安倍家
安倍家現当主、57代目 安倍 晴明。
陰陽師界のトップに立つ男がそこにいた。
彼からは前世で一度見かけたことのある大企業の社長と同じものを感じる。多くの人々を導く力強いオーラのようなものだ。
「皆、良く集まってくれた。今宵は次代を担う陰陽師の卵たちに、新たな出会いの機会を作りたくこの場を用意した。私の子供たちも君たちと同じ年頃だ。ぜひ仲良くしてほしい。……私がいては落ち着かないだろう、これにて失礼する。皆、楽しんでくれたまえ」
そう言って、安倍家当主は部屋を後にする。
隣に控えていた子供たちの肩を鼓舞するように叩いて。
「安倍 晴空! 6歳、よろしくお願いします!」
「安倍 明里です。よろしくお願いします」
元気よく挨拶したのは安倍家の嫡男、次代の陰陽師界を支える期待の新星。俺の今回のメインターゲット。彼と仲良くなれば将来間違いなく有利になる。絶対に仲良くならねば。
と、思っていたのだが……
彼の後に控えめな声で挨拶する安倍家のご息女、明里ちゃんを見て気が変わった。
可愛い……艶やかな黒髪がさらりと流れる。お人形さんのような整った顔立ちに、二重の大きな瞳が大勢の視線を受けて不安げに揺れている。俺はロリコンじゃなかったはずだが、思わず抱きしめて安心させてあげたい欲求に駆られた。
俺のメインターゲットが変更された。
明里ちゃんは俺の人生のヒロインかもしれない。前世で経験した初恋なんて目じゃない衝撃が俺に走った。
2人はさらに後ろに控えていた母親に背中を押されて子供たちの輪へ入って来た。
子供達も、どこか自分の住む世界と違う雰囲気を持つ2人に話しかけづらさを感じているようで、遠巻きにしている。
そんななか、1人の少年が母親に耳打ちされ、晴空くんへ近づく。
「はじめまして、神楽 支です。なかよくしてください!」
「おう、よろしくな!」
しまった、一番に話しかけて印象を残す作戦が実行できなかった。
明里ちゃんの方にも既に話しかけている子供がいる。
先ほどの苗字を聞くに、陰陽師界でもかなり上の方にいる名家の子供達だ。
やはりこういう懇親会では身分の高い人間から声を掛けていくものなのだろう。
とはいえ、それは大人たちの懇親会での話。子供達にはそんなもの関係ない。
次第に2人が怖い人ではないと分かり、子供たちが群がっていく。
自分には持っていないものを持つ彼らに興味を持ち、他人が興味を持つ者に興味を持つ。なんとも子供らしい行動原理で2人はあっという間に囲まれ、男女2つのグループができてしまった。
ふむ、この人の輪をかき分けていくのはちょっとな……。
いやいや、積極的に生きようと決めたはず。
でも、子供たちを押しのけたら可哀そうだし。
俺がしばらく様子見をしようと決めたその時、輪の中心人物が声を上げた。
「なぁ、一緒に遊ぼうぜ! 鬼ごっこするひとー!」
周囲に集まった男子たちが皆手を上げて参加表明している。
まだ子供なのにナチュラルに人を従えているあたり、さすがは陰陽師界トップの息子。
とはいえ、その提案は子供らしい。鬼ごっこかぁ、大部屋とはいえ畳敷きなうえ、たくさん人がいるこの場で鬼ごっこをするには狭すぎる。
ちゃっかり手を上げている俺が心配することじゃないか。
「おい、紙を用意しろ!」
晴空くんが使用人に向かって命令する。
すごい、人を使うことに躊躇いがない。両親がしていることを真似しているのだろうか。
その割には明里ちゃんは控えめな性格をしている。
個性が出ているだけかな。すぐに挨拶に飽きた晴空君と違い、周りの女の子と一人一人丁寧に話している明里ちゃん、可愛い。
そうこうしているうちに、使用人の女性が子供たちに人型に切り抜かれた紙を配っていた。
紙には墨で飛行の陣が描かれている。
なるほど、俺達は陰陽師の卵、自ら体を動かすのではなく、霊力を操って鬼ごっこをさせると……面白い。
「最初は俺が鬼な! 準備は良いか……始め!」
皆が人形代に霊力を込めている。
まだ霊力を込められない子供や苦手な子供が苦戦している。体格的に4歳くらいの子供の大半は飛ばせていないようで、5歳くらいは霊力に集中して飛ばし、6歳は当たり前のようにスイスイ飛ばしている。
つまり、すぐさま人形代を飛ばした4歳くらいの子供数名は才能ある者なのだろう。一応覚えておこう。
まさか、そんな狙いがあって晴空くんは鬼ごっこを提案したのか?
霊力が込められない子供達には構わず鬼ごっこが開始される。
待ちきれないという子供らしさと、鬼を最初に自分が引き受ける展開力、彼の性格がなんとなく分かってきた。
「待て待て~!」
「うわっ、こっちにきた」
「は、はやすぎるよ~」
ほう、なかなかの霊力だな。
あのスピードを出してガス欠にならないということは、彼の霊力は俺がイレギュラーを吸収した後くらいの量はあるのだろう。
逃げ惑う人形代をおちょくるようにビュンビュン飛ばしている。
「へへへ、俺を捕まえてみろ!」
ははぁ~ん。これはあれだな。
この遊びを何度もしていて、自分が強い霊力を持っていると知ったんだ。そして、かなり調子に乗っていると見た。
事実、同業者の大人も彼を褒め称えるだろうし、使用人がたくさんいていつでも自分に従う。そのうえ、これだけの霊力と才能に恵まれれば両親も彼を誉めそやすに違いない。
俺だってそんな環境に居たら調子に乗ってしまうだろう。
しかし、それはよろしくない。
子供の頃から調子に乗りすぎると、大人になってもそのノリで生きてしまう者が極まれにいる。
そういう奴は総じて面倒くさい。子供のノリのまま大人らしい振る舞いができないから、一緒に仕事をしていて不快な思いをさせられる。しかも、悪意がないから始末が悪い。
成人したからって大人になれるとは限らない。大人たろうとする意志のみが大人になるための資格なのだから。
ということで、ここはひとつ凡人の気持ちを理解してもらおう。
大人になってから挫折すると大怪我するが、子供のうちなら遊びで安全に学べる。
彼の得意分野である札飛ばしで負かし、ちょっと強くなったからって調子に乗ってはいけないと教えてあげるのだ。
あれ? 俺の方が調子乗ってる?
気をつけなきゃ。
でも、現状俺の方が一段上にいることは事実だ。
ついでに俺という存在を意識してもらおう。
好きの反対は無関心。ライバルポジションでも何でもいい。まずは俺のことを覚えてもらうことが大事だ。
よし、俺が鬼になった。狙う相手は当然———
「へへへ、こっちこっち……うおっ、はやっ、このっ」
晴空くんが余裕の笑みを崩した。
今までの鬼ごっこは自分が絶対に勝てるフィールドだったのだろう。
俺の人形代が彼に迫ると慌ててスピードを上げた。霊力操作もかなり上手で、カーブや鋭角に動いて俺を引き離そうとする。
ふっふっふ、可愛いもんよ。俺からすれば正しく児戯に等しい。その程度で俺から逃げられると思うなよ。
悪戯心が湧き、わざと晴空くんの先回りをしたり、タッチギリギリまで後ろに迫ったりする。
あぁ、子供の残酷な悪戯心ってこんな感じだったっけ。懐かしい。
「うぅぅぅぅう……このっ、このぉぉぉ! ……うぅ、捕まった」
なかなか粘ったが、俺の鍛え上げた霊力には敵うはずがない。
晴空くんは息を荒げて自らの敗北を噛みしめている。
1つの勝利の裏には沢山の敗北が転がっている。下の者の気持ちを理解すれば、決して傲慢な態度を取ろうとは思えなくなる。
あれ、俺の今の態度もかなり傲慢なような……気を付けよう。
晴空くんにはいつか札飛ばしの技術で追い越される可能性があるし、練習を頑張らねば。
俺と晴空くんの戦いを見ていた他の子供たちは口をぽかんと開けて茫然としている。霊力のコントロールが切れたのか、人形代がひらひら舞いながら落ちていた。
君たちも数年後にはこれくらいできるようになる。今この時期にできる子供は少ないだろうけど。
「お兄様が負けた」
その声は静かな大部屋にやけに響いた。