一見に如かず side:源家
side:源家当主
東部家の執務室にて、私と東部殿による最終調整を行なっていた。
そのお題は、九尾之狐討伐。
「先方とも合意が取れました。このスケジュールで行きたいと思います」
私が提示した資料を確認し、東部殿が頷く。
九尾之狐は封印されて殺生石となり、本体と欠片を全国各地に分散して保管されている。
九尾之狐討伐にはそれら全てを退治しなければならず、そのためには長年封印を守ってきた者たちの意向も無碍にはできない。
その調整が、ようやく終わったのだ。
「源殿の伝手がなければ、難航していたでしょう。ご助力感謝致します」
「命の恩人たる聖君の依頼ですから。そうでなくとも、関東陰陽師会の身内の不始末。ここまで時間がかかってしまったことを恥じるばかりです」
「一大計画の調整作業だと思えば、時間がかかるのも致し方ないことです」
東部殿は錦戸家の妨害を知ってなお、私を責めることはなかった。
常に穏やかで、笑みを絶やさない。
しかし、心の内で響く音色は、使命に燃える激しさを感じる。
「それにしても楽しみですね。歴史に名を残す大妖怪──九尾之狐討伐の生き証人になれるとは。年甲斐もなく胸が高鳴ります」
一仕事終え、しばし歓談に耽る。
そんな中で同意を求めてきた東部殿に、私は素直に頷けなかった。
「東部殿は、九尾之狐討伐が必ず成功すると確信されているのですね」
「おや、源殿も彼の力をご覧になったのでは?」
とても不思議そうな声で聞き返された。
九尾之狐という大妖怪と戦うのだから、不安を抱くのは当然ではないだろうか。
脅威度6弱を倒せると言っても、6強に分類される大妖怪を相手に勝てるかは未知数である。
しかし、東部殿は何かを確信しているようであった。
「お恥ずかしながら、その時私は意識を失っていたもので」
「なるほど。では、直接ご覧になった方が良いでしょう。ちょうど明日、最後の脅威度6弱を討伐します。ご予定は?」
仕事ならいくらでもあるけれど、急ぎのものは先ほどひと段落ついたばかりである。
「参加させていただきます」
「戦う準備は要りませんよ。百聞は一見に如かずという言葉の意味を、心の底から理解できるようになります」
私が身構えたのを察したのか、手ぶらで来ても良いという。
さすがにそんなわけにはいかない。
龍笛と札くらいは用意しておかねば。
〜〜〜
「なっ……!」
大地の杭が、否、山が妖怪を貫いただと?!
封印が解かれた直後、戦闘は始まると同時に終わった。
たった、たったの一撃で、脅威度6弱の妖怪は串刺しとなって塵へ還った。
「あれは秘術……ではない……。ただの土槍之陣か……」
やはり、安倍家に継承されたという秘術が峡部家で復活したのだろう。
そこまでは報告で聞いていた。
しかし、私の知るそれより遥かに強大で、人智を超えた結果をもたらしている。
「源殿、見ましたか。あれが、聖君の力です」
こちらへやってきた東部殿は、どこか誇らしげにそう言った。
彼はつい先ほどまで再封印の準備をしていたはずだが、その顔に緊張の色はない。
はなから妖怪が倒されると確信していたのだろう。
彼は振り返りながら鋭く尖った山を見上げている。
私もつられて見上げたそれは、ただの山というには異質だった。
「あれが、人の為せる業なのか……。これではまるで、神の……」
「脅威度5弱では、彼を測る物差しとして不足していると、理解できましたか?」
それどころか、6弱ですら相手になっていないではないか。
雫に聞いた話をどれだけ上方修正したとしても、この圧倒的力は想像も及ばない。
報告書や伝聞では理解できない畏怖が、肌で感じられる。
「峡部聖最強峡部聖最強峡部聖最強──」
だからだろうか、私の後ろで戦闘に備えていた国家陰陽師部隊隊長の言動が多少おかしくても、納得できてしてしまう。
妖怪の周囲を囲む攻撃班のメンバーにも、拝むような動作をしている者がそこかしこにいる。
脅威度6弱を抑え込むために集められし精鋭達、並み居る大人の中心で、悠然と佇む1人の少年。
以前会った時は理知的な普通の男の子にしか見えなかったが……。
「幾多の仲間を犠牲に戦っていた強敵が、圧倒的な力でもって滅ぼされる。脳を焼かれた者が現れてもおかしくはありません」
そう言う東部殿からも、どこか異質な響きを感じた。
あるいはこの音こそ、信仰対象を目の前にした信者の音なのかもしれない。
「ぐぅぅぅううう」
「それじゃあ皆さん、続けて治療にご協力お願いします」
「「「おおおおおぉ!!!」」」
聖君は大仕事を終えたばかりだと言うのに、けろっとした顔で何かを始めようとしている。
周囲で控えていた者達が威勢よく参加を表明した。
「おっと、源殿は離れた方が良いかもしれません。耳の良い方には特に辛いそうですから」
「始めるというのは、塩砂家の治療のことですか? お話では、術者に痛みを伴うと聞いておりましたが……」
「ええ。さすがの彼でも積年の呪い相手には苦戦しているようです。それでも、毎週治療を続けてくれています」
脅威度6弱を歯牙にもかけず、先達の守護者を労わる……たった12歳でそんなことができるものなのか。
雫も優秀だが、同じ歳頃の娘を持つからこそ、その差が果てしなく高いことを理解できる。
「いえ、私も塩砂殿の力となりましょう。これまで多大な負担を背負わせてしまいましたから」
「ありがとうございます」
聖君関係の情報は、救世主候補ということでいろいろと知っている。
怨嗟之声拡散法と呼ばれる治療法を開発し、塩砂家を苦しめる呪いを音として排出するとか。
「それでは、始めます」
死ね殺す苦しめ憎め怨め呪え絶望しろ死ね死ね死ね煩い黙れ消えろ滅べ殺してやる道連れだ恨めお前のせいだお前さえいなければ死ね殺す殺せ愚かな惨めだ無駄だ意味がない苦しめ無様な縊り殺してやる無能め雑魚が詫びろ消えろ汚物め気持ち悪い嫌いいらない臭い馬鹿死ね怠い辛い阿保気に入らない溺れ間抜け燃えて殺す落ちろ無駄だった穀潰し親不孝者恥晒し縁を切る失せろ顔を二度と見たくない役立たず醜い死んで詫びろ疎外感怒れ羨ましい忌まわしい死ねひもじい怖い悲しい殺してやるぅぅぅぅ!!!
「ぐあっ」
私は思わず耳を塞いでしまった。
言葉そのものではなく、そこに含まれる深い深い絶望に痛みを覚えたのだ。
意識的に音から耳を背けても、漏れ聞こえる音だけで全身に鈍痛が走る。
離れて聞いているだけでこれなのだ。
一番近くにいる聖君はどれだけの苦痛を耐えているのか。
「皆さんお疲れ様でした! 最後の討伐も無事に終わることができて何よりです」
あっ、あれを受けて平然としているだと?!
多少疲れた様子は見せても、周囲を気遣う余裕があるとは……。
塩砂殿も症状がだいぶ緩和されている様子。
「ご理解いただけたでしょう。彼の強さを。我々が同行するのは、国が指定してきたからに過ぎません。我々などいなくとも、彼は必ず勝ちます」
「そう……ですね……」
安倍家の秘術には汎用性がある。
一般的な攻撃用の陣だけであの威力。
聖君が陰陽師学園で幾多の秘術を習得したら、一体どうなってしまうのだ。
とてつもなく大きな伸び代がある彼は、どこまで成長するのだろうか。
「私は彼こそが、救世主であると確信しています」
そう言いきる東部殿に、私は自然と頷いていた。
〜〜〜
side:雫
「お父様、お呼びでしょうか」
「入りなさい」
お父様に呼び出された場所は、秘奥之間。
源家当主が秘術の修行を行う、屋敷の中で最も重要な場所です。
入れるのは、当主と次期当主のみ。
私が入ることは一生ないはずでした。
「突然呼び出してすまないな」
「いえ。お父様こそ、東北出張お疲れ様です」
私は受けの良い笑みを浮かべるも、お父様の表情は硬いままです。
向こうで何かあったのでしょうか。
東北といえば、峡部さんと強い繋がりがある場所。
そろそろ封印された脅威度6弱が全て退治された頃合いでしょう。
「雫、お前にも我が家の秘術──龍笛術を継承する」
「峡部さんの"盟友"になれ、ということですね」
「そうだ」
もともと私は安倍家の嫡男、晴空様の盟友となることを期待されていました。
しかし、弟が生まれ、私の役割は純粋に明里さんの友達へと移行しました。
源家も例に漏れず、秘術は長子継承となっています。
よって、私が源家の当主になる可能性はほぼ潰えました。
そこへ来て、お父様のこのお話です。
「お前も知っての通り、聖君は救世主候補だ。その中でも彼は、ズバ抜けた力を有している。晴空殿も特別な才に恵まれているが、今求められているのは圧倒的力。我らの龍笛術で支えるべきは、彼だと判断した」
かねてより峡部さんに感謝し、実力を認めていたお父様ですが、ここまで傾倒していませんでした。
本当に何があったのでしょうか。
「であれば、次期当主があたるべきでは?」
「龍笛術には共鳴する為の下準備が必要となる。長く時を共にしている雫の方が適任だ」
お父様は口にしませんでしたが、安倍家を蔑ろにするのは体面が悪いということでしょう。
もう1人男児がいれば、そちらへお鉢が回ったのでしょうが……。
お父様がここまで断言するということは、途中で分家の横槍が入ることもありませんね。
龍笛術の条件を口にしていることからも、私が秘術を継承することは確定事項。
私が秘術を習得すれば、当主となれる可能性が復活します。
それが叶わずとも、私の重要性が高まり、源家でのお母様の地位も守られる。
峡部さんは秘術に並々ならぬ興味を持たれている様子。第二の手段として、我が家の秘術と引き換えに峡部家の秘術を教えてもらえれば、盤面をひっくり返せる可能性すら生まれます。
よって、龍笛術を教わらない手はありません。
「ご下命、承りました。峡部 聖様の盟友として役割を果たせるよう、尽力いたします」
「うむ。まずは龍笛術の基礎、共鳴について教える。それに伴い、近く始まる九尾之狐討伐に同行しなさい。彼の隣に立ち、彼の音をよく聴くように」
戦闘も間近で観察できるのですね。
望むところです。
突然訪れた絶好の機会、必ずものにしてみせます。