誘拐
聖が修学旅行へ向かう少し前。
錦戸 金は、己に残された手札が限りなく少なくなっていることに気がついた。
時間、人脈、特にこの二つがなくなったのが痛い。
それらは老人から余裕を奪い、ついに禁忌へ手を染めさせる。
「まだ、引き込めていないのか?」
「はい」
「ならば、やれ」
死の間際にあっても、決断を下す声には力が乗っていた。
救世主の所有欲は、錦戸 金にとって生きる原動力となっている。
現状で最も強く、所有する余地のある存在は聖だけだった。
「かしこまりました」
側近は、指示を出した。
人質として、峡部 麗華と峡部 優也を誘拐する指示を。
〜〜〜
「もしもし、阿部様の秘書さんですか? お世話になっております。浜木です。本当に大変お世話になって……。すみません、本題ですね。錦戸が動き出しました。やっぱり修学旅行の本人不在を狙ったようです。はい、はい、進展があったら連絡いたします。はい、失礼いたします」
秘書直通のスマホを机に置いた浜木家当主は、その隣に置かれたスマホを手に取る。
「もしもし、浜木です。先生の電話でお間違えないでしょうか? 安倍様への緊急連絡です。はい、はい、その通りです。あっ、もう情報掴んでましたか。さすがですね! はい、襲撃は深夜です。外人が一人入り込んだのが心配ですが、そのほかには何も。はい、はい、よろしくお願いいたします」
安倍家の中でも特に重用されている女性への連絡を終え、3つ目のスマホを手に取る。
「錦戸様、お忙しいところ失礼致します。安倍家と阿部家に連絡を入れました。はい、侵入ルートも誘導した場所に。はい、はい。安倍家の部隊は潜入済みです。奥方と子供にはバレていません。霊獣も見当たらず、もしかしたら聖君についていったのかもしれません。はい。また連絡します」
最後の連絡先に情報を伝えた浜木家当主は、スマホを置いて大きく息を吐いた。
「緊張した〜!」
「お疲れ様。仕事終わったの?」
ノックもなしに開かれた扉から、浜木の嫁が顔を出す。
その手に持つトレーには、甘いお菓子と飲み物が乗っている。
「俺の仕事は山場を乗り越えた感じ。あとは現場次第ってところ」
「そう、頑張ったわね」
浜木家はスパイとして長年張り込み、コロコロ変わる指示に従ってきた。
そして今、最重要任務を終えたところである。
緊張の糸が切れた当主は、いつもの調子に戻って言う。
「今日は徹夜することになるから、夜食の準備だけお願ーい」
「私も起きてるから、必要なものがあったら言って」
「ありがとう。愛してるよ!」
生来の軽さを取り戻した当主は、嫁の去った部屋で再び式神と感覚を同調させる。
錦戸 金によって派遣されて以来、与えられた小鳥型式神を使って峡部家を偵察していたのだ。
それら情報を錦戸 金の側近へ提出し、他の勢力にも横流しする。
つまり、二重スパイをしていた。
錦戸家現当主に声を掛けられ、阿部家に声を掛けられ、安倍家の関係者に捕まった。
あれよあれよという間に、仕事用スマホを四台も持たされることになった。
「頼むから誘拐失敗してくれよぉ。でないと娘に怨まれる」
そして、錦戸 金から命を狙われるだろう。
金に飛びついた浜木家当主は、成り行きでとんでもない状態に陥っていた。
〜〜〜
深夜の住宅街。
街灯に照らされた峡部家の正門前に、十二人の不審者が集まっていた。
浜木の情報通り、錦戸 金の雇った暗殺部隊は六人。
その情報を受けて万全の備えをした安倍家の私兵部隊六人。
狭い業界ゆえ、互いに何度も顔を合わせたことのある二組である。
暗殺部隊のリーダーを務める、黒い鎧を着た男が口を開く。
「そりゃあ、こうなるだろうなぁ。組織の内輪揉めで誘拐なんて上手くいくわけがねぇ。敷地にもずいぶんたくさん仲間を隠してるじゃねぇか。俺らを歓迎するには、ちと豪華すぎんだろ」
それに答えるは、白い鎧を着た私兵の隊長。
互いの鎧の色が、そのまま二人の性質を表していた。
「分かっていながら、なぜ依頼を断らない。安倍家がこの狼藉を許すと思っていたのか?」
暗殺部隊は、金を積まれればなんでもこなす。だが、それでも依頼は選ぶ。
錦戸 金が落ち目な今、明らかに成功率の低い危険な依頼を受ける必要などない。
問うてみたものの、私兵の隊長は答えが返ってくるとは思っていなかった。
暗殺部隊のリーダーは常にのらりくらりとしていて、掴みどころのない男だから。
しかし、今回は意外なことに回答があった。
「そりゃあ、殺し合いになるだろうよ。でもなぁ、そこで引いたら俺たちに明日はねぇ。そして、爺の代から世話になってる恩人を裏切るわけにもいかねぇ」
「今日はずいぶんと素直だな。……死ぬつもりか」
リーダーのダルそうな顔に浮かぶ決意を、隊長はそう読み取った。
「馬鹿が。誰が死ぬつもりか。ここにいる全員生きて帰るつもりだ。危険度に見合った報酬を渡されている。帰ったら山分けだ」
暗殺部隊は覇気のない顔をしているが、対人戦においては優秀である。
私兵部隊も日本有数の強者とはいえ、戦えばどちらが勝つかは分からない。
「つまりよぉ、今日、間違いなく俺とお前のどちらかは死ぬってことだ。そりゃあ口も軽くなるだろ」
報酬があり、守るべきメンツがあり、通すべき義理がある。
私兵隊長は決死の戦いを覚悟した。
両陣営ゆっくりと武器を構え、衝突の時を待つ。
相手に隙を作るため、舌戦は続く。
「手間を嫌うお前のことだ。峡部家の嫡男を直接誘拐した方が早いと、依頼主に提案したんじゃないのか?」
「はっ、死闘の前に冗談言うとは珍しいな。テメェも昂ってんのか?」
ニヤリと笑っていた暗殺者から、表情が抜け落ちた。
しばしの沈黙の後、暗殺者が瞠目する。
「まさかテメェ、あれの強さが見えてないのか? マメなお前が保護対象を一度も確認しないはずがねぇ。……そうか、そうかそうか。殺しの技術以外勝てないと思ったが、化け物を見分ける本能は俺の方が上だったか」
「何を言っている?」
身じろぎひとつせず勝利を堪能した暗殺者は、ゾッとする殺意と共に戦端を切る。
「殺す前に確認できてよかった」
「…………!」
かつて戦った時と同じ、超高速の踏み込み。
私兵は暗殺者が初手から奥義を使ってくるとわかっていた。
ゆえに絶対の防御で迎え撃ち、後の先を取ろうとして──。
「間抜けが」
「しまった!」
急に向きを変え、暗殺部隊は揃って塀を飛び越えようと動く。
会話は全てブラフであり、暗殺者は戦闘を避けてターゲットを人質に取るつもりだった。
まんまと罠にハマった私兵は、加速する思考のなか、空中に浮かぶ無防備な敵を斬ろうとして──。
「対策済みか」
景色が歪み、見たことのない住宅街へと変わった。
辺りを満たす濃い霧は、先ほどまでなかったものだ。
「まさか魔術か?」
“迷いの霧”という、西洋の魔術師の使う技がある。
その霧に呑まれると、正しい道順を歩まなければ出られなくなるという。
しかしそれは、魔力を消費する技であり、日本ではおよそ使われるはずのないものだった。
「わざわざ異国から呼びつけるとは。なぜそこまで執着する」
状況を把握したところで、私兵は即座に決断した。
敷地内にも兵を配備しているが、実力的に不安が残る。全力を出して即座に後を追うべきだ。
私兵は全身の内気を爆発させ、奥義を放つ。
「一 刀 両 断」
基本にして最大エネルギーを叩き込む大上段の一撃は、魔術もろとも空間を切り裂いた。
霧から逃れ、元の場所へと戻った私兵部隊は、即座に塀を飛び越えた。
霧に囚われたのは5秒にも満たない間。
しかし、辺りには血が撒き散らされている。
いったい何人の仲間が犠牲になったのか、私兵が後悔と共に辺りを見渡すと──。
「何があった?」
そこには、呆然とする仲間と、自害した暗殺部隊の骸が並んでいた。
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