初戦闘
町並みは普通の人間世界と同じなのに、奇妙な子供と邂逅してはっきりと理解できた———ここは人間の住む世界ではないのだと。
「俺の言葉が分かるの?」
「`+*#`%、+#*!`#+#%%_#+#_#+#_」
意味は分かるのに話が通じない。
なんだこいつ、ガキ大将か? 友人帳でも作ってるのか?
精霊って、俺は人間だぞ。何かと間違えてないか。
頭が痛いときにこういう手合いと話していたくないのだが……。
「俺は人間だ。勝負とか意味わからないし、そもそもここはどこなんだ」
「`*#*#`#?$`#*{}」?!$P~{+*$#%’(#?$~{*`#?$~{*`#?$~{*`#?$~{*`」
精霊界?
返還陣?
契約?
気になるワードが多すぎる。
何が何だか分からない。
ただ、こいつが帰る方法を持っていることだけは分かった。
「勝負しないと帰してくれなさそうだな。それで、勝負って何をするんだ? さっきから頭が痛くてかなり辛いんだ。それに見ての通り幼児だから、俺に出来ることは限られるけど……」
「ほぅ? 弱点を晒すなんて余裕じゃんか。勝負内容は決まりだな、決闘だ!」
「おい、ちょっと待て! 人の話を聞け! いや、聞いてくださいよ」
丁寧語にしても謎の少年は聞き入れてくれなかった。
人の話を聞かないタイプらしい。
それに対して俺は、彼とやり取りをする間にどんどん未知の言語の意味が理解できるようになっていく。
彼は木の棒を拾って地面に大きな円を描き、まるでここが戦いの舞台だと言わんばかりに俺達の周りを囲った。
「俺の名はドラグラード・ガルグニア・ドラガルド。ドラグラード族、ガルグニアの息子、ドラガルドだ! さぁ、お前も名乗れ! 真名を賭けた神聖な決闘だ!」
真っ黒な顔からは表情なんて読み取れない。
そのはずなのに、彼はいま好戦的な笑みをうかべていると分かる。
これは、勝負とやらを受けるしかなさそうだ。現状彼しか頼れないし、お願いしても全く聞き入れてくれなかったし、負けても帰してくれるらしいし。
何よりこの場所に長居したくない。頭痛は言うまでもないが、なんというか、ここにいたらダメな気がするんだ。このままここに住んでいたくなるような、不気味な心地よさを感じ始めている。理屈じゃなくて本能がそう叫んでいる。
だが、真名って何のことだ?
そんなファンタジックなもの俺は知らな……あっ、そういえば聖っていうのは誕生の儀でつけられた名前の一部だったっけ。
たしか……
「俺の名前は峡部 聖宗陣大栄神郎。その決闘を受けよう。本当に帰してくれるんだよな」
「当たり前だ。神聖な決闘は絶対に守られるんだ。だからお前も、負けたら俺の子分になれ!」
勝負といっても子供同士の微笑ましい喧嘩だよな。
身体強化すれば無傷で終わるよな。
そんな期待が頭に浮かぶが……嫌な予感がする。
「負けを認めるか、意識を失った方の負けだ! *時の鐘が開始の合図だ。いいな!」
俺、もしかしたらバトル漫画の世界に来てしまったのかもしれない。
前世から今まで通して全く戦いに縁のない暮らしをしてきたのに、3歳半で喧嘩する羽目になるとか、予想だにしなかった。
あれ? そういえば生まれてすぐ不思議生物と戦ってる。あれもある意味喧嘩か。
ははは、頭が痛くて思考がまとまらねぇ。さっさとこの場を離れたい。
勝っても負けてもいいとはいえ、俺だって男だ、勝負事には勝ちたい。
しかし、喧嘩なんてどうすればいいのだろうか。金的とかアリ? そもそもこいつは人間じゃないから急所があるのかないのか。
ぐるぐる巡る思考もタイムアップ。
ゴ―――――ン ゴ―――――ン ゴ―――――ン
鐘が、鳴った。
「うごっ!!」
「なんだ、精霊つってもこんなもんかよ。大したことねぇな」
こんな奇妙な世界だ、何が起こるか分からない。念には念を入れて全身の身体強化を意識的に引き上げておいた。
これで大抵の攻撃は痛くも痒くもないだろう、そう思っていた俺の腹に、少年の拳が突き刺さった。
人生で一度も感じたことのない激痛と衝撃が俺を襲う。
内臓や骨が悲鳴を上げている。
なんだこれ、3歳児にこんな本気のパンチを繰り出すとか、ありえねぇ!
「なんだ、反撃しないのかよ。ならさっさと降参しろ」
腹を抱えて蹲っていた俺の頭に拳骨が降ってきた。
俺の顔が地面に激突する。
痛い、痛い、痛い。
こんなの子供の喧嘩じゃない。殺し合いだ。
石より硬い俺を傷つけるとか、尋常じゃない膂力でなければありえない。
そんな存在がいるとすれば……
「あぁっ」
「おいおい、これじゃあ決闘じゃなくて俺がイジメてるみたいじゃん。親父の決闘はもっと、こう、かっこいい感じだったのに」
地面へ倒れ伏した俺の横っ腹に蹴りが入り、ゴロゴロと境内を転がった。
よく分からないが、肋骨とかに罅が入っているかもしれない。
痛い、痛い、痛い。
俺を見下ろす敵が何か言っているが、ただでさえ頭痛に苛まれていたうえ、体からエマージェンシーを受け取り非常事態に陥った脳みそに理解する余裕はなかった。
そんなことよりも、もっと大事なことがある。
こいつの正体は———
「お前……妖怪だな。こんな馬鹿力妖怪しかありえない。ここは妖怪の作った結界とか、そんな感じの異空間だろう。そうか、そうだったのか。身体強化が原因じゃなくて、妖怪が俺の家に攻めてきたのか」
「あ? 何言ってんだお前」
今まで本物の妖怪と会ったことがないから気づかなかった。
そうか、妖怪は姿を変えて人間を騙したりもするのか。
言語を用いて幻惑するのか。
「妖怪なら、殺していいよな」
子供の喧嘩じゃないのなら、相手が妖怪なら、この札を使っていいはずだ。
上着のポケットから取り出したのは、クソ親父から習った10種の文様のうち、俺が覚えた3種を組み合わせた自作の札。
「俺を傷つけるお前が怖い。俺の家族を傷つけられるのが怖い。何を言っているのかさっぱり理解できないお前が怖い。だから……怖い妖怪は退治しないとな」
怖い、こいつを殺さないと大切なものを失ってしまうかもしれない。
痛い、せっかく人生をやり直せるというのに、3年で幕を閉じてしまうかもしれない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
この化け物を退治して、絶対に家に帰ってみせる!
イレギュラーとの戦闘でも経験しなかった肉体的痛みがアドレナリンをドバドバ放出させ、俺の脳を真っ赤に染め上げる。
もはや無意識にフル稼働する身体強化が、ここへ来た時のように限界突破し始めていた。
「第陸精錬——宝玉霊素全開放! これが俺の全力だ! 喰らいやがれぇぇぇぇぇ!」
やけに漲る体が素早く札へ霊素を運ぶ。
第陸精錬によって完成した、宝石のように輝く霊素、俺はそれを宝玉霊素と名付けた。
宝玉霊素が1粒札に込められるたび、眩い光が境内を照らす。
磨きに磨き上げたこの霊素の力を誇示するように、周囲の空間が揺らいで見える。
「な、なんだそれ。もしかしてそれが精霊術か?!」
喚く妖怪目掛け、俺は札を放った。
札に描かれている札飛ばしの効果で宙を飛び、俺の霊力操作によって軌道を変える。妖怪には札の変則軌道が見えなかったらしい。碌に避けもせずどてっぱらに命中した。
「これくらいドラグラード族なら耐えて———」
癇に障る声が札の衝突と共に消えた。
ざまぁみろ。
札に描いた残る2つの陣は“振動”と“回転”である。
これら単体では大した効果はない。
“振動”なら札がスマホのバイブレーションみたいに震え、“回転”なら札がクルクル回転するだけである。描陣初心者に最適な簡素な模様となっている。
しかし、峡部家陰陽術指導教本には更なる応用法が記されていた。
この2つの陣を重ね、12の楔で繋ぎ、1つの円で囲うことで、空間を振動と回転で捻じ切る凶悪な札となるのだ。
もちろんそんな技術を3歳児に教えるはずもなく、クソ親父が席を外した隙に放置された指導教本を盗み見て覚えた。
一度試しに使ってみたら、石が紙切れのように切断された。人に対して使ってはならない凶悪な札である。
………いや、上司の指示、もとい教育者の指導方針に逆らうのがダメだってことはよく理解しているんだ。クソ親父には申し訳ないと思っている。
子供のうちは安全な物から覚えて行った方が良いし、万が一暴走して大事故につながったらマズいということも重々承知していた。
だが、イレギュラーとの戦闘を通して俺は気づいてしまった。いつ敵が襲ってくるか分からないってことに。
いつどこで力が必要になるか分からない以上、攻撃手段を常に用意しておかなければならない。
ゆえに、俺は横紙破りをしてまでこの陣を習得し、札を作った。
いざという時、生き延びられるように。
イレギュラーに脚を奪われた恐怖を思い出したら、この超複雑な陣もあっさり覚えられた。
ものすごく正確に作らないと不発するから量産は難しいのだが。
しかしまぁ、試し打ちした時に札へ注ぎ込んだのは普通の霊力だったから、宝玉霊素を使ったらどうなるかまでは知らなかった。
妖怪の腹を中心に空間が歪曲し、半径10mの球状に効果が及んだ。
境内の石畳が全て粉みじんになって吹き飛び、地面が半球状に抉れている。
中心にいた妖怪は四肢があらゆる方向にねじ曲がり、次の瞬間には真っ黒な血をまき散らしながら捻じ切れた。
空間が捻じれているせいか、絶叫を上げている妖怪の声が遮断されている。
1分ほど札の効果は続き、嵐が去ったようにフッと消えた。
結果を見ると、俺が試したときの1000倍くらい恐ろしいことになっている。
札の消失と同時に頭のズキズキする痛みが治まってきた。
理由は分からないが、この際どうでもいい。
そんなことより目の前の妖怪に止めを刺さねば。
驚いたことに妖怪はまだ原形を保っていた。
捻じ切れた四肢も粉微塵になっていないし、胴体に至っては腹部が八つ裂きになっているだけである。首がくっついているのには驚きのあまり言葉も出ない。
やった本人が言うのも何だが、あれほど凄まじい破壊力でも殺しきれないとは……妖怪を甘く見ていた。
相手は妖怪だ。
出血多量如きでは死なないかもしれない。頭をすりつぶしたほうがいいだろう。
念には念を入れて胴体も燃やしたい。
溜め込んで来た宝玉霊素は全て使い切ってしまったし、第伍精錬霊素でもう一撃加えよう。
そう考えてポケットから札を取り出したその瞬間、俺は元の自宅に戻っていた。
まばたき1つしたのを境に、風景が一変したのだ。
それは正しく俺があの異世界に迷い込んだ時と同じであった。
「……は? え? 何が起こった? なんで元に戻ってる?」
妖怪を殺したから結界的な何かが消えたのだろうか、はたまた別の原因が?
あっ、身体強化がいつの間にか限界突破している。
もしかして、それが原因?
こうして、俺の初戦闘は訳が分からないまま幕を閉じたのだった。