潮舵金哉神社
仕事や陰陽術の研究をしているうちに、夏休みも半ばに差し掛かった。
なのに、当初予定していた計画の半分も消化できていないのは、俺の計画性のなさの表れだろうか。いや、夏休みの妖怪が悪さをしているんだろう。そうに違いない。
楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。
そんな夏休みの朝はランニングから始まる。
「はぁっ、はぁっ」
夏休みといえど、トレーニングは欠かさない。
せっかく前世よりも恵まれた肉体を貰ったのだから、磨かなければ損である。
そして、来年の運動会で武士に勝つのだ。
「おはようございます」
「おはようございます」
太陽が昇り始めた朝、涼しいうちに汗をかこうとする同士は多い。
武士も武僧も陰陽師も、将来を見据えている生徒はトレーニングを欠かさないのだ。
つまり、毎日走るくらいじゃ武士との差は埋まらないわけで……。
研究のために調べ始めた強化外骨格の知識。それを流用したら、触手で加速できたりしないだろうか?
絶対にバレない触手ドーピングを真剣に検討していると、校門前で見知った顔に出会った。
「おっ、聖じゃないか!」
「おはようございます、晴空君。皆さんお揃いで、どこか出かけるんですか?」
校門前に止まるマイクロバスの周りには、晴空君の取り巻き達が集まっていた。
一人学園内を見つめる晴空君は、誰かを待っているようだ。
「これからラッシーの、いや、神楽家の舞を見に行くんだ」
神楽家の嫡男──神楽 支は、俺達と同じ救世主候補であり、晴空君の取り巻きの一人である。
彼の家系は歴史ある陰陽師であり、妖怪退治で危機に陥ったところを神に助けられ、数百年前からその神を信仰している。
神の名は、潮舵金哉神。
神様に愛されているという神楽の一族は、陰陽師の戦闘でもその恩寵を受けており、感謝の印に毎年奉納舞をするらしい。
彼らはその祭祀を見学するようだ。
「そうだ! 聖も行かないか?」
晴空君が妙案を思いついたという顔で提案してきた。
「飛び入り参加していいんですか?」
「招待状に学園生の友達を呼んでいいと書いてあった。問題ない!」
有力な陰陽師関係者だけが集まるというその祭祀に参加できるとあらば、参加しない手はない。
というか、なぜ我が家に招待状が来なかったんだ。
まだ有力判定されてないのか?
「是非お供させてください」
「よし、急いで準備して来い。出発は15分後だ」
飛び入り参加だから仕方ないけど、15分は厳しいぞ。
40秒じゃないだけマシか?
シャワー浴びて、着替えて、荷物は財布とスマホと戦闘用バッグだけ。
きっかり15分で集合場所に戻ると、そこには晴空君と明里ちゃんがいた。
「遅くなってごめんなさい」
「いや、問題ない。ちょうど聖も来たからな!」
なるほど、明里ちゃんを待っていたから、ついでに俺も誘ったと。
いや、俺以外にも人が増えてる。精鋭クラスの有力な子供が数人ほど。
話を聞くと、彼らも晴空君に誘われて飛び入り参加するのだとか。
さすがは次期陰陽師界のトップ、ナチュラルに人を巻き込んでいく。
「それじゃあ出発だ!」
こうして俺は、夏休みの突発イベントに参加することとなった。
〜〜〜
バスから新幹線に乗り継いで、やってきたのは東京湾沿いの潮舵金哉神社。
入り口近くで送迎車を降りると、中学2年生とは思えない統率力で晴空君が誘導する。
「みんな、神楽の御当主様へ挨拶に行こう!」
初手で挨拶を選ぶあたり、育ちの良さを感じる。
普通、子供ならもっとはしゃぐものでは?
安倍家の嫡男が来訪したとあって、準備で忙しいはずの当主とすんなり顔を合わせることができた。
美少年の父親だけあって、線の細い儚なげな男性である。
今回は晴空君の取り巻きの1人として、簡単な挨拶だけで終える。
ちゃんとした挨拶はまたの機会としよう。
「祭祀は夕方から始まる。それまで自由行動だ!」
晴空君の号令に、錦戸家の嫡男が提案する。
「晴空様、一緒に神社を見学しましょう」
「悪いな、俺は神社の手伝いをしたいと思ってるんだ」
「それなら俺も!」
「私も!」
「僕も!」
安倍家に取り入りたいという欲望ではなく、純粋に晴空君の善行に賛同して子供達が手を挙げる。
何この子達、良い子が過ぎて反抗期にどんな反動が来るか心配になるレベルなんだけど。
洗脳とかされてないよな?
「じゃあ、俺も」
空気を読んで俺も協力することにした。
祭祀を見学させてもらう参加料ということで。
部外者にできることがあるのかと疑問に思っていたら、やることは結構あった。
神社側も準備をしっかり進めていたものの、単純に人手が足りていないようだ。
母家の立派さを見るにお金に困っている様子もないので、給金が渋かったわけでもなさそう。
こんなところでも人口減少による人手不足の影響が出ているのか。世知辛い。
そうこうしているうちに、祭祀の時刻が近づいてきた。
神社には陰陽師関係者が続々と集まっている。
その中には当然、安倍晴明もいた。
「久しいな。学園でも大活躍と聞いている」
「ご無沙汰しております。明里さんの婚約者として相応しい実績を積んでいるところです」
俺は入学式で一方的に彼を見ていたが、こうして面と向かって話すのは久しぶりだ。
「娘との交流も頑張っているようだな。人見知りする性格ゆえ、苦労をかける」
秘書さん経由で俺と明里ちゃんの交流は筒抜けである。
年齢的におかしくないが、ここまで親に監視されるお付き合いも珍しいのでは?
歴史に名を残す者として、順調に平凡を逸脱していて満足である。
「気長に頑張ります」
「うむ」
とりあえず、今日のこれもデートにカウントして良いだろう。
準備を手伝っている最中、俺は明里ちゃんと接触し、隣で舞を鑑賞する約束を取り付けた。
俺にしては頑張った方だと思う。
こういうイベントを共にすることで、男女は仲良くなるんだろう。きっと。
そうして、ついに始まる奉納舞。
宮大工の技術が詰まった舞台は清められており、主役の登場を待ち侘びている。
舞台の最前列には一段高い畳敷きの貴賓席が設けられており、お偉いさん方が座布団に腰を下ろしている。
「き、貴賓席にお誘いいただき、ありがとうございます」
「構わない。明里と約束していたのだろう」
約束通り明里ちゃんの隣に座ることができたのだが、さらにその隣にはお義父さん同伴である。
秘書さんの監視と同じようなもの……とは言えないだろ。
なんだよこれ、どんな罰ゲームだよ。
なお、晴空君と取り巻き達は貴賓席の後ろで立って見学している。
堅苦しい場所よりも友達と仲良く見学したいから、とのこと。
俺もそっちを想定していたんだが……。
「お二人とも、お静かに。始まります」
明里ちゃんに嗜められてしまった。
仲良くお喋り、なんて状況でもないし、大人しく見学するとしよう。
厳かな空気が辺りを包み込み、見学者達は自然と口を閉ざしていった。
静寂が支配する舞台の中心に、舞手が現れる。
格好は男性用の装束だが、化粧を施した舞手は美しく、女性と見紛うほど。
しかし、彼こそ神楽家の嫡男、神楽 支である。
────♫
囃し方の音色や歌と共に、彼は踊り出す。
優美な舞は時に柔らかく、時に激しく、見るものを魅了する。
両手に持った祭具が振られるたびに、鈴の澄んだ音色が響き渡り、和楽器の音がいつの間にか耳に入らなくなっていた。
まだ中学生にも関わらず、その技量は素人の俺ですら目を離せなくなる領域にある。
──っ
それだけ集中して観察していたせいか、舞の途中で彼が微かに呻いたことに気づいた。
さらにもう一つ重大な変化に気づく。
「透けてる?」
「誘われているのだ」
俺の疑問へ答えるように、晴明様が呟く。
踊り続けている舞手の指が、わずかに透けている。
その変化は少しずつ大きくなり、掌まで広がっていった。
一体何が起こっているのか、心配が好奇心を上回る頃、舞が終わる。
観客達の感嘆のため息を背に、神楽 支は静寂に包まれた舞台を降りた。
祭祀自体はまだ続くようで、神楽家当主が進行していく。
先ほどの感想を交わす観客のざわめきに便乗して、俺も晴明様へ尋ねる。
「あれは、何だったのですか?」
「神に誘われたのだ。愛し子を自らの下へ召し上げようとなさる、神の奇跡の一端。神に最も近づける祭祀として有名になったのは、この為だ」
そう語る晴明様の表情はどこか暗い。
俺がこれまでに知った情報から想像するに、神に拉致されかけたってことかな。
神楽少年は神に愛されているという。そのおかげで力を貸してもらえる反面、神の世界に連れて行かれそうになっている、と。
あっ、潮舵金哉様を誘拐犯と思っているわけではございませんので!
心の中を読んで神罰とかはご勘弁を!
いけない、いけない、神の懐で不敬なことを考えてしまった。
「英雄的な活躍をした者が召し上げられる、というのは聞いたことがあります。でも、生きている人間を連れて行くことがあるんですか?」
「それほど愛されているということだ」
神も欲しがる美貌ってことね。
それが神楽君に良いことなのかは、分からないけれど。
「あれ、明里さんはどこへ?」
隣にいたはずの婚約者様が、いつの間にかいなくなっていた。
晴明様も行方を知らない様子。
いや、明里ちゃんだけじゃなく晴空君と取り巻き達もいない。
お、置いてかれた……。





現代陰陽師は転生リードで無双する 肆