偽の報告をしてしまった罪滅ぼしも兼ねている。
「脅威度3に破られるなんておかしい……。絶対4だったって……。でもそれだったら被害者いないのはおかしいし……。もう何が起こったってんだよ」
「何が起こったんだろうな」
殿部は惚けながら市里のコップに酒を注ぐ。
思い出すのは、強から聞いた驚愕の事実。
(いやはや、聖坊は普通じゃないと思っていたが……。まさかあの歳で妖怪倒せるレベルになってるとは思わねぇって)
強の推測では、聖が作った御守りが脅威度4相当の妖怪を倒したとのこと。
空気清浄機のような代物と思っていた守護の御守り。
それがまさか、複数の陰陽師が協力して倒すレベルの強敵を倒せるとは、さすがの殿部も予想外だった。
(霊力が異常に多くて、既に召喚陣を描けるほど知識を習得してるとか……ちょっと見ない間に成長しすぎだろ)
その異常な霊力によって、守護の御守りの忘れられた効果を発揮したのではないか、というのが強の推測だ。信憑性は定かでないが、峡部家の古い文献にも“御守りのおかげで身内を守ることができた”と記録があったらしい。
どれもこれも確証はないはずだが、強はなぜか確信しているようだった。
少なくとも、病室に残された唯一の可能性が、聖の御守りだけであったことは事実である。
(何か考え込んでやがったなぁ。今回の功績も隠したし、変なことしなけりゃいいんだが)
彼の親友は1人で悩んで1人で決断することが多い。
それは本人の性格だけでなく、両親が亡くなってからそうせざるを得なかったという事情もある。
しかし、大きな決断をする時に限って、毎回なにかしら失敗をやらかす男でもあった。
そんな彼の息子もなにやら危うい様子。
こんなことなら娘の加奈も一緒にデビューさせてやるべきだったかと、殿部は少し後悔していた。
「聞いてくださいよ、殿部さん。あいつら大勢で囲んでネチネチネチネチ詰ってくるんですよ」
「はいはい、聞いてる聞いてる」
「結界を修復したら完全に赤字だし、不名誉な噂が流れるし……もう本当についてねぇ」
「陰気霧散効果範囲の高さが足りなかったのは事実だろ。これに懲りたら感覚だけじゃなく、きちんと計算して結界をだな」
「それはそうなんですけどぉ……でも酷いんですよ、あいつら大勢で囲んで」
「はいはい、大変だったな」
殿部は酔っ払いをあしらいながら、ご近所さんの未来を案ずるのだった。